唖然という言葉がまさしくピタリとくるそんな呟きは、小気味良い音を立てて開けられたカーテンの傍から。
「うーん、でも、天気予報では確かに言ってましたし。」
「いやそれにしたってさ!?」
「苦手だ」という早朝にも関わらず、めずらしくテンションの高い返事に、笠井はあたたかい布団に包まれたまま忍び笑う。
普段であればそんな自分に即座に気がつき、眉のひとつも顰めたろう人はといえば、未だ自ら開け放ったカーテンの裾を掴んだまま、視線は窓の外に釘づけだ。
冬の早朝らしく、窓の向こうは未だ明けやらぬ闇を残しつつ‥‥やわらかく光を放っている。
雪あかりというものは意外と明るいんだな、なんて、窓際に立ちその端整な顔立ちを浮かび上がらせている三上を見つめながら、笠井は思った。
「あー‥‥ていうか、昨日までの好天はなんだったんだ?」
独り言めいた響きを持って呟かれる三上の科白に、笠井は内心で深く頷いた。
「今年は暖冬です」なんて気象予報士の無味乾燥な解説を聞かずとも、一歩戸外へと踏み出せば納得するしかない、という陽気続きだった、一年で最後の月。
野外でのスポーツをする身としてはその好天は喜ばしいような、妙に物足りないような気分にさせる不思議な天気で‥‥寒さの苦手な笠井にとっては快哉をあげたくなるような天候であった。冗談交じりに雪の中でサッカーしたい!などと朗らかに声を上げていた親友であるエース兼キャプテンを、にっこり笑いながら殴ったのを思い出す。寒いのは、嫌いなのだ。
よもやそんな殴られて涙目の藤代の願いを、天候の神様が聞き入れたわけでもあるまいが、数日前にちらりと見た天気予報のテレビ画面には、大きなユキダルマのマークが踊っていた。だがしかし、やはり一向に色味を増すことのない、白い息の具合だとかに、そんな予報も記憶の彼方へと忘れ去られようとしていた矢先の、本日早朝。
『‥‥先輩?』
『なんか、変じゃねぇ?』
腕の中で身動ぎする温かい身体に眠気を残した声を掛ければ、珍しくもはっきりとした恋人の声が返ってきた。
しかしその三上の言葉を起き抜けの笠井が理解するよりも早く、温かな身体が腕の中から抜け出ていく。残されたのはふわりと香る三上の匂いと、布団の中に滑り込んでくる冷気と、
『‥‥‥‥え、ちょっ、雪ー?!』
引き開けたカーテンを握り締めて、驚きの感情を素直に乗せた三上の声と。
「つか、マジありえねぇ。なんなんだ?藤代の呪いか?」
未だ窓際に立つ三上は呆然と外へ視線をやったまま、一つ年下のエースへと甚だしいまでの言い掛かりを呟いている。
「何、そんなに降ってるんですか?」
「んー、‥‥グランド使い物になるギリギリ、って辺り?」
「監督とコーチの連絡待ちですね、それは‥‥。」
朝食前にきっと舎監のほうへ監督から連絡が入るだろう。
朝から聞かされる生真面目な桐原の声を、天真爛漫なキャプテンのサポートとして就任した副主将として、疎ましいとまでは言わないものの、あれやこれやと出されるだろう指示に笠井はほんの少しだけ気分を滅入させた。
ふぅと息をつけば、毛足の長いお気に入りの毛布がふわりと波打つ。
頬に当たるのはやわらかいシーツ、早めにあったかい起毛のものに替えておいてよかった。
しかし、寒い。本当に寒い。
「三上先輩。」
「んー?」
生返事は、未だ窓の向こうに心を残した人の声。
雪明りをうけて、綺麗な横顔。
‥‥寒い。
「三上先輩ってば。」
「だから何だよ?」
「寒くないんですか?」
「や、まぁ寒いといえば寒いけど。」
「俺は寒いです。」
「布団にくるまったままで出てきもしねぇクセに何いってんですかねーこのコは?」
「先輩、あっためてください。」
「‥‥は?」
外の雪に音が吸い取られるのか、普段以上に静けさを増しているような気がする室内は、三上の振り向く音さえ判る気がして、笠井はそっと耳を澄ませる。
サラリと揺れる漆黒の髪が雪あかりを受けて綺麗。
寄越された視線は、良く澄んだ青い空のように透明。
‥‥寒いんだってば、先輩。
「朝から寒いし雪は降るし、起きたら起きたで監督のお説教きかなきゃいけないし、練習のメニューも組みなおさないといけないし。三上先輩は雪に気を取られちゃってるしせっかく一緒に寝てたのにさっさと俺置いて出ていっちゃうし。気が滅入って寒くてたまりません。先輩、責任とって。」
‥‥だから雪なんか見てないで、俺を構って?
一瞬後、包み込まれた温かい腕と、耳元で響く忍び笑いに、笠井はふさりと目を閉じる。
雪に嫉妬してんじゃねーよ、なんて言葉を耳元で囁かれて、その息の熱さと言葉の甘さに、ふるりと身体がひとつ震えた。
「何、まだ寒いんですかー笠井くん?」
「寒いです。」
「仕方ねぇの。‥‥ホラ、こっち来な。」
そういって抱き寄せられる、その身体を引っ張り返して布団の中に引き摺り込む。 布団の中は変わらず暖かかったけれど、恋人を取り返した布団の中は、それ以上に暖かくて、甘かった。
外は雪。真白く冷たい欠片をその身に受けて、駆け出す時間はもう直ぐそこに。
けれどもう暫くだけ目を閉じて、甘く温かな恋人の腕を楽しんでいよう。