かまわないと、事も無げに彼は言う。
セカンドセオリー
「‥‥ちったァかまえっつの!このバカが!!」
そう言って三上亮が蹴り開けたのは、定形外の(‥‥なんて普通の言葉で括っていいものやら謎な程には妙ちきりんな)不破家のドア、一人息子の私室の、其れで。
幾度も訪れているこの部屋と見慣れたドア、普段そんなことをしようものならば、理路整然とし過ぎな口調で、ドアノブの存在理由であるとか扉の持つ形而上形而下の意味の相違であるとか果ては障子と木製およびそれに類する様式扉の歴史をとうとうと述べて文句の代わりとするこの部屋の主も、今日ばかりはそんな言葉を発することもなく。
「‥‥ったりまえだ!オラ、とっとと布団に入れ!」
入れ、といいながら、半ば投げるようにして凭れかからせていた身体を、ベッドへと降ろす。‥‥その身体は、酷く熱い。
少年の重みを受けて軋んだベッドの音が、室内に反響した。
普段ならばなんでもないようなその衝撃も、発熱に弱った身体には堪えるのか、合わせて響いた、小さな呻き声。
三上はその声に、元より寄っていた眉をますます顰めて、小さく舌打ちした。
久々二人のオフが重なった、休日。
距離と時間に隔てられた恋人たちが、その日を利用しないわけもなく。
見上げれば澄み切った空の青、透きとおった秋の大気は、やがてくるであろう冬を彷彿とさせる美しさと、そして冷ややかさを保っていた、今日、この日の待ち合わせ。
寒風吹き荒ぶ待ち合わせ場所、潤んだその目に、赤みを増した肌に、恋人たる自分が気づかないとでも思ったのか。
『‥‥って、バカかお前は!そりゃ風邪だ、寝てろよ!』
『しかし、今日は三上と約束をしていた。』
『アホ!そんなのキャンセルすればいいだろうが、電話しろ、電話!メールでもいいから!‥‥あぁもぅッ、馬鹿みてェに高い熱でクソ寒い中突っ立って待ってんじゃねぇよ!』
『しかしこの場には座れるようなベンチなどは見受けられな‥‥』
『そうじゃねぇ!ったく自分の身体がどうなってもいいのか?!』
『かまわない。』
その応えに、血が沸き立つほど激しい怒りを覚える自分が、居た。
カラン、とキッチンスペースに小さく響いた音に、三上は数十分前に交わした会話から思考を引き戻す。
音を立てたのは手元の小さめの洗面器。キューブの氷が浮かんだ水は、薄いプラスチック越しにその冷たさを三上の手に伝える。
三上は無言でその中に、用意しておいたタオルを放り込み、ついでコンロにかけていた薬缶を下ろした。注ぎ口からは白い蒸気が緩く立ち昇っている。
三上はその半分ほどを流しにおかれた桶に移した。朦々と蒸気が視界を白く覆ったが、三上は気にした様子もなく、表情少なにこれにもタオルを、此方は数枚放り込んだ。蛇口から水を足し、火傷しないほどの(それでもかなり熱い)温度にすると、浸したタオルを硬く絞る。
全て絞り終えたタオルと、先の氷水の張られた洗面器、それから乾いたタオルを、これまた用意しておいた盆に纏めて乗せ、それを片手で器用に持ち上げると、もう片方にはだいぶ軽くなった、湯の入った薬缶を携えて、三上は静かな‥‥‥そう、先ほどこの家に、不破を半ば抱えるように帰ってきたときとは全く正対する、静かな足取りで、その部屋へと向かった。
カチャリと開けたドアの向こうは静まり返っていて。
足音を殺して近づけば、僅かの呼吸音が伝わる。
軽く開けた口から漏れるのは、普段とは違う、浅く忙しない、熱を持った其れ。
「‥‥不破?」
「‥‥‥‥み、かみ。」
うっすらと開けられた瞳は潤み、普段よりもその色を濃くしていた。
三上は声が返ってきたことに、不破には悟られないほどに小さな息をつく。手に持っていた荷物を、枕元より少し遠い床に直に置いた。
そして、先ほど怒鳴りつけてベッドにその身体を押し込んだ、恋人の顔を、そっと覗き込む。
「着替えたか?」
「‥‥うむ。」
「まだ、寒いか?」
「寒い、というか‥‥なんだか、身体の奥が、むずむずする、な。」
「そりゃ寒気っつーんだよ。‥‥いいから、もう寝ろ。」
発熱のためか、普段よりも些か舌足らずな口調の答えに、三上は苦笑交じりの静かな口調で応じた。
立ち上がり、部屋の空気を入れ替えるために僅かに開けていた窓をキチリと閉める。手早く室温を上げるためにつけていたエアコンを切り、持ってきていた熱湯入りの薬缶の蓋を、僅かに開けた。室内を適度な湿度に保つには、此方のほうが良いのだ。エアコンでは乾きすぎる。
不破の答えからすると、まだまだ熱は上がりそうだ。
呼吸は浅く、外から連れ帰った(というか連行した)時には目立たなかった汗も、首や額にかき始めている。
(‥‥一眠りしたら、着替えさせてメシと薬だな)
三上は頭の中で簡単な看護計画を立てつつ、持ってきた熱したタオルで、不破の顔と首筋辺りを拭いてやる。
口元を掠めた手首に熱い息がかかって、三上は少し、胸が痛かった。
『かまわない。』と。彼は言うのだ。
不破はよく、この言葉を使った。
例えば二人でいるとき、何処に行くかとか何をするかとか。
三上の出した案を、不破が断る事は、殆ど無い。
確かに、全てにおいて諾と諒承するわけではなく、判らない言葉などについては、疑問を返してくる。不明瞭な部分には鋭い指摘も入れてくる。三上はそれに相応の言葉を返す。
すると、不破はいうのだ。
ぱちぱちと瞬きをして、いつもどおりの、淡々とした彼らしい、三上の好きな表情で。
『かまわない。』と。
最初これに気がついたときは、可愛いやら面白いやらで、ちょっとした悪戯めいた無体を要求した事もあったけれど。
気づいたのだ。
彼が、本当に、かまわないのは、
「‥‥三上。」
「‥‥‥‥と、ワリィ、起こしたか。」
一通り顔を拭き終わり、温くなったタオルを置いて三上が不破の髪を梳いたとき、すぅと不破の瞼が上がった。意識が朦朧としているのか、普段のような、鋭利なまでの眼差しは無い。
三上は一旦止めた、髪を梳く手を再びゆるゆると再開させた。
枕に沈む不破の頭が僅かに揺れたが、それ以上の抵抗はない。
‥‥不破は、三上のする事に本気で抵抗する事は、ない。
「みか、み。」
「‥‥何。」
「今日は、すまなかった。」
出かける約束をしていたのに、と。掠れ始めた声が言う。
三上はそれを聞くと、ハァ、とわざとらしい溜息をついてみせた。
「‥‥だっから、風邪引いてるのに無理するなって、いってんだろうが。」
「しかし、」
「いいんだよ、風邪引いたんだから、仕方ねーだろ。」
「‥‥俺は、あのまま出かけても、かまわないのに。」
零れたその言葉は、不破の良く使う言葉で。
よく使うその言葉には、嘘が無く、自然で。
彼が構わないのは、彼自身なのだ。
いっそそれは無頓着なほどに。不破は、自分の身体を顧みようとしない。
それは自棄をおこしているとか、自分の身体に不満があるとか、そういう感情以前な問題で、なんというか、彼は文字通り、自分を顧みないのである。
三上がそう思い至ったときは、愕然とした。
人間は多かれ少なかれ、『自分』を基本に生きるものだ。
どんな行動であれ、それが自分にどのような影響を及ぼすか、それが自分にとってプラスかマイナスか。必ず考える。それが人間、動物というものだ。
勿論、不破とて考えてはいるだろう。‥‥が、それが、いっそ不思議な程に、少ないのだ。
だから彼は言う、構わない、と。
それ以来、その言葉は三上にとって酷く腹立たしく、切ない言葉になった。
不意に止まった撫ぜる手を不審に思ったのか、まどろんでいた不破がゆるゆると瞼を上げた。
潤んだ瞳が、三上には酷く腹立たしく、切なく、愛しい。
「‥‥みか、」
「なぁ、不破、お前頼むから、もうちょっとでいいから、自分に構えよ。‥‥俺は、此処に居るぜ?」
零れ落ちた三上の言葉に、不破はほんの少し、目を見張った。
三上はその目を、綺麗な愛しいその人を見て言葉を続ける。
この言葉が届けばいい、心が届けばいいと願いながら。
「お前が、自分に構いすぎてどんな我侭言っても、俺は此処に居るし、離れてなんかやんねぇし。‥‥もっともっと、いろいろ言えよ、もっと、自分を構えよ‥‥。もう、」
‥‥構わないなんて、言うな。
三上は言葉をつむぎながら、強く願う。
ベッドサイドに膝をついて、頭を不破の眠るベッドに押し付けて。それは宛ら祈りのごとき姿で。
窓もドアも閉じられた室内は、時が止まったかのような静寂の世界。
時を動かしたのは、熱に浮かされた、熱いてのひらだ。
「‥‥三上。」
頭を撫ぜられる感触に、先ほどとは正反対だ、と三上はぼんやりと思った。
熱い指先は暫し迷ったように髪を撫ぜていたのだが、ツ、と引かれる感触に三上は顔を上げた。
其処には相変わらず伏したまま、顔だけを此方に向けている不破がいた。布団から出された手が、上げられた三上の頭から滑り落ちて、ぱたりと布団の上に落ちる。
それを半ば無意識に追っていた視線は、次の不破の言葉でその顔に吸い寄せられた。
「三上、俺はお前が思っているほど、自分に無頓着でもなければ、欲が無いわけでは、ないぞ。」
掠れてはいるけれど、しっかりとした声に、三上は僅かに目を見開く。
その三上の表情を不破がどう思ったのか、それは熱に浮かされても変わらない不破の、淡々とした表情からは伺えないけれど。
ひたりと合わされた視線は、言葉では補えない、何かを語っていた。
「俺は、必要なものは必ず手に入れる。欲しいと思う、ものもある。‥‥ただ、構わない、というのは、本当かも、しれん。」
「‥‥ッだから、其れが‥‥ッ!」
「苦労して、手に入れた、三上を構うのに必死で、あまり自分を構っている暇は、ないのだ。」
かまわない、と事も無げに言っていた、不破。
「欲求なら、たくさんある。欲しいものもな。‥‥三上に、もっと構いたいし、もっと、一緒にいたい。三上が思っているほど、俺は無欲では、ないぞ。」
どちらかといえば、俺のほうがお前より欲深だろう。
そう、最後のほうは溜息のような掠れた声音で不破はそういうと、目を閉じた。すぅ、と息が深くなって、半ば気絶同然に眠りに落ちたようだ。‥‥高熱を発しながら話したのだ、疲れたのだろう。当然といえば当然の成り行きである。‥‥が、
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。あー‥‥。」
ベッドサイド、一人残された三上としては、やりきれなかった。‥‥嬉しすぎて。
上げた頭を、そのままもう一度布団の上へと落とす。たった二人しか居ない室内、そのうち一人は眠っていて、何を憚るわけでもないのだが、三上はとにかく顔を伏せた。
鏡など見ずとも、耳まで赤い事は確実だ。知らずほころぶ口元に、なんとも言いがたい気分に襲われる。
「‥‥あー‥‥、もー。ったく、俺としたことが‥‥。」
しばらく布団と仲良しになっていた三上だが、暫し後にぶつぶつと呟きながら、なんとか赤みのだいぶ治まった顔を上げた。
視線は横に流しつつ、尚も何事かを口の中で唱えていたのだけれど。
ふ、と眠る恋人に視線を合わせる。
かまわない、と事も無げに言っていた、不破。愛しい恋人よ。
「‥‥仕方がねーから、思う存分構わせてやるよ。‥‥代わりに、お前には、俺が嫌ってほど構い倒してやっからな。」
覚悟しやがれ。チキショウめ。
眠るその人へ、囁くようにそう告げて。
三上は薄く開いて呼吸する、熱い唇に、契約代わりのくちづけ一つ。
とりあえずはさっさと風邪を治して、二人で遊びに行こう。
構い倒してやるから、覚悟しやがれ。
end.(10.17/2002)
‥‥一番入れたかった台詞が入ってない‥‥(笑)
てゆか、コレは勝手にリクプレゼントっていうか(苦笑)
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