子どもっぽいなんて思われたくないんだ。
『好き嫌いって、ワガママこいてんじゃねぇ!ガキかテメェはッ!』






















Winter Warmer


















カチン、と錠の下りる音が辺りの空気を震わせる。
妙にクリアに響く音。辺りを包む空気は冷たく澄んで、これでもかとばかりに冬を主張中だ。そのせいかもしれない、と笠井は思った。
‥‥と言っても、夏に此処の鍵を閉めた事は、まだないのだが。

「‥‥これがあと、一年は続くんだよなぁ‥‥。」

ふ、とため息未満の短い息が、笠井の口から零れ落ちた。
零れた息は濃い白のまま、とうに陽の落ちた宵の闇を昇っていく。見上げた先は黒とも紺ともつかない空。月は無い。

‥‥そういえば、最後の辺り曇ってきてたっけ。明日、雨かも。誠二のやつ、ちゃんとその辺汲んだメニュー立ててればいいんだけど‥‥。

思考につられ無意識に身体を動かしたのか、シャリ、と手元で硬質な音。笠井は視線を手元へと遣る。手首に掛けた鍵束‥‥部室や用具庫、学校舎の非常用口、寮玄関など、多種多様且つ重要な鍵類だ。
それは、部内でただ一人、主将のみが所有し得るもの。

「っていうか、だから俺が持ってちゃ駄目なんだけど。」

しかし、此れの前所有者であり敬愛する先輩は、その鍵の正統な次期所有者の前をあっさりとスルーし、あっけにとられて瞬きする笠井の目の前で優雅に笑って、言ってのけたのだ。

『この鍵全てのスペアキーを何度も作っては部費が嵩むからな。』

「確かに誠二に持たせたら、絶対落とすけど。」

笠井はその、引退式の最後に起こった部員全員による大爆笑やら、笑いを堪えるためか口元を押さえつつも、渋沢が選択した行為自体に反対はしない監督コーチ陣やら、何でですかーっ!と噛み付く新キャプテンの友人を思い出し、先程より些か大きな、ため息をつく。
白々とした呼気は、やはり白いままゆるゆると昇っていく。
シャリン、とまた鍵束が鳴いた。その音に、笠井は手首から鍵束を抜く。指先に触れた小さな金属は痛いほどの冷たさで、笠井は思いきり眉を顰めた。

面倒だ、なんて言いはしない。
事実、此れ如き彼は面倒とも思っていなかった。

だが、しかし。

「‥‥‥‥ッ。」

吹きつける風に笠井は身を震わせた。
冷たい風を表現するのに身を切るような、というものがあるが、今日の風は正にその表現がぴたりと当てはまるものだった。
太陽は落ちて久しく、気温はぐんぐんと下がっている時間帯である。先ほどまで相当量の運動をこなし、ほぐれて熱を保っていてくれた筋肉は、反動として冷気に敏感になっていた。

‥‥というか、それ以前の問題として。

「‥‥ッたく、冬なんてなけりゃいいのに‥‥ッ!」

はき捨てるかのごとき口調は、笠井の現在の温度‥‥冬に対する心情を正確に語る。

笠井は、冬が嫌いな少年だった。

私立の学校ゆえ、校舎やクラブハウスといったものにたっぷりと財をつぎ込んである(要するに冷暖房設備が整っている)点を、笠井はこの学校に来て2番目によかったと本気で思っている。それくらい、寒さを嫌悪していた。
なのにこの寒い中、何の因果か鍵当番。いや、当番制ならまだしも、この先(多分)一年間だ。まぁ、一年ずっと冬なわけではないのだが。
面倒だとか、嫌だとか。そんなことは口には出さないものの、これからますますきつくなるであろう冬に、冬嫌いの一少年が多少辟易したところで誰が責めようか。

「‥‥辞めないけどさ。」

ポツリと、笠井は呟いた。
そう、笠井は辞めない。何があっても、辞めないと。
そう決めていた。




『好き嫌いって、ワガママこいてんじゃねぇ!ガキかテメェはッ!』




それは、とても些細な言葉だった。
しかも自分に言われたものではない言葉。

彼にとり重要なのは、それを言った人物。

「‥‥‥‥冬が嫌いとかって、子どもっぽいかな‥‥。」

寒いのは嫌い。冬が嫌い凄く嫌い。冬なんてなくなってしまえばいい。
でも、ガキっぽいとかってあの人に言われるのだけは、絶対に嫌。
それでなくともの学年差。
どんなに頑張ってもどうしようもない、たった一年、されど一年。
その上にガキっぽいところなんて、絶対に見せられない。見せたくない。

‥‥でも寒い。

「ってか、あのバカが鍵なくさずに持てればいいだけなのにっバカ誠二!!俺は寒いのは嫌いなんだよッ」
「誰が馬鹿って?」

「‥‥ッ三上先輩?!」

立ち止まり、これ以上ないというほどのスピードで声のほうを振り向いたその先には、薄暗い外灯の下、決して違う事は無い、愛しい人の、姿があって。

「笠井、今帰りか?お疲れサン。」
「え、あ‥‥はい、」

言いながら歩み寄ってきたのは制服姿の、三上であった。

引退した三年生は、現在は進級試験‥‥実質の高等部入試を目前に控え、現在は自由登校期間である。余程の成績をとらない限りは保証される高等部入学であり、また一芸(サッカー)推薦で中等部に入学した三上や渋沢ら前一軍レギュラーの多くは、進級試験前より高等部の部活に仮参加していたが、数日後に迫った試験にあわせて現在はそれも休んでいる。
従って、この時間帯、生徒の9割以上が帰寮した学園敷地内にて出くわす事は、無い筈なのだが。
そのときの笠井は、よほど奇妙な顔をしていたのだろう、苦笑めいた笑みとともに、今日は三年は二者面談だったんだよ、と三上が告げた。
普段どおりのシニカルだけれど、どこか柔らかいその表情。
その姿を視線で追いながら、笠井は立ち尽くしたまま、曖昧な相づちともつかない言葉を返した。
三上はそのまま笠井の横を通り過ぎる。ふわりと冷えた空気と、彼の匂いが笠井の元へと届いた。

「‥‥?おい、置いてくぜ。」
「ッあ、ハイ!」

帰るんだろ?と訝しげな表情で振り返った、少し先に佇む三上に、笠井は慌てて駆け寄る。白い息が宵闇に踊る。肩に掛けたドラムバッグに体勢を崩し、落としかけたが、そんなことは気にならない。
走って横に並んできた笠井に三上は何を言うでもなく、視線を進行方向に戻すと、歩き始めた。
それはなんとも愛想の無いように感じられる仕草だが、この一つ年上の綺麗な先輩が、笠井と一緒に帰る、という行為を『当然』のこととして受け止めている証左であり、そういうとき笠井は、『自分だけ』に許されることへの、優越感を感じていた。

‥‥のだが。

「笠井、冬が嫌いなわけ?」
「え、」




『好き嫌いって、ワガママこいてんじゃねぇ!ガキかテメェはッ!』




「‥‥え?」
「え、だってさっきめっちゃハイスピードで歩きながら言ってなかったか?」
「‥‥ッ?!き、聞こえてたんですか?!」

今度こそ笠井は肩に掛けたバッグを落としてしまう。ドサリという重い音(勉強道具から部活につかうユニフォーム一式まで詰まっているのだから当たり前だ)に、隣りを歩いていた三上のほうが驚いた表情をしてみせた。畢竟二人の足は止まる。
普段から余裕然としたシニカルな笑みを絶やさない三上が、こういった風に素の表情を見せる事は滅多に無いのだが、そのことにも今の笠井は気がつかない。




『好き嫌いって、ワガママこいてんじゃねぇ!ガキかテメェはッ!』




それは、昨晩食堂にて。
夕食に出されたニンジンを食べようとしない藤代に、向かいに座った渋沢が諭していたときのこと。
あんまり強硬に嫌がる藤代に、渋沢の隣りでキレた三上が発した言葉。
自分は藤代の隣りにいて。

一つ年下の自分は。

‥‥冬が嫌いな、自分は。




「‥‥‥‥ガキっぽいですか?」
「へ?」

三上は、落とした鞄を拾うでもなく、俯き加減に立ち尽くす後輩の横で、しばらく付き合うように黙っていたのだが、ボソボソと発せられたその言葉に、少々間の抜けた相づちを返してしまった。
しかし笠井はこれまた気がつかない。

「おい、笠‥‥」
「三上先輩っ!」
「え、はいッ?!」

だって、彼は必死だったのだから。

「俺は確かに先輩より一つ年下でなんか猫っぽいとか忍者じゃねぇかとか藤代をアゴで使ってる腹黒だとか言われていますけど!ってか実際その通りなんですけど(いや忍者とかいうのは別ですが!)、そ、れに、冬が嫌いっていうのも、本当、なんですけど‥‥。」

たった一年、されど一年。
目の前の、恋人よりも子どもという事実は変わらなくて。
子どもっぽいなんて思われたくないのに。

「好きだの嫌いだの、そういうのガキっぽいって‥‥、」




冬嫌いの自分。寒さが嫌いな自分。
嫌い嫌いなんていうのって、子どもっぽい。

‥‥そういう俺は、嫌われる?




ふ、と空気が震えた。
空気が、というか、隣りに立つ気配が。
それから、クスクスと小さな、笑い声。

「‥‥え、ちょっと三上先ぱ‥‥、」
「‥‥‥‥ッ笠井、お前ホンット可愛いーなー!」
「‥‥‥‥‥‥‥‥は?‥ぁぅ!?」

たっぷり溜めての笠井の声は、三上の鞄が投げだされた音と、鞄の持ち主の制服に吸い込まれた。‥‥抱き締められた、三上の身体の、腕の中の温かさ。匂い。

「‥‥あー、マジ可愛くて持って帰りてぇ‥‥。ってか攫う?」
「ちょっと先輩っ!なんかキャラ違いますよ!?」

‥‥微妙に間の抜けた会話(未満)をしていることに、当人達は全く気がついていない。
抱き締められた腕(まだまだ三上のほうが背が高いため、笠井には少々不本意ながらも抱きつかれ、よりも抱き締められ、の方が正しいのである)の中、わたわたと暴れることで、なんとかその腕から抜け出した笠井は、軽いパニック状態のまま、ごく間近の、三上の顔を見上げて。






「バカ、俺はお前が、好きなんだよ。何が好きで何が嫌いでも、それがお前だろーが?」






一つ年上の、綺麗な先輩、綺麗な、恋人の笑顔。






「‥‥そ、うですか、」
「おう。」
「冬、が嫌いなんです、俺。」
「そか。」
「だって寒いし。」
「まぁなー、普通冬は寒いよな。」

身を切るような風の中、互いに鞄を拾って歩き出しながら。
俺は結構好きだけどと、歌うように言って尚上機嫌な三上は、ふと何かを思いついたように瞬きを一つしたあと、並んで歩く隣りから笠井の顔を覗き込むようにして、告げた。

「それじゃあ、」
「‥‥?」

年上の綺麗な綺麗な先輩は、とても可愛く愛らしく。


「俺がお前の代わりに冬、好きでいてやるな。」


子どもみたいな笑顔で、そう言ったので。


「三上先輩こそ可愛いですよねぇ‥‥。持って帰りたい。」
「先着一名様、受付中だぜ?」
「‥‥それじゃ、遠慮なく。」








冬嫌いの少年は、子どもみたいに笑う恋人に、大人のキスを贈ったのだった。





end.(11.17/2002)

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