手から手へ、心から心へ。
行き交うのは甘い言葉と、甘いお菓子。
年に一度の甘いイベント。
お祭り騒ぎ、じゃあ、その日が終わった後は?

甘い甘い、その行方は?










after sweets





















「うわ‥‥」

ぞんざいに積み上げられた品の中、ソレを見つけた有希は思わず唸ってしまった。




耳障り一歩前の陽気なBGMが量販店ならではのかしましさで、眩しいほどに明るい店内を満たしている。ディスカウントを喧伝する人の声が店内を乱反射して、その出所を特定できないくらいに響き渡っていた。人波というには少なく、かといって閑散としたというには多い、そんな少し早い午後のスーパーマーケットの風景は、自分に馴染むような馴染まないような、不可思議な雰囲気を湛えて有希を迎え入れていた。
幾度も訪れているこの店は、少ない部費でやりくりする必要があるマネージャーとしての彼女にはとても重宝な存在だ。勿論専門的な(例えば、テーピング用のテープであるとかだ)消耗品は置いていないにせよ、ティッシュやガーゼといった細々とした日用品、ドリンクの粉末やその他食料品はかなり安く購入できる。大量に買えば尚更だ。そんなわけで今日もまた、購入メモと荷物持ちを引き連れて、買出しに訪れていた。

会計を終えた購入品をビニール袋に次々と詰め込み、3つ目の袋に最後の品を押し込んだところで、有希はひとつ息をついた。頭上の照明にてらてらと光るビニールの白がやけに眩しい。
ちょっと買いすぎたかな、と膨れ上がったビニール袋に内心で眉を顰める。 予算的には問題ない。あるとすれば帰路にて腕にかかる荷物の重みだろう。 有希は暫くそのビニール袋を眺めやったあと、そのうちの一つをゆっくり持ち上げてみた。ガシャガシャとビニールの擦れる荒い音とともに、半分ほど持ち上げたところで少々どころでない重みが有希の腕にかかる。
重みに寄せた眉間の皺を短く息をつきながら解き、そっと荷物を元どおり梱包用の机の上に置きなおす。それから、本日連れて来た荷物持ちの、淡々とした表情を思い出しながら、辺りを見回した。

「そういえば、どこ行ったのよアイツは」

カートを押して食料品エリアを回る有希に、店内の薬品売り場で簡易的な治療薬の値段を見てくる、といって分かれた同級生の長身は、辺りを見回した限りでは見当たらなかった。
まだ薬品売り場にいるのであれば、呼びに行き一声かければ素直に戻ってくるだろう。余計なもの(お菓子とかお菓子とか、だ)を部費で買おうなんて下らないことを言わない辺りは、他のチームメイトを連れて来るよりずっと楽ではあるが、肝心の荷物持ちとしての役割を果たしてくれないでは意味がない。
もっとも、あちらはあちらで必要品を無駄なく購入してきてくれるので、楽ではあるのだが。

有希はしばらく薬品売り場があるであろう方向にじっと目を向けたあと、机の上の大荷物をチラリと見てから、暫くその場で待つことにした。特に集合時間を決めていたわけではないが、大して待つこともないはずだ。
そんな風にとりあえずの方針を決めた有希は、小さく伸びをして身体をほぐした。手押しのカートを使っていたので大して力は要らなかったのだが、それでもかなりの商品を運んだのに、それなりに体力を使っていたらしい。
口元を押えて小さくあくびをし、目元に滲んだ涙を拭いながら辺りをぐるりと見回した。
相変わらずの陽気なBGMが店内の積み上げられた商品に降り注いでいる。
有希が居るのはレジスターの近くなので、特にこれといった商品は置かれていない。代わりに、移動式のカートのようなものが店内出入り口へと続く少し広めのフロアに無造作に置かれていた。
見るともなしにそのカートを見遣る。 無造作に置かれたその中には、やはり無造作に商品が積み上げられていた。しかも、おつまみの乾物からインスタントコーヒー、お菓子や調味料に至るまで、これといった規則性のない商品ばかりだ。どうやら見切り品、若しくは棚換えでもう入荷しない商品なのだろう。
有希は一番近い位置にあるカートを遠目に眺めていた。特に探すものがあるわけでもなく、単なる暇つぶしであったのだが。

ソレを見つけた瞬間、思わず唸ってしまった。
不意に、ほんの数週間前まで店内を(どころか街中を)彩っていたデコレーションを思い出した。

有希は机の上の大荷物を横目で見たあと、そっと離れてカートへと近寄った。無造作に積まれた商品の中から、小さな箱状の品を取り上げる。
それは有希の手のひらに収まるくらいの、小さなサイズだ。アイボリーカラーのザラリとした手触りの箱には濃い赤のハートマークが控えめに描かれ、流麗な筆記体の英語が金色で綴られている。その上にはツヤツヤとした濃紺のリボンが掛けられていた。
有希は、この小さな箱の中に収められているものを知っている。
数週間前まで、専用の売り場でガラスケースの中、丁寧に積まれていたその光景を思い出す。




年に一度のイベントと、囃し立てるマスコミや売り手を、どうこう言う気は全くない。
それに乗せられて踊る人間も、それはそれで楽しそうだからきっといいのだろう。ようは、皆騒ぐ口実が欲しいだけなのだから。
甘い言葉と甘い匂い。甘い甘いお菓子も全て、いってみればお祭り騒ぎ。

‥‥だからこそ、その日が終わればあとは用無し。




「なんだかなぁ‥‥」

知らず呟いた声は、我ながらずいぶんと力ないものになったな、と有希は思った。
それは、バレンタイン用のチョコレートだった。
最近の商戦はずいぶんと長いらしく、このスーパーでも1月も半ばから専用の売り場を設けていたのを、前回の買出し時に見た事を思い出した。
赤やピンク、チョコレートカラー。甘そうなカラーリングで甘い商品をきらきらしく置いていた、あの売り場は今はもう跡形もない。
それは当たり前のことなのだ。




だって、イベントは終わってしまった。
お祭りは、過ぎたのだ。
あの日に交わされたのだろういくつもの甘いお菓子も甘い言葉も、全てが全て、過去のこと。




「‥‥やだ、これ高かったヤツじゃないの」

箱底に貼られた表示に有希は小さく呟いた。
都内の有名なパティスリーの名前。確か二粒入りで、テレビでも紹介されていて、そういえば校内で何度か遭遇したその場面でも、似た箱が受け渡しされていたような。
ふう、とため息をつく。可愛い箱に無造作に付けられた小さな値段標は、どう考えても半値以下。つやつやと、ぞんざいな扱いにもめげない濃紺のリボンがいっそ空しい。
時季を外した商品をディスカウントしてでも売ろうとする、店側には何の問題もないのだ。
ただ、なんとなく。こればかりは、自分の心情の問題なわけで。




誰かに甘い言葉と一緒に手渡される為だけに作られて。
なのに、誰にも手渡されなかった甘いお菓子が、なんだか、すごく‥‥




「小島」
「きゃあ!」

その声に、有希は本気で驚いた。
いつの間にかずいぶんと考え込んでしまっていたらしいとは、途端に耳に響いてきた陽気なBGMと、振り向いた先の珍しい驚き顔に気づかされた。

「あ、ふ、不破」

見間違えるはずもない、馴染みのチームメイトの姿を前(正確には背後)に、それでもつい名前を呼んでしまったのは自分を落ち着ける間が欲しかったからだ。
いつの間に傍に来たのか、というのは愚問だろう。‥‥自分がボンヤリしている間に決まっている。
有希は微妙に焦った気持ちで、かといってそれ以上の接ぐ言葉も見つからないまま身体ごと振り返り、傍に立つ不破の長身を見上げたのだが、彼女が何か言うより先に普段どおりの淡々とした表情に戻った不破が「驚かせてしまったか、すまん」と短く告げた。

「え?あ、違うのちょっと私がぼんやりしてたから」
「背後から声を掛けたからな。買い物は済んだか。荷物は?」
「あ、その机の上の3つ」

そうか、と言った不破が指し示した購入品のほうへと歩いていく。
ふ、と離れた熱に、ずいぶんと近くに彼が立っていたのだと、その後ろ姿を見ながら今更に気がついた。

「ごめん、ちょっと重いけど、大丈夫?」
「問題ない」

そう言うと、不破は確かに言葉どおりに楽々と持ち上げ、両脇に提げた。
ガシャガシャと鳴るビニール袋は、有希が試みに持ち上げたときよりも小さく見えた。
その袋をぼんやりと見たあと視線を上げれば、目があった。
不破の視線はいつも真っ直ぐで、彼をよく知らない人間には視線自体が圧力、なんて噂もあるけれど、チームメイトとして見慣れてしまった有希にはなんの問題もない。むしろ、潔いまでの視線は、密かに気に入っていた。

「すまんが、代わりに其れを持ってくれ」
「え?ああ、これ」

視線を追えば、小さな紙袋が机の上に置かれているのに気がつく。
先ほどまで置かれていた大荷物とは較べようもないほどの小さな袋には、薬品売り場のマークが掠れたインクでスタンプされていた。紙袋越し、うっすらと透けて見えるのは円筒形。

「コールドスプレーだ。以前行ったドラッグストアより安かったから、2本買っておいた。レシートは中に入っている」
「ありがと。後で精算するわ」
「ああ。‥‥で、」
「?」

短い接続詞に、有希は紙袋から再び不破へと視線を戻す。自分より高い位置にある視線を捉まえるため少しだけ仰のいた拍子に、耳にかけていた髪がさらりと解けて降りた。
やはり真っ直ぐな不破の視線が、有希の其れを捉えた後で、すいと伏せるように下方に向けられる。

「其れは買い忘れか?」
「あ、」

言われて初めて、有希は己の手のひらの中に握ったままだった存在を思い出した。

誰の手にも渡らなかったチョコレートの、小さな甘い箱。

「先ほど何か見ていたのは、それか」
「あ、うん、そうだけど。ええと、お菓子だし別に、買うとかじゃ」
「中身は何だ」
「‥‥チョコレート、だけど‥‥、って、ちょっと、不破?!」

手のひらから不意に失われた微かな重みに、有希は思わず声を上げた。

ガシャガシャと音とたてながら不破は両手に携えていた荷物を片手に集めて持つと(まずそれに驚いた。いくらなんでも重い筈だ)、今では随分とゴールキーパーらしくなってきたゴツゴツとした長い指で有希の手のなかからチョコレートを攫っていったのだ。
不破の指先が手のひらに少しだけ当たった。乾燥して荒れているのか、冷たく硬い感触だった。
それに気を取られている間に、不破はというとその小さな箱を持ってレジへと向かっている。さすがに何をしようとしているのかは明白で、追いかけて止めようとした矢先、絶妙のタイミングで振り向いた不破が「スプレー。」とだけ言って(机の上に置きっぱなしだったのだ)有希の足を止めた。

その間に、不破は何食わぬ顔でレジを通過し、精算していた。レジ担当の年かさの女性が、無表情な少年が差し出した商品にちょっとだけにっこりしたのは、気のせいではなかっただろう。

「さて、買うものも買ったし、帰るぞ」
「‥‥不破、あのねぇ‥‥。」

片手に大荷物、片手に小さな箱を持った不破が、有希の傍をすり抜けざまに告げて出口へと歩いていく。携えている荷物の重さを全く感じさせない足取りに、有希はいっそ悔しくなりながら後を追った。
開いた自動ドアから、店内との温度差に吹き込む冷たい風を受けて、少しだけ目を瞑った。背後で閉まるガラスのドアが、鳴り響いていた陽気なBGMを遠くへと押しやる。
冬の気配を残した風が、途端に二人を包み込む。少し曇った空は、店内の眩しさとは違う柔らかな光を、スーパーの前に設けられた広場に落としていた。

「‥‥で。不破それ、」
「別に部費で賄えとは言わんから安心しろ」
「‥‥‥‥。」

歩調を緩めた不破が有希を見て告げた。
こう言われてしまえば、有希が言うべき言葉は何もなくなってしまう。
ディスカウントされたお菓子を自費で、‥‥バレンタイン用だというのは差し引いたとしても、別に購入に資格がいるわけではなし。

有希は、ゆるく握りこまれた小さな箱を見遣る。
大きな手の隙間から、鮮やかな濃紺のリボンが見え隠れしていた。

‥‥誰の手にも渡らなかったチョコレートの、小さな甘い箱。

と、不破の歩調が更にゆっくりになり、やがて立ち止まった。
同時に、握りこんでいた拳を胸の前まで持ってくると。

「え?」

手のひらに箱を乗せたまま、その片手の指先のみでなんとも器用に其れを開けたのだ。
なんとなく視線をやっていた有希もさすがに驚いた。器用にも程がある。
濃紺のリボンが解かれて、路上にはらりと落ちる。その軌跡を、追うか追わないか、そんな一瞬の思考のど真ん中を、真っ直ぐに断ち切るかのように、目の前に差し出されたのは、いわずもがなの、甘いお菓子。

「食べるといい」
「‥‥‥‥あの、言っとくけど、別にチョコレート食べたくてコレ持ってたワケじゃないのよ」

差し出された不破の手のひらとチョコレートはそのままに、有希は隣りに立つ少年を見上げる。
不破はいつもながらの淡々とした表情で、けれど視線だけは真っ直ぐに有希に向けられていた。強い、潔い、‥‥けれど優しい視線だ。

「別に理由はなんでもいいが。チョコレートは手っ取り早くカロリーが摂れ、疲労回復にいい。学校に戻れば部活だし、かなりの大荷物を持たせてしまったようだからな」
「え?」

一瞬、何を言われたのか分からなかった。だって、現時点で大量の荷物を持っているのは、このチョコレートを差し出しているその人なのだから。
自分が持っているのは小さな軽いスプレー缶だけで、荷物の数からすれば自分も一つ、大きな袋を持っていなければいけないはずで。

いくら荷物持ちだからって、全部押し付けるつもりなんてなかった。
でも、あんまりに軽々と持つから。
不破が、あんまりに簡単に優しくするから。

「店内のカートを引くのは大変だっただろう。悪かった、一緒にいけばよかったな」









‥‥甘いお菓子を差し出して告げられた、彼の言葉は甘くなんてなかったのに。









「‥‥小島?どうかしたか」
「‥‥‥‥どうもしないわよ、ちょっと黙ってて」

俯いて、ともすれば不機嫌なまでの有希の声に、不破は何を思ったのか(あるいは何も考えていないのか)言われたとおりに口をつぐんだらしい。
聞こえなくなった言葉の代わり、春の走りの風が柔らかな感触を残して吹きぬけて行く。その風に、差し出された甘いお菓子の匂いがふわりと舞い上がった。

「‥‥食べる」
「そうか」

些か唐突でつっけんどんな言葉にも、これといって動じる様子もない不破の声に、有希はほんの少しだけ諦めにも似たものを感じた。
‥‥こんな天然を好きになってしまった自分が、いっそ憎いとまで思う。
俯いた姿勢のまま、有希は一つ強く息を吐く。それからぐっと顔を上げて、きりりと前を見て。
それから不破へと、真っ直ぐに視線をあてた。

「チョコ。ありがと。貰うわ」
「どういたしまして、だ」

大きな手のひらに乗せられた小さな箱から、小さな甘いチョコレートを一粒、つまみあげた。
それは、誰かに甘い言葉と一緒に手渡される、その為にだけ作られたお菓子。
けれど、誰にも手渡されることがないままだった、ひとかけら。

‥‥こんなに時季をはずした頃に、まさか自分が渡されるだなんてね。

「‥‥小島?どうかしたか」
「なんでもない。‥‥ふふ」
「?」

忍び笑った有希に、頭上にハテナマークを浮かべた不破が、そんなに美味しいチョコなのか?と見当外れなことを言ったものだから、ならもう一粒はアンタが食べたらいいでしょ、と笑ってその口に押し込んでやった。









取り交わされる、甘いお菓子、甘い言葉。
年に一度のイベントだけ?

甘いものは、いつだって甘いもの。






end.(02.25/2007)
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