忘れてしまっているようで、誰もが持つ原始的な衝動。























Lovin' reflection

















「藤代、手を出せ。」
「うん。」

請われるままに藤代は、不破の前に手を出した。

藤代の仕草には、躊躇いというものが感じられない。
彼は、不思議な程に迷わない人間だった。
それは仕草云々についてのみでなく、普段の生活や話す言葉など、全て。全てにおいて、彼の行動には迷いがない。
その何の躊躇いもなく差し出された手を、不破は無造作に掴みとった。不破の仕草にも、手を差し出した藤代と同じくらい迷いも躊躇いもない。もちろん掴まれた藤代にも動じた様子は観られない。
二人の仕草は傍から見たなら酷く不思議な、むしろ非人間的なまでの率直さを備えていたのだが、その場には二人以外の人間は居なかったために、それは『普通』の光景となる。
少なくとも二人にとってはなんでもない一動作に過ぎない。

それは信頼とか、愛情とか、そういうものとはまた別次元のもののように感じられた。

不破は、掴んだ藤代の右の手首を少し引っ張るようにして、座した己の前まで持ってくる。
不破の左側、隣りに並ぶようにして座って雑誌を読んでいた藤代の身体は、其れにつられて不破の方へと倒れこみそうになった。そこで漸く藤代は目をあげ、不破を見た。

「どうしたの?」

しかしその問いに不破は答えることはなく、ただ、掴んでいた手首から一旦手を離し、その後ヒョイと藤代の手を返して、ちょうど手のひらが上を向くように掴みなおした。そして、じっと彼の手のひらに視線を注ぎつつ、手首を固定するのに使っていないほうの手の、人差し指を一本、手のひらの真ん中辺りに、ごく軽く乗せた。
‥‥が、それ以上、何をするわけでもない。

「不破?」

藤代は2、3度瞬きをしながら、恋人の名を呼んだ。
その声も、全くもって疑念だとか、そういう暗い懐疑の音は含まれることなく、ごく純粋に質問、といった風の声である。

‥‥当たり前だ、何を疑ったり、緊張する必要性があるというのだろう。目の前のこの人が自分を傷つけることなど決してありえない。

いっそ本能といってもいいような、絶対の信頼。

「不破ー。なぁ、どうしたの?」

藤代の声に、不破は漸くそれまで注視していた手のひらから、その持ち主へと視線を移した。
黒の強い真っ直ぐな視線に、そこで藤代は初めて心を動かされる。体内にあるけれど決して見えない器官が、眩暈にも似た衝動を彼に与えた。

身体を寄せて、掠るだけのキスを。

「‥‥反射実験だ。」
「は?」

その台詞は、まだ互いの吐息を感じられる程の距離で発せられたので、藤代は一瞬なんのことだか判らずに動きを止め、その間に不破の手、藤代の手のひらに乗せていたほうの指の手により、キスの距離にあった藤代の頭を、顎の下に手をやって引き剥がすように距離をおかれてしまう。
だが、手首のほうは固定されたままだったので藤代は仰け反るような体勢になってしまい、うぎゃ、と小さい悲鳴のようなものを上げた。
しかし不破はというとそれに頓着した様子もなく、掴んだままだった藤代の手を再び掴みなおし、今度は手全体を握りこむようにして、軽く振っている。
それはどこか小さい子どもがするような、言ってしまえば可愛らしい仕草だったので、藤代はちょっとだけ痛い首の辺りを擦りながら、笑みを零した。

「む。何を笑う。」
「不破こそ俺の手で何を遊んでんのさ。」
「遊んでいたわけではない、実験をしていたのだ。」
「何の?」
「指握反射。」
「?」

それは聞き慣れない言葉で(まぁ藤代にとって不破の言葉の半数以上が聞き慣れない言葉ではあるのだが)、藤代はそれまで不破に握りこまれて遊ばれていた手の上から、更に己の手を重ねて振り返したり、恋人の手の感触を楽しんだりして遊んでいたのだが、一旦それを中断して、きょとんとした目で問い返した。

「シアクハンシャ。」
「うむ。」

コクリと頷くその表情はいつもながらの無表情で、かといって怒っていたりとか気分を損ねているわけではないことは藤代にも解っていたから、そのまま黙って不破の言葉を待った。

「指握反射とは乳児期における反射の一つで、ある種の、生存本能といえる行動だ。手のひらに物体、まぁよくあるのが大人の指一本だが、そういったものを触れさせると反射的に握りこむというものだ。」

不破は流れるように話しながら、藤代の手を取り、その人差し指を握りこんだ。
己より冷たい体温に、藤代の指が一瞬震えた。

「それはかなりの強さで、両手を握らせたまま上に釣り上げる事も出来るほどだという。」

きゅ、と少しだけ込められた力に、藤代は目を細める。
痛かったわけではない。
そうではなく。

「乳児期の反射はこの他にも幾つかあるが、これらは月をかさねると消滅する。生まれて間もない生物が生き残る為の本能だと言われてい」
「不破。」

その呼び声に、不破は言葉を切った。
酷く真剣なその人の眼差しに、不破は瞬きする。

「藤代。」
「不破、俺赤ちゃんじゃないから、そんなの残ってないよ。反射とか言われても、困るよ。」
「‥‥まぁ、それはそうなんだが。案ずるなちょっと実験してみたかっ」
「でもさ反射行動は忘れちゃったけど、本能は残ってるかも。」
「は、‥‥っ」

不破が何事かをいうよりも速く。
にっこりと笑った藤代が握られたままだった手を、腕ごと手前に思いっきり引く。
指を握ったままだった不破の驚いた顔を視界の端に捉えながら、胸元に倒れこんできた恋人の身体を、思いっきり抱き締めた。
引っ張った勢いで自分もそのまま後ろに倒れてしまったけれど、ついでに頭も打ってしまって痛かったけれど。
抱き締めた腕は決して解くことなく。
そのまま床に転がった。
無性に笑いたくなって、腕の中にその人を閉じ込めたまま笑った。

「‥‥ッ藤代、何を」
「生きるための、本能。」

突然の視界と体勢の変化に茫然としていた不破は、その藤代の明瞭な声に我に返る。そして抱き寄せられたままの不自由な体勢から僅かに身動ぎしつつ、藤代を睨みつけた。
‥‥が、その目線に返ってきたのは、輝く太陽のような笑顔で。
フッと、毒気を抜かれたというか、面食らった。
一瞬、身体から力が抜ける。






「俺は不破を掴み取ったから、もう離さないよ。‥‥本能だから。」






躊躇いの無い声。
抱き締める強い力。

絶対の信頼。絶対の愛情。それはさながら本能であるかのよう。






「‥‥そうか。」






不破は目を閉じた。
クスクスと未だ笑う恋人の声を聞きながら、ふと気づく。
藤代の指を握り込んでいた己の手。
その上から、指を握りこまれた藤代が、器用に握り返している。

離すことなく握った指先。


‥‥‥‥ああ、自分にも本能が残っている、と。


不破はぼんやりと、思った。




end.(08.16/2002)

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