淡く儚い冬の太陽、おぼろな熱が指先にひとつ。
プライベート・サン
風の訪いを受けた窓が、軽い音を立ててその来訪を部屋の主に告げる。
もっとも当の主である少年は、硬く閉ざした硝子越し、さもいやそうな顔をして膝に掛けたブランケットを手繰り寄せたのみで、その来訪を温かく迎え入れることは決してしなかったが。
視線を遣れば、薄曇りの空にいかにも弱々しい冬の太陽がぼんやりと浮いている。ものの4ヶ月前に灼熱地獄の如き熱をもたらしていた荒々しさがまるで嘘のように、吹き荒ぶ冬風に洗われるその光は淡く、儚い。
少年はため息をついた。
彼は冬が苦手だった。
簡単に言えば、寒いのが嫌いなのである。
吐き出した息の白さも嫌いだし、窓を開ければ吹き付ける凍てつくような風も嫌いだ。冬日の練習開始の号令はいつだってため息を飲み込んで無理やりに淡々と告げるものだから、サッカー部副主将を引き継いで以来、後輩には無闇に恐れられる始末だ。いいことなんて、一つもない。
少年は再度ため息をつくと、窓から零れる淡い光に視線を転じた。
冬の太陽は淡い色で、飴色の床に白っぽい文様を描き落としていた。じっと見ていると、時折りふわりと揺らいだ陰のようなものが走る。見上げた窓の向うには、特に影に映りこみそうなものはないが、奔る冬風がどこからか影を連れて来ているのだろう。それは少しだけ綺麗かも、とぼんやりと思う。
そして、そのぼんやりとした思いのまま、光の落ちる床へと手を伸ばした。
膝の上からブランケットが滑り落ちる。膝の上を撫ぜたひやりとした空気は無視して、伸ばした指先を静かに光に触れさせた。
ひんやりとした床の冷たさと同時に、うすらぼやけた淡い熱が指先を微かに、確かに包み込んだ。
知らず少年は微笑む。
冬の弱々しい太陽は、落とす影の輪郭さえ儚く曖昧で。
けれど確かに其処にはいくばくかの熱があり、それはひとを、自分を否応なしに惹きつける。
それは、まるで
「‥‥なにやってんの、お前」
「三上先輩」
床にじかに座った体勢から振り仰げば、逆しまに見慣れた呆れ顔が見えた。
それに笠井はにこりと笑顔を返すと、そのまま後ろへと倒れこむように身体を傾ける。慣性と重力に従えばそのまま冷たい床へ背中からダイブだろうが、その前にやや硬くて床よりはあたたかい、三上の膝下に当たって止まった。
なにやってんのお前、と同じ台詞が落とされる。
「いやぁ、いい背凭れがあるなあと」
「俺の脚は椅子か何かか」
「そんな先輩の脚を椅子だなんて恐れ多い。ていうかこんな硬い椅子ヤです」
「勝手にもたれかかってきてその言い草かよ。ったく‥‥」
あまりに悪びれない態度に呆れたのか、三上がため息をつく。と同時に、もたれていた膝頭でぐりぐりと頭をつついてきた。少し冷たい膝は、練習着のジャージの感触だ。
既に武蔵森中等部サッカー部を引退した三年には、決まった練習日というものはない。とはいえ、高等部編入、または他校のサッカー推薦入学が決まっている者達は内々に渡されるスケジュールをこなしているし、またランニングその他フィジカルトレーニングを自主練として己に課す者もいた。三上もその内の、一人だ。
外から帰ってきたばかりなのだろう、少しひんやりとした膝が笠井の髪をかきまぜて耳元で乾いた音を立てる。それを嫌って頭を振れば、頭上の三上が笑ったのが聞こえた。
その含みのない笑い声に、思わず笠井も笑ってしまう。
「もう、やめて下さいってば」
「背凭れの反撃」
「じゃあ、‥‥凭れてる人間の反撃」
「え?うわッ」
不意に頭を上げて視線を正面からかち合わせれば、三上のじゃれつくように追いかけて来る膝が一瞬止まる。その瞬間を逃さず、笠井はそのひとの膝と腰を掴まえるようにして、思いきり自分のほうへと引き倒した。
「‥‥‥‥‥‥お前ねぇ」
「ああ、やっぱり背凭れはやわらかくてあったかいほうが好みですね」
「ったく‥‥」
急激な視界の転回に一瞬身体を硬くした三上を、正面から抱きこむように(といっても二人の体格差上、抱きつくように、と言ったほうが正しいのだが)抱きしめれば、いつもながらの呆れ声が耳元をくすぐる。
その胸に頭をこすりつけるように懐いて、笠井は笑った。‥‥この人は本当に、俺に甘い。
抱きしめた身体はどこかひんやりとしていた。
笠井は胸に埋めてきた顔を上げて、見上げるようにして訊ねる。
「先輩、自主練ですか?」
「あ?ああ、渋沢が走るっつーから、途中まで付き合ってきた」
「途中?」
「そのままコンビニで立ち読みしてくるんだと。なんか買って来いっつってきたから、後で俺ンとこくれば土産が走って帰ってくるぜ」
「あはは、炭酸以外だといいですね」
「‥‥無難に、アイツらしくお茶とせんべいだったらいいな」
冗談めかして笑い合うが、実際はコンビニまでの道のりの軽く数倍は走りこんできているのだろう。冬の気温にさらされた身体は、笠井の指先にひんやりとした冷気を伝えてきた。
それは外を吹き荒れる、冬の冷気。
思わず、目を閉じる。
「‥‥笠井?」
急に黙り込み、抱きついてきた笠井を訝しく思ったのだろう、三上が静かに名前を呼んだのが聞こえた。けれどそれには返事をせず、ただじっと、その身体を抱く腕に力を込めただけだ。
そんな、まるで懐いてくる動物のような様子に、三上も何かを察したのかそれ以上何を言うでもなく、好きにさせていた。
ただ、何も言わずに、そのひんやりとした腕を、笠井の背に回した。
笠井は、ふわりと笑った。
抱きしめた身体も背を抱く腕も。それは確かにひんやりと冷たいのに、なのにこんなにも心の中にあたたかな熱をもたらしてくれる。ひんやりとした身体の内側に納めている熱を、そっと分け与えてくれる。
それはさながら冬の太陽のように。
その淡い熱。その淡い、甘さが。
「‥‥先輩、冷たいです」
「あ?ああ、まぁ、外居たしな」
「でもあったかいです」
「は?」
「大好きです」
「は‥‥」
台詞のあまりの脈絡のなさにか、困惑しきった居心地悪げな恋人に、笠井はその身体から冬の冷気が抜けるまで、じっと抱きついていた。
背中に回された腕がふと動いて、笠井の髪をかき混ぜた。
熱を取り戻した指先の、荒っぽいが優しい感触に、笠井はもう一度、好きです、と呟いた。
冬の淡い太陽が、優しい文様を二人の足元に描いていた。
淡く儚い冬の太陽、あなたの齎すおぼろな熱は、私の指先から全てを温めてやまないのです。
惹かれずには、いられないのです。