「‥‥ん?雨が降るな、走るぞ。」
「え、」
「いいから。ほら、急げよ。カサ持ってねぇんだから。」
そう言われて、手を取られて走り出す。
その数分後、雨が落ちてきた。
メテオニュース
「あー‥‥、クソ、やっぱ濡れちまったな‥‥。」
薄暗い玄関口で、立ったままの三上が呟いた。
外は雨。降り始めた雨は瞬く間にアスファルトを黒く染め、今はそれを叩く強い雨音が、人の気配の無い、静まり返った不破家の玄関に、細く響いている。
掻き揚げた三上の髪から、パラパラと水粒が散った。
上がり框に座った不破の頬に降ってくるそれは、少しだけ温かい気がしたので、不破は指先でそれに触れようとしたけれど、己の肌を伝う雨水と混ざり合って区別がつかなかったのが、少しだけ残念だと思った。
また、水粒が落ちる。三上を見上げた。
頬から顎先につたう雫が、明かり取りからの薄明かりをうけて光っていた。
その光景は、酷く、不破の胸を騒がせる何かを含んでいて、不破はきゅ、と唇をかんだ。
一頻り毒づいていた三上が、動かない不破に気がついたのか、僅かに目を細めて見下ろしてきた。
「不破、ボーッとしてねぇで、タオル取って‥‥、」
「三上、何故雨が降るのが判った?」
「は?」
晴れのち曇り、夕方から雨。降水確率60パーセント。
今朝、出掛けに聞いたラジオの気象予報は概ね的中して、不破が三上と待ち合わせた時の深い空の青は、今は強く落ちる雨の幕で欠片も見えない。
あのまま歩いていたら、二人もずぶ濡れになっていただろうが、駆け足で急ぎ帰ったおかげで、さほどには濡れはいなかった。
「お前は、雨が降り始める前に、走り出した。何故だ、降り始める時間を予測できたのは。」
「何故って‥‥。」
三上は、困惑した表情で、不破を見下ろしていた。ポタポタとその髪から落ちる雫が、玄関床に濃い色を落とす。不破は其れを見た。濃い墨色の染みは、雫が其れまで宿っていた、彼の髪の色を溶かし落ちてきたかのように思わせた。
綺麗だな、と唐突に思った。
「‥‥あー、何だろな?水の気配というか‥‥匂い、か。」
「匂い、」
再び三上の方を見上げると、困惑しきりな三上が雫を払いながら不破を見ていた。
パラパラと、また水粒が散った。
「‥‥匂い。」
「ん。雨の匂い、か?何となく‥‥、ってオイ?!」
突然抱きついてきた熱に、考えながら話していた三上はかなり慌てた。
不破が顔を肩にうずめるようにしているせいで、頬や耳元に不破の髪が触れてくる。
雨を含んで艶やかさを増した漆黒の髪に、まるで熱いものに触れたかのごとく、三上の身体が強張った。
‥‥その漆黒の、、抱きついてくる熱の、官能的な様に。身体の底から突き上げてくるような、欲望を感じて。
「‥‥しないぞ。」
「‥‥‥‥は?」
抱き締めようと、その背に回した腕が、不破を捉える直前。
バッと起こされた顔に、思わず身体が震えてしまった三上だが、目の前の恋人には関係ないらしい。
「匂いなど、しないぞ。」
「え、あ?」
「雨の匂い、というのなら、雨に濡れている三上から雨の匂いというものがしてもいいはずなのに、そんな匂いはしない。」
「‥‥‥‥‥‥‥‥。」
‥‥三上は思わず、そのままガックリと、やり場の持っていきようのない感情やら情欲やらと一緒に、へたりこみそうになったものだ。
いや、へたりこみはしなかったが、代わりにガックリと先ほど不破が己にしていたように、その肩口に顔をうずめた。ちょっと縋りつく感じだ。
「‥‥?三上?」
「‥‥‥‥あー、そうだなー、雨の匂いなんざ、しねぇよな‥‥。」
「だろう?」
その、もの凄く満足げな不破のその言葉に、ますますもって三上はへたり込みそうに、なった、のだが。
「三上の匂いしかしない。‥‥雨の匂いというものが混じるより、俺はそちらのほうが、いい。」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥そっか。」
三上は、そう言って抱きついてくる恋人に、どうしたものかと途方に暮れるような思いで、とりあえずはその身体を抱き締め返す。
雨に濡れた衣服越しに、不破の体温が手のひらに温かい。
視界を掠める漆黒の髪が、綺麗だ。
三上は苦笑しながら、不破の耳元に囁いた。
「俺も、お前の匂いだけのほうが、好きだぜ?」
その台詞に震えた身体を、シャワールームかベッドにか、どちらに先に放り込むべきかと三上が真剣に思案したのは、まぁ仕方がないこと、だろう。
end.(03.31/2002)
三不破強化期間、終ー了ー。
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