唸る雨雲、吹き荒ぶ風。
雨に打たれて一人で、僕は。
そして二人で帰り道。
「最悪‥‥。」
人も疎らな駅構内、真田一馬は一人、どこか茫然とした口調で呟いた。
誰に言った言葉でもない。仮に聞き取る人が居たとしても、その小さな呟きはその人の耳には届かなかっただろう。
駅外の地表を叩く雨音は激しくなりこそすれ、弱まる気配を微塵も見せず、無骨なつくりの駅構内に反響して低く高く、聞く者の聴覚を支配しようとするかのようだ。
真田は耳を塞ぎたい衝動に駆られたが、それは手に持った荷物により果たせず。
代わりとばかりに、一つ、大きなため息をついた。
雨に濡れ色を深くした漆黒の髪から滑り落ちる雫が、既に黒く湿った構内の床に、新たに黒い染みを作った。
「‥‥最悪。」
もう一度、唸るようにそう呟く。
『大型台風接近により、現在車両運転を見合わせております』
と墨書きされた紙が、風に煽られ鳴いていた。
たった一人立つ真田の髪から、ポタリと雫が、また落ちた。
思えば朝から、ケチの付きどおし、だったわけで。
「‥‥うん。‥‥うん、解った。無理すんなって、この天気だし。‥‥じゃあな。」
小さな電子音が、電波の向こう側の親友の声を断つ。
申し訳なさげなその声は、普段から淡々としているくせにどこか自信ありげなあの親友には、あまりそぐっていない気がして、なんだかおかしな気持ちだった。
暫しぼんやりと、通話時間と料金が表示された携帯電話のディスプレイを眺めていた真田は、折りたたみ式の其れを閉じると、ベッドへと放り投げた。
綺麗な放物線を描いてそれはマットへと落ちる。落下音は、窓を叩く強い風鳴りにかき消された。
多分もう、あの携帯電話が鳴る事はない。
朝から受け取った電話とメールが数件。その内容は異口同音なものばかりで、受け取った真田もそれらが同じ要件であることは解っていた。
「‥‥あ、母さんからのは、違うか。」
ベランダに置いている観葉植物を室内に避難させておけとか、風が強いようだったら窓の傍には寄らないこととか。懐中電灯の位置とか、区内の指定避難場所のことだとか。
天候不良により出先から戻れなくなった両親は、一人自宅に残した、あまり臨機応変でもない息子がさぞ心配なのだろう。
吹荒れる風雨のためか、どこか途切れがちな電話の向こうから、細かな指示を出し、なんとか戻ろうとする両親を一人でも大丈夫だとなんとか宥めて切った電話が、確か午前の早い時間だった。
たまに舞い込むメールは、学校やユースの友人から。
『今日』だから、皆言ってくることは同じで、それらに短い返信をしていたら、大切な大切な友人たちからの電話。
普段はウルサイばかりに明るい彼も、落ち着いた口調の彼も、申し訳なさそうな口調で、告げた。
『‥‥ゴメン、今日、行けそうにない。』
「‥‥まぁ、そうだよな。」
真田は、投げた携帯と同じ様にベッドに身体を投げ出して、目の前に居ない友人たちへ、携帯越しに笑って言った言葉を、小さく繰り返した。
外は雨。そして風。きっとこれからますます強くなる。
決して家が近いわけではない友人たちは、交通機関へ打撃を与えるその風雨の前に、為す術もなく。
そして彼は一人。
ゴロゴロと、意味もなくベッドを転がってみる。
別に、彼等が此処に来れないからといって、どうと言う事でもない。友達だからと言って四六時中一緒に居るわけでもなければ、会えなくって寂しいの、とかいう少女でもあるまいし。
どうってことない。
ただ、ちょっと。今日は。今日、だけは。
ピピピピ、ピピピピ
「‥‥‥‥ぅわッ!?」
唐突に鳴った携帯に、思わず跳ね起きてしまった。‥‥電話とは本来唐突なものだが、鳴ると思っていなかったぶんだけ驚きが増したのだ。
大げさに驚いてしまった自分に、誰が見ているわけでもないのだが少し恥ずかしく思いつつ、真田は携帯を手にとる。アドレスに登録されていない数字の羅列が、ディスプレイで明滅していた。
普段ならば取らない電話であるが、そのナンバーは登録はしていなくても見覚えのある、洋菓子店の其れであったので、真田は通話ボタンを押した。短い受け答えと、少しの思案。
「‥‥じゃ、今から取りに行きますから。」
そう言って、切った電話と、机の上の財布を手に、真田は自室のドアをくぐった。
ドアの開閉に微かに動いた空気が、壁に掛けられたカレンダーを揺らした。
それには、本日の日付けに赤いマル印(しかも花丸)。
陽気な親友のそんなに上手くもない文字と、いつも冷静な親友の妙に整った赤い文字。
お祝いの、言葉。本来なら、目の前で言ってもらえるはずだった。
本日、8月20日。‥‥真田一馬、14回目の誕生日。
誕生日と言ったらケーキ。それもホールの。
別段甘いものが好きなわけでもないのだが、何故だか誕生日と言うとケーキだよな、と真田は駅の構内に一人座り込み、ぼんやりとそう思ったものだ。
それは毎年の恒例。幼い頃は両親と、親友二人に出会ってからは、彼等と。
蝋燭に炎、大きなケーキにナイフを入れて、取り分けて。はしゃぎ騒ぎながら、楽しく楽しく。
それが、毎年の恒例。
今、手には例年どおり白いケーキの箱。
雨の中、予約していたケーキを取りに来た客に、普段接客してくれる可愛い女性の代わりに、パティシエらしき青年が雨避けにビニール袋を二重にして渡してくれた。
いつものウェイトレスさんも、きっと雨で仕事休んだんだろうな、と埒もない事を考える。
がらんとした店内が、なんだか物寂しかった。
‥‥というか、こんな雨なのだから、予約もキャンセルばかりだったのだろう。
それを思うと、自分はなんと物好きなのだろうか。
しかも自分用の誕生日ケーキだ。まぁ自分が予約したのではないけれども(結人と英士がしてくれた)。
雨の中、そんな事も考えた。
キャンセルすれば良かったんだけれど。
‥‥けれど。
洋菓子店は、真田の家の最寄駅から僅か一駅。
雨の中走っていった駅では、辛うじて電車が動いていた。
たった一駅。それも店は駅のすぐ近く。往復5分もかからず、駅には戻ってこれる。
そうして乗った電車は、其れを最後に運休となった。
‥‥‥‥どこまでもついていない。
一駅だから、歩いて帰れない距離でもないけれど、さすがにこの風雨ではとてもそんな気分にはなれず、とりあえず真田は、駅に疎らにいる人と同じく、構内に座っていた。
水の流れる激しい音がする。樋を流れ落ちる雨だろうか。
「‥‥なにやってんだろ、」
呟いた。小さな、誰にも届かない声。
台風接近なんていう暴風雨の中。
腕には一人じゃ食べきれない誕生日ケーキを抱えて。
人の疎らな駅で。
独りで。
「なにやってんだろ‥‥。」
「あっれー?真田じゃん!!」
真田は伏せていた顔を、音がしそうな勢いであげた。
雨音にも負けない、よく通る声。よく知った、声。
見知った、笑顔。
「藤、代。」
偶然ー!とどこまでも明るいその声が、キュキュッと藤代の履いたスニーカーのたてる音と一緒に真田へと寄ってくる。
どこか遠い世界の出来事のように、その様を茫然と眺めていた。
ぱらぱらと降りかかってきた、藤代から落ちる雫に、はたと我に返る。
「真田何してんの、此処で。」
「‥‥それは俺のセリフなんだけど。っていうかどっちかって言えば何やってんだオマエ、なんだけど。」
椅子に座った真田を見下ろしてくる藤代からは、絶えず雫が滴り落ちている。それは駅に駆け込んできた時の真田の比ではない。
真田は一頻り藤代を見遣ると、とりあえず訊いておくべき事を訊いた。
「傘は?」
「壊れたから、その辺に捨ててきた。」
「‥‥‥‥。」
どの道さしてても意味なさそうだったし。と事も無げに言い放つ藤代に、真田は力が抜ける。
「この暴風雨のなか外出してんじゃねーよ、バーカ。」
「そんなの真田だって此処に居るってことはおんなじじゃん。」
「う、うるさい俺んちはこのすぐ隣り駅だから‥‥っ!」
「でも結局帰れてないよな、ハハハなんか真田らしー、かわいいー。」
「可愛いとか言うなー!」
豪快に笑う藤代に、真田は思わず握り拳を作って言い返す。
「だ、大体此処武蔵森からだいぶ離れてんじゃんか!お前こそ何してんだよ、こんなことで!」
「あ、煎餅買いに来た。」
「普通に受け答えすんな!」
「常に面白い受け答えはさすがに無理。っていうか、まぁセンパイにパシらされたんだけどさ。」
ガサガサと手に持った袋を、藤代は真田の前で揺すって見せた。それはこの辺りではちょっと有名な和菓子屋の袋だ。
聞くところによると、ゲーム勝負で負けた罰に言いつかったらしい。
寮生活というのも大変なんだな、とほんの少し思った真田であったが。
「まぁ三上センパイは今度でいいって言ったんだけどさー、大雨だし?でもなんか嵐の時って妙に外走りまわりたくならない?せっかくのチャンスなんで、キャプテン振り切って出てきたんだ。」
継いで言われたこのセリフに、気の毒に思った自分を気の毒に思った。
いや、気の毒なのはキャプテンこと、渋沢だろうか。あとその、ミカミとかいう先輩。ああ、出かけようとする藤代を必死に宥めようとする渋沢の顔が目に浮かぶ‥‥。
「‥‥田、真田ってば。」
「ッ、な、何だよ?!」
反射的に真田は身体を引いた。椅子に座っていたから、動けたのは上半身だけであったが、それでも覗き込むように顔を寄せてきていた藤代から、ほんの少しだけだが遠のくことはできた。
眉を顰めて、近づくなとばかりに間近の顔を睨み返す。
が、その真田の視線も、続いた藤代の言葉と、思いのほか真剣な眼差しに、変わらざるを得なかった。
「泣いてたの?」
「‥‥は?」
「真田、泣きそうだったよ?」
そんなわけない、と。
言い返せばよかったのに。
だって今日は誕生日なのに。
雨は降ってるし。
いつも居る親友達は居なくて。
電車は止まって帰れないし。
食べるあてのないケーキ抱えてて。
雨は降り続くし。
独りだし。
「真田、コレ、プレゼント。」
「‥‥は?」
ガサリ、と頬への感触に顔をあげた。何時の間にかうつむいていた視界を遮るのは、先ほど見た、煎餅入りの白いビニール袋。その向こうに、藤代。
目が合うと、藤代がにっこりと笑った。
そしてもう一度告げる。
「プレゼント。真田にあげる。」
「‥‥‥‥‥‥。」
真田が何を言う間もなく、藤代はそれをケーキの箱の上に乗せた。ガサガサとビニールが擦れあって音を立てた。
「今日確か、誕生日だったよな。」
「‥‥なんで、」
「知ってるかって?選抜の練習のときのあの二人の騒ぎっぷり見てれば解るってば。」
愛されてんね真田、なんて声が真田の耳を通り抜けていく。
「それに真田の持ってるのってケーキの箱じゃん。それ、そこのケーキ屋のだろ?しかも1ホールサイズの箱だし。こんな雨の日にわざわざ買いに来るなんて予約してたんだろうし。誕生日かな、って。」
よく通る藤代の声は、雨音にかき消される事なく。
「‥‥英士と結人が来るはずだったんだ。」
「うん。」
「でも、雨が、降って、」
「うん。」
「独り、で、」
「俺がいるじゃん。」
「‥‥うん。」
外は大雨。
びしょ濡れになって、雨の雫をポタポタと落としながら。
それでも晴れ渡った真夏の太陽みたいな笑顔で言う藤代に、真田は小さく頷きながら、そう一言、返した。
「‥‥っていうかオマエ、コレ先輩にあげるんじゃなかったのかよ。煎餅。」
「んー?‥‥雨に震えていた可愛い仔猫にあげたとでも‥‥ッ痛!真田、殴る事ないじゃんー。」
「誰が仔猫だ、誰が!」
「あ、真田んち方面の電車、動き出したみたいだぜ?」
「人の話聞けよお前は‥‥。」
「じゃぁな、真田。気をつけて帰れよ。」
「‥‥お前は?」
「俺はまだ電車動いてないし。もうちょっと待ってみる。」
立ち上がった真田に代わって、椅子に座った藤代の、ヒラヒラと手を振りながら事も無げに言った言葉に、真田は暫し躊躇った後で小さく言った。
「‥‥‥‥じゃぁ、俺んち来る?」
「え?‥‥いいの?」
「別に‥‥。嫌なら来なくても、」
「行く行く!行きますー!やったぁ!」
「‥‥ッ、ちょ、引っ張るなって‥‥!藤代!」
「あ、そーだコレ言ってなかったよな。」
身軽な動作で立ち上がり、真田の腕を取って歩き出しかけた藤代だったが、クルリと軽やかに振り返るや、あの、太陽みたいな笑顔で一言。
「真田。誕生日おめでとう!」
「‥‥ありがと。」
唸る雨雲、吹き荒ぶ風。
雨を蹴散らし、そして二人で帰り道。
end.(06/19.2002)
季節外れだなんて本人一番判ってますから、
言っちゃイヤです(殴)
back