帽子の下で交わした、それは内緒の出来事です。
Under Our Hat.
それはまだ二人が出会って間もない頃のお話。
「帽子、作ってあげましょうか。」
「は?」
訊き返した自分の声は、あまりにも間の抜けたものであったけれど、それも仕方のないことだったのだと、その出来事を、ふとした瞬間に思い返すたびに、彼、山口圭介は思ったものだった。
「なんだって?」
彼は己の事を、記憶力がいいとか優れて情報処理能力が高いとか、そういうわけではないことは重々承知していたけれど、それでもサッカーなんていう、コンマ数秒の判断力が事の優劣をきめる競技をこなしている分には、それなりにそれなりな瞬間判断力はあるほうだと思っていたわけだが、さすがにその、そのとき隣りの、同い歳としてはちょっとムカつく程に高めの位置から発せられたその言葉に、咄嗟には反応しきれなかったわけで。
「帽子ですよ。作ってあげましょうか。」
「はぁ‥‥。」
間抜けにも訊き返した圭介に返ってきた、笑みのこもったその言葉にも、これまた間の抜けた返事しかかえすことが、出来なかったわけだ。
それは、いつだったかの、帰り道でのこと。
なんでそういう会話になったのかなんて、覚えてはいない。そもそもなんで一緒に帰っていたのかさえも、覚えてはいない。
ただ、圭介は歩いていて、その隣りをさも当然のように、須釜が歩いていて。
夕焼けが綺麗だななんて思ったことは、少しだけ覚えている。
「‥‥帽子?」
「そう、帽子。ハット。ドゥユーアンダスタン?」
「半端な英語で言わなくても解るっ。ってか、なんで帽子‥‥。」
「帽子作るの得意だから。」
「はぁ‥‥。」
そう言って圭介が見上げた須釜は、そのときも帽子を被っていた。
ちょっと深めの、目が隠れるくらいの帽子で、チューリップハットというのだと教えられたのは、もっと後の事だ。
「その帽子も、自分で作ったのか?もしかして。」
「そうですよー。」
「意外に器用なのな、お前。」
「意外ってなんですか‥‥。」
心外だといわんばかりの須釜の声が降ってきた(身長差の関係上、どうしても須釜からの声は『降ってくる』印象が拭えない)と同時に、圭介の視界が、唐突に遮られた。
「ッ、ぅわ、」
「酷いなぁ、俺結構、器用ですよ?」
「ってか、前!前が見えないだろ!帽子とれって、須釜っ!!」
そう喚いたら、今度は唐突に視界が拓けたのだけれど。圭介は、今度は全く別の意味で声を上げそうになった。かろうじて、上げなかったけれど。
動かしていた脚を止めた、自分の反射神経のよさには、結構驚いたものだ。
「‥‥ありゃ、残念。ケースケくんてばあと一歩足りませんよ〜。」
「っ、あと一歩踏み出してたらヤバかったろーがッ、馬鹿ッ!」
「何がどう、ヤバかったんです?」
「な、何ってそれは‥‥、」
圭介は目を逸らす。
わざわざ己の正面に回りこんで、わざわざ自分と同じ目線になるように腰を屈めてきていて、それはもう鼻先5センチの位置にある須釜の顔から、赤くなった自分のそれごと、目を逸らす。
鼻先5センチ。口唇までは、7センチくらい?
「‥‥帽子。」
「っ、だからさっきからなんでそんな執拗に俺に帽子を勧めるかなっ?!」
「だって似合いそうだから。」
スイ、と離れていった須釜の気配に、圭介も逸らしていた目を戻した。
いつも通り上から降ってくる言葉に、見上げるようにして言葉を返した。返ってきた言葉に、呆れた風をして見せた。
「帽子はね、人それぞれに頭周囲だとか高さだとかが違うわけで、本当は服なんかよりよっぽど誂えたほうが、しっくりくる物なんですよ。」
なんでもないように歩き出しながら、須釜は言った。
圭介も再び歩き出しながら、その降ってくる言葉を、聴いた。
「ふぅん‥‥。」
「そう、例えばこの帽子。‥‥ケースケ君、ちょっと被ってみます?」
さっき、むりやりその帽子を圭介に被せた事など忘れてしまったかのようなその言葉に、圭介は微妙な心情ながらも、受け取った帽子を恐る恐る被ってみた。
それは、圭介には頭周囲が少々広すぎて、ブリム(帽子の羽根に当たる部分のことだ)も深すぎて、まぁ要するに、大きすぎた。
「ケースケくん、頭ちっちゃいですよね〜。芸能人みたい。」
「うるっさい!体格差があるんだから、仕方ないだろ?!」
のほほんとした声に、圭介はなんとなく怒った風な声を返す。
目線をあげて睨みつけようとしたけれど、それは帽子が邪魔をして叶わなかった。上を(というか、前さえも)見ることが出来ないのだ。
帽子に遮られた視界は狭くて、ちょっと暗くて。
その代わりみたいに、足元の小石とかが、鮮明に見えた。
「僕の帽子じゃ大きいですね、やっぱり。」
「‥‥そだな。」
狭い視界の中には、須釜は居なくて。
その代わりみたいに、彼の声が、えらく鮮明に聴こえた。
感覚器は、一つが遮られると、他のそれらが補おうとして鋭敏になるっていうけれど、本当なんだなと圭介は思う。
姿が見えないのに、凄く須釜を、感じていた。
「じゃぁ今度、寸法取らせて下さいねー。」
「‥‥おぅ。」
「どんなのがいいかなぁ、可愛いのがいいなー。」
「可愛いって‥‥。」
「だってケースケくん可愛いから。やっぱり帽子も、可愛いのがいいですよv」
「可愛いっていうな!」
「だって可愛いし。ああ、でも‥‥」
「だから‥‥っ、」
ちゅ。
‥‥視線を上げても、須釜は居ないはずの帽子の視界、なのに。
なんで彼は、俺の視界の中に居るのでしょうか?
鼻先3センチ、唇までは5センチ、‥‥さっきまでは、0センチ。
「‥‥ッ、お前はーッ!!」
「ゴチソウサマです、ケースケくんv」
腰をかがめて、深めの帽子の下側から覗き込むように須釜は笑って言った。そして、圭介が何かいうよりも先に、圭介が被ったままだった帽子を、スルリと取りあげて。
「ケースケくんの帽子は、浅めのにしましょうねー。」
「はっ?!なんで?!」
「だって、」
突然のキスに、まだまだ赤い顔のまま見上げてきた圭介に、ニッコリ笑って須釜、曰く。
「帽子の下で秘密のキスもいいけれど、ケースケくんの可愛い顔を見ながらのキスのほうが、好きだから。」
それはまだ二人が出会って間もない頃のお話。
何処だかの帰りかも覚えてない。当然のように一緒に居る理由も、覚えていない。
それなのに。
「大好きですよ、ケースケくん。」
そう言って笑った須釜の、やさしくてふわふわした笑顔は、これ以上ないくらいに鮮明に覚えてるなんて。
恥ずかしいから、帽子の下のキスと、赤くなった顔と一緒に、秘密にしてしまおうと、圭介は思った。
keep this under our hat.
このことは、ボク達だけの秘密事だよ?
end.(03.21/2002)