機械仕掛けの恋愛人















「‥‥おいおいおい。」

目を疑う光景、という言い回しがある。
だが実際、そんな「目を疑う」光景に出くわす人間なんてそうそう居ないだろ、と常々思っていた、のだが。

「おーい‥‥。」

今まさに展開された「目を疑う」光景に、三上は言葉が出てこない。
いや、目を疑うというか。‥‥呆れたというか。
己の手には、ミネラルウォーターを注ぎかけのグラス。
そして己の目の前には、それを飲むはずだった人物。‥‥の、寝姿。
座っていたはずの三上のベッドに頭をうずめて、スヨスヨなんて寝息も穏やかに。

‥‥とりあえずグラスに水を注ぎきってしまおうと、三上は少々混乱気味の頭で、考えた。










本当に数分前、いや数秒前まで、普通に話していたのだ。

休みの日、しかも午前も早くから、突然寮住まいの三上を訪ねてきた不破は、何故だかすこし上機嫌で。
‥‥まぁ上機嫌と言っても、多少言葉が多くなるとか、声が普段より明瞭であるとか、そんな程度なのだけれど。
まぁとにかく。上機嫌だったのだ、不破は。
どうやら昨晩から読み始めた本に、いたく感銘を受けた、らしい。

「‥‥から、七次元空間を通り抜けるシートであるとした場合、p-ブレーンの波数がブラックホールに含まれる情報量と同じであることを示す事が出来るのだ。」
「ふーん。」

‥‥三上のベッドに座り滔滔としかしあくまで淡々と喋り倒す不破に、気のない相づちを打っていたのはほんの数分前だというのに。
シュレディンガー方程式がどうのハミルトン演算子Hがどうのと話す不破を後目に、三上は部屋に勝手に設置した簡易式冷蔵庫からミネラルウオーターのペットボトルを取り出し、グラスに注ぎ分けて一先ず自分が飲む。そして、後ろで話し続ける不破にも渡そうと、もう一杯注ぎかけたところで声が止んだので、振り返ってみたら。

「コイツは螺子巻き式なのかよ‥‥。」

じゃなければ電池式とか。

三上はどうしようもなく呆れた声で呟いた。
当然眠っている不破には聞こえるはずもなく。
返ってきたのはスヨスヨと、控えめな寝息だけ。

「‥‥ったく‥‥。」

三上は注ぐ途中だったグラスとペットボトルを持ったまま、不破の眠る己のベッドへと近づいた。
座っている人間が重力に従って倒れました、といった風な(というかそれそのものなのだが)横に伏せるように眠る不破の横、三上はベット脇の床にペタリと座った。そうすると顔の高さが一緒くらいになる。ボトルと水はその脇に置き、ベッドの縁に背中を持たせかけた。
キシリとベッドが鳴いただけれど、不破に起きる気配はない。
どうやら一瞬で、かなり深い眠りに入ったようだ。
三上はその顔を見るともなしに眺めた。
顔の半分を布団におしつけるようにうつぶせ気味に眠る不破。薄く開いた唇から、小さい寝息が聞こえてくる。それにあわせて揺れている肩や髪が、何故だかすこし可笑しかった。

そう、本当に、『人間』ぽくて。

‥‥もの凄く整っているわけではないけれど、それなりに端整な造作の不破は、その表情の無さも相まって、どこか人形めいた感じを受ける。

そのせいか、三上がはじめて不破に会ったときの印象は、あまり芳しいとは言えないもので。はっきりと悪かった、と言ってもいいくらいだ。
いや、むしろ。

「気味が悪かったよな‥‥。」

無表情に、淡々と。焦りとか喜びとか、そういった人間っぽい感情が、欠落しているように思えたのだ。
感情を『隠して』いるのではなくて、感情が『無い』。
それはまるで、昔読んだ古いSF小説に出てきた、機械仕掛けの人形のようだと‥‥‥‥そんな風に、思ったものだ。

けれど。

「感情、ねぇ‥‥。」

三上は息に合わせて揺れる髪を、そっと撫ぜる。
あまり柔らかくもない髪だったけれど、どこか暖かいそれの指どおりはよく、サラサラと梳かれては零れ落ちた。

「‥‥ふ、」
「んあ?‥‥起きたか?」

スゥ、と深い息をしたかと思うと、小さい声が聞こえたので、三上は驚かさない程度の声量で声を掛けた。‥‥と、その一瞬後にはバチッと瞼が開く。
‥‥ちょっとびっくりしたのは秘密にしようと、三上は思う。

「三上。」
「‥‥‥‥あのなオマエ、もちょっとこう起き方‥‥、いや、いい。」
「??」

瞼は開いたものの体勢そのものは変えることなく言葉を紡いでいた不破だったが、頭にのせられた三上の手に気づくのと、その手が荒っぽく頭をはたくのと同時に、ムックリと起き上がった。

「痛いぞ、三上。」
「ッたりめーだ、痛いように殴ったんだよ。っつーかテメェ会話の途中に急に寝んなよ、ビックリすんだろーが!」
「む‥‥。」

立ち上がり、眉を顰めて怒る三上に、さしもの不破もさすがに言葉が返せない。

「‥‥‥‥。す、まない。」
「‥‥ッたく。」

うつむき加減に小さく謝罪の言葉を述べる。‥‥と、いきなり目の前にグラスが現れた。
顔をあげると、いつもながらの機嫌の悪そうな、三上の顔。

「水。飲んどけ。」
「‥‥あ、ああ。」

勢いで受け取って、とりあえず言われるままに、不破はグラスに口をつけた。少し温くなってはいたが、それは喉にスルスルと流れ込み、そこで不破は自分の喉が渇いていたことに気づく。
コクコクとおとなしく水を飲んでいる不破を横目に見ながら、三上はその隣りに腰をおろした。
水を飲み終えた不破からグラスを取り上げて、床に置く‥‥直前に、屈みこんだ体勢から不破を見上げて言った。

「まだ要るか?」
「いや、もういい。」
「ん。」

今度こそ三上はグラスを置いて、よっと、と声と反動をつけて起き上がった。そして、そのまま後ろに倒れこむ。ポフン、と軽い音がした。
目を閉じると、少しだけ眠気が襲ってくる。

(‥‥中途半端に起こされちまったからな‥‥。)

そうなのである、休みだと惰眠を貪っていた三上を起こしたのは、実は不破だったのだ。‥‥どうやって寮内に入ってきたとか、もうそういった常識的な事は訊かない事にしていた。

‥‥と、隣りでポフリと、軽い音。

「‥‥あ?」
「三上。」

音の方向へ薄めを開けた目線を流したら、至近距離に不破の顔。どうやら同じ様に、ベットの上に寝転んだらしい。
光の足りない午前の室内で、少しだけ翳ってみえにくい不破の表情は、やっぱり薄く、淡々としたものだった。

「なんだよ、」
「どうして俺が水が欲しいとわかったのだ?」
「‥‥別に。ただオマエ、此処に来てから優に30分は喋りどおしだったんだぜ、喉くらい渇くだろ。」
「む?‥‥そんなに喋っていたか?」
「テメェなぁ‥‥。」

三上は今現在倒れた状態でこれ以上倒れ様がないのだが、心理的にガクッと音がしそうなくらいに心の中で倒れてみた。
そして対外的には、それはそれは大きなため息で、その呆れっぷりを表してやる。
すると、さすがに不破にもそのため息の内容(?)が解ったのが、不破は上体を起こすと、寝転んで目を閉じたままの三上の顔を、上から覗き込んだ。

「なんだ、そのため息は。」
「今の俺の正確な心情の吐露だ。」
「三上、」

薄く目を開けた先の不破の表情も声も、やっぱり淡々としていて。その整った造作も、変わらないものなのだけれど。

けれど、今では。

「‥‥‥‥なんなのだ、いきなり。」
「今の俺の心情の精確な実行の結果だ。」

引き寄せてあわせた口唇のあたたかさとか。
本当に少しだけ顰められて、本当に僅かだけ染まった頬とか。
そう、表情は薄いけれど、感情がないわけじゃなくて。

機械仕掛けのお人形じゃないと、知った瞬間から。

「俺ってホントオマエのこと好きなんだよな‥‥。」
「‥‥三上、お前さっきから言っていることに纏まりが欠けて‥‥、」

言いかけた不破の言葉は、深いキスに飲み込まれた。










「‥‥っつーか。オマエ本当、何で突然寝たんだよ‥‥。」
「眠かったからに決まってる。」
「威張るな!ってか眠いからって急に寝るヤツがあるか!」
「‥‥‥‥だって、眠かったのだ。」
「あーもー‥‥。何?徹夜でもしたのかよ?」
「‥‥‥‥‥‥。」
「(したのか、コイツは)で。‥‥まさかさっき話してた本読んでたからとか言うなよ。」
「‥‥‥‥‥‥。」
「‥‥‥‥‥‥。そういうときは、家で仮眠とってから来やがれ。別に来るなとか言わねーから。」
「だって、」

不破を抱きこんだまま、くどくどとお説教(?)をしていた三上に、抱きかかえられた不破が、不満げに一言。

「早く誰かに、話してみたかったのだ。」
「‥‥‥‥オマエ、ホンット可愛いな‥‥。」
「‥‥‥‥‥‥そんな呆れた声で可愛いといわれても全然全く嬉しくないぞ、三上。」

結構単純、且つ感情のままに行動する、そんなわりと子どもっぽい、そういうところも好きだと思ってしまう辺り、もう駄目じゃん俺、とか考えてしまった、三上だった。






end.(02.16/2002)

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