「1/fゆらぎ」

電気的導体に電流を流した際の抵抗値が示すゆらぎ、周波数fに反比例するパワースペクトル。ろうそくの炎、そよ風、せせらぎなどの様々な自然現象、人の心拍の間隔などから検出され、一般に「快適感を与える」と考えられている。人体のリズムは「1/fゆらぎ」になっているという。
不規則さと規則正しさが絶妙に調和している状態。

その発生機構は、未だ解明されていない。

















プライヴェートF


















その姿を見てまず思ったのは、珍しい、の一言だった。

不破大地という人間は、平和的に言えばちょっと変わった人物だ。
嘘みたいに頭が良くて、呆れるほどにもの知らず。そんな相反する側面をこれまた嘘みたいに一つの身体に同居させてしまっている。変わっている、としかいいようがない。まったくもって、見ていて飽きない。
ひょんなことから知り合って、ちょっとしたきっかけで話すようになり、うっかりお付き合い、などというものを始めてからこちらも、三上の不破に対するその評価は変わることなく。

そんなわけで、目の前のずいぶんと「普通」っぽいその光景は、やはり三上にとっては珍しい、と評するほかないものであった。

キャスターつきの椅子に座り机についた両肘、組んだ手のひらにあごを乗せて、春の日差しが窓から零れる手元には横書きの小さな文字、図説がびっしりと詰った本。
ゆるやかに揺れる頭につられて、ふわりふわりと髪がそよいでいる。
緩くほころんだ唇はごく浅い息を繰り返していた。

いつも強い視線を返してくる眼は、長めの前髪に隠れて見えない。‥‥が、その両の眼が前髪より先に、薄い瞼に隠されているのは、あえて確かめるまでもなかった。

「コイツでも、居眠りとかすんだな‥‥」

呟かれた三上の言葉にも、いつもの淡々と理論的で時折り素っ頓狂な言葉が返されることもなく。
静かな室内に相応しい、静かな動作で三上はその足元に腰をおろした。
何某かの理論を証明するだのなんだのと、いつだったか聞いた理由で(さっぱり理解できない内容だったので適当に聞き流していた)施されたとかいう不破の私室の防音は完璧で、天井から床まで続く本棚以外の壁の一面を広く切り取ったガラス窓にもかかわらず、外界の音をほぼ完全にシャットアウトしていた。静かな室内を満たすのは、零れるような春の陽気と、部屋の主の静かな寝息だけだ。
三上は仰のくようにして不破を見上げる。
普段にはない下から見上げる視界というのは、不思議な世界だった。

襟足からくっきりと色を分かつ、まだ大人になりきらない曲線の咽喉のライン。鋭角な顎から耳へと続く線、長めの髪が耳と襟足を覆っていた。
組まれた手のひらに逆光の影が淡く濃く、肌の色をおぼろにしている。
そしてその向こう、光を透かして茶金に見える髪の先。
静かな寝息と時折り揺れる頭にふわりふわりとそよいで、それは今は閉ざされている強い眼を、優しく包み込んでいるかのように思えた。

どこか落ち着かないような、それでいて妙に目を惹きつけられる光景。

「1/f、ゆらぎ」

思い出したのは、これもまたこの静かな部屋で読んだ、学術書の一文だった。

不破の部屋には、三上がこれまで知っていた世界とは一風違った本や物がたくさんあって、あの本もそんなもののうちのひとつだったと思い返す。
特に興味があったわけではない。けれど知識として取り入れるには妙に心惹かれたことも事実で、借りて帰った本をベッドの中で読みながら、つくづくと思い出していたものだ。

「‥‥不規則さと規則正しさが絶妙に調和している状態、だってさ。ホントお前、そのまんまじゃん」

不規則さと規則正しさの調和。
それはまさに不破大地という、人間そのもののような、と。

理路整然と突拍子もない事を言い、溢れるほどの知識を身体に詰め込みながらどこかが真っ白で。
変わっているとしかいいようがない。見ていて飽きない。‥‥喩えようもなく、可愛い。

「‥‥三上」
「起きたか」

降ってきた声に三上は再び顔を仰のかせて不破を見上げた。
普段と違う視界はやはりどこか不思議なものだったが、ただそこにヒタリとこちらに向けられる視線があるだけで、三上の心を跳ねさせ、落ち着かせる。

「‥‥起きてねぇな。まだ眠ィんだろ、寝てろよ」
「む‥‥」

普段よりとろりとした眼に三上は笑う。
笑って、ちょうど三上の肩辺りにある恋人の膝を撫でてやりながら静かな声でそう言うと、やはり珍しくまだ半分眠りの世界の住人なのか、どこか茫洋とした返答ともなんともつかない声が返ってきた。それにまた、笑う。

「珍しいよな、お前が居眠りしてんの初めて見たぜ。てっきりどっかに起動スイッチがあるものだとばかり思ってたけどよ」
「‥‥省エネモードなのだ」
「なんだそりゃ」

とろりとした声ながらも不破らしい、微妙に焦点の外れた会話に三上は笑う。 本当に、飽きないし、見ていて楽しいし‥‥、

「‥‥三上」
「んー?‥‥ッと、」

ドサリと、いっそ椅子から降りるというより落ちると表現したほうが正解な動作で隣りに座り込んだ不破が、肩に頭を持たせかけてから、とろりとした声と目で告げた。

「お前の肩のほうが、よく眠れそうだ。‥‥声が、気持ちいい。温かいし、‥‥心音が。気持ちがいい」




‥‥‥‥楽しいし、とても、可愛い。




俺は枕代わりかよ、と呟いた声は不破には届かなかったかもしれない。
別にいいと思った。赤くなった顔を見られるのは、やはり決まりが悪い。
再び静けさを取り戻した室内に、窓越しの春の日差しがほんのりとしたあたたかさを齎している。
眠り込んでしまった寝息と重みに、心地よさと愛しさを感じながら、三上もまた眠りに誘われていった。




抱き寄せた身体に、春の陽気だけではない、温かさを胸に落とし込みながら。





end.(03.28/2007)
それは誰もが持つ、複雑精妙な恋のゆらぎ。

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