ポン、ポポン。と、どこか呑気な、それでいて聴くものの心を否が応にも弾ませる軽快な炸裂音が、澄んだ大気に響き渡る。
晴れ渡った秋の空は目の冴えるような青をして、僅かにたなびく花火の白煙が、絶妙のコントラストをもって美しく広がった。
地上に目を移せば、ザワザワと人の声。
その場所は、普段から元気に溢れた少年達の、勉強に友情に部活に、そして恋愛に忙しい、大切な生活の場であるが、今日は輪にかけて華やいだ雰囲気をしていた。
廊下を歩く姿にも、制服ではない者、見慣れない他校の制服姿、また就学年齢外の人の姿がちらほらと見られ、其処此処で元気な呼び込みの声や笑い声がはじけている。
普段は無機質なモノトーンで統一された校内の窓やドアにも、色とりどりのデコレーションが施され、華やいだ校内へと開かれた校門もまた、美術部の努力の結晶であろう、立派な拵えのサインボードが高々と掲げられていた。

『桜上水中学校秋季文化祭』

本日、開幕。














One and Only















混雑した廊下を、シゲは一人器用に歩いていた。

器用に、というのは、学年を問わずあちこちから掛けられる呼び声や喚声に、いちいち声を返したり手を振ったりしつつも、決して人にぶつかることも立ち止まる事もなく歩きつづける、という意味である。
まぁ現実として、彼はそれなりの身長であるし加えて目立つ金色を冠しているわけだから、行き交う人間とてそうそう見逃してぶつかる、ということもないのだが。
しかしそれを差し引いたとしても彼は器用に、人の間を泳ぐように歩いた。その身ごなしはどこか四足の動物めいた滑らかさを持っていて、もしも彼の所作だけを目で追う者があったとしたら、その動きに感嘆の念さえ催したことだろう。

実際、普段の学校生活において、彼の独特の雰囲気や所作に思わず目を奪われるという生徒も少なくない。
彼の整った、それでいて飄々とした風貌や、他の誰も持ち得ない、『違う』雰囲気に、憧れや恋情を持つ人間は多数居た。
何をするでもなく、その場に居るだけで不思議と目を心を惹きつけるような存在感を持つ人間など、そうはいない。

彼、佐藤成樹はそんな存在感を持つ人間の一人であった。

が、そんな彼でも今日ばかりはそんな視線たちから、多少ではあるが開放される。
文化祭という、学校行事における最大の非日常とも呼べるお祭りを楽しむ少年少女たちにとり、日常の中の非日常である彼への関心は、少しではあるものの薄らいでいた。
自分が楽しむのに手一杯、といったところだろうか。

「ま、動きやすくはあるわなー‥‥。」

口の中だけで唱えるように呟いたその言葉は、シゲ本人以外には誰にも聞こえる事はなく。
それでもやはり衆目を集める彼への、シゲちゃ〜ん、と可愛らしく澄んだ女生徒たちの呼び声に、笑顔付きでヒラヒラと手を振り返したシゲは、彼女たちから発せられる喚声を後目に、昼時を迎えもっとも混雑する廊下を、やはり器用に軽やかに、歩いていったのだった。

ただ一人を、探して。





カシャカシャと、金属と陶器がごちゃ混ぜに擦れあう音が響く。
惜しげもなく流されっぱなしの水に沈む食器類は、妙なくらいに良い手際でもって次々と洗剤の泡と汚れを洗い流され、横に添えられた食器籠の中に積まれていった。
食器から散る雫が足元を濡らす。
コンクリートの床は既に水を流されたような有様で、その場に立つ少年が足を動かすたびに、軽い水の撥ねる音と一緒に、彼の上履きを濡らした。

「‥‥何処に居るかと探しに探したら、こんなとこに居ったんかい‥‥。」
「佐藤。」

突然の声に、少年は泡のついた皿を持ったまま顔を上げた。動きに合わせてサラサラと黒髪が揺れる。
シゲは捜し求めたその顔に、ニッカリと笑い返すと、軽やかな足取りで階段を‥‥‥その少年の居る水場は、一段低い場所に添えつけられていたので‥‥‥下りて行った。
足元でパシャパシャと水が撥ねる。それにシゲは軽く眉を顰めた。

「なんや不破センセ、自分ずっと此処に居ったん?」
「うむ。‥‥そうだな、ここ2時間ほどは、ずっとだ。」

その、なんとも感情の薄い淡々とした声に、シゲはまるでその肩代わりとでもいえそうなほどに、大仰な表情を込めたため息をついてみせた。

「ずっとてなぁ‥‥。そんな、これ以外にも仕事あるやろ?ていうか一人でこんなんやらんといかんのか?」

シゲは表面上は何気ない風に、彼の水に曝されて赤くなった手や、濡れた上履きに目をやると、内心で不破のクラスメイトに盛大に毒づいた。

不破の所属する2-Cの出し物は模擬店である。
しかも、たこ焼きや綿飴といった露店ものではなく、教室を店内に模し、ウェイター、ウェイトレスとなった生徒が皿や食器を用いて持て成す喫茶店形式のものだ。
シゲが真っ先に立ち寄ったそこはそれなりに盛況で、接客をしていたC組の友人も忙しく立ち働きながら、楽しげな口調とは裏腹の、泣き言めいた愚痴をこぼしていた。
笑ってそれに応えを返しつつシゲは素早く店内(といっても教室だが)を見回した。が、そこに彼の求める不破の姿は無かった。
こういう事は当番制というのが原則だから(因みにシゲのクラスは展示系出し物で、ついでに事前準備において要らないほどの器用さでもって貢献したので、本日のシゲのお勤めは無しである)、きっと不破も今は校内をめぐっているのだろう、とシゲも校内を歩いてみたのだが。

探せど探せど、探し人は見つからない。

彼の探す不破大地という少年も、ある意味非常に存在感のある人間だ。
シゲのような華やかさとは正反対な、重厚というか、どこか威圧的とも思えるほどのハイプレッシャーの持ち主である。
周囲の誰とも、『違う』存在。『違う』雰囲気。
普段であれば、クラスが違おうとも何処で何をしているのかを探し当てるのはシゲにとって至極容易な事だった。
が、本日ばかりはそうもいかないらしい。
校内を探し巡り、かといってクラス内に留まっている様子は見受けられないし、はてどうした事かと思い巡らせていたところ、同じ様に模擬店を構えている他クラスの生徒が、校内裏の水場で食器を洗っている姿を見て、校内にいくつかある水場を一つ一つめぐって、漸く探し当てたというわけである。

「水仕事を一人に二時間も任せるってなどういう了見や、全く‥‥。」
「いや、一人ではないぞ。他に女子が一人いる。今は洗浄を終えた食器をクラスのほうへと運んでいるところだ。」
「や、そーいうことと違うてな‥‥あーもー‥‥。」

ブツブツと呟くシゲの声に、真面目くさった不破の言葉が返る。不破らしいといえばらしい、いつもながらの少々的の外れた言葉に、シゲは苦笑したものだ。

華やいだ校内の歓声は遠く、流水音にかき消されるほどに細い。
校舎外に設けられたこの水場は、普段は運動部が使う水場である。コンクリートで出来た無骨な作りの水場は、水捌けの関係上、校舎の陰にひっそりと設えられていた。

‥‥見つからんはずやわ。

シゲは内心でため息と共に呟いた。とはいうものの、こうして捜し求めた、愛しい姿を捉えたことに、喜びを隠し切れようはずもない。

「‥‥佐藤、何を笑っている。」
「え〜?別にぃなんもあらへんよ?」

ニヤニヤ笑いでそう応じれば、意外と(?)負けず嫌いな不破が気をひかれないわけはなく。
不破はシゲが近づいてくる間も続けていた皿洗いの手を止めて、シゲへと向き直る。パシャリと足元で水が撥ねた。

「佐藤。」
「‥‥不破君!」

己を呼ぶその声に、シゲが何かを応えるよりも早く。
階段の上から掛けられた高い声に、不破とシゲは揃って顔を上げる。
それは不破のクラスメイトの少女で、小走りにかけてきたのだろうか、少し息を切らせている。
少女はその場にあると思わなかった金色の姿に、すこしだけ目を見張ったが、直ぐに目を逸らして水場へと続く階段を下りてきた。

「あの、ごめんね、一人で此処、任しちゃって‥‥。」
「問題ない。手のほうは大丈夫か?」

コクリと頷いてみせた少女の手には、カットバンが貼られていた。先ほどまで此処で不破と共に水仕事をこなしていたらしき彼女がこの場を離れたのは、食器を持っていくだけでなく何らかの怪我の手当てもあったのだろう。
もう一度小さく少女は、不破の目を見て、ごめんね。と繰り返した。軽く頷く不破に、ほんの少しだけ頬を赤らめて微笑む。
非常に可愛らしい仕草。‥‥恋をした者のみが持ち得る類の。

「あの、不破君、この後ね‥‥」

更に何事かを言い募ろうとした少女に、呼ばれた不破よりも先に動いたのは、二人の遣り取りを黙してみていた、シゲであった。

「うっわ、手ェ怪我しよったん?オンナノコに可哀想なことさせるなー。切り傷なら、もう水仕事出来んことないか?代わってもらえば、誰かに。」
「あ、え‥‥でも、」
「ホラ、不破もそろそろ交代してもエエ頃やろ?俺らがクラスの方に言っといてあげるし、お昼やしご飯も食べたいやろ。な?」

此れ以上ないほどににこやかに明るく言う、学年一、ともすれば学校一目立つ金髪の少年の言葉に、その少女は気圧されたように何もいえない。
それはこの、佐藤成樹という少年の持つ生来の雰囲気ゆえか、それとも。

ほなな、お大事に。最後に綺麗な笑顔と共にそういい残し、シゲは不破の腕を掴むと、やっぱり軽やかな所作でその場を後にした。
残された少女は何もいえぬまま、シゲの言葉どおりに自分と、自分と二人きりになるようにクラスメイトに頼んで仕向けてもらった不破の、後任となる水場係がくるまで、その場に立ち尽くしていた。





「‥‥ッ佐藤、」
「何や。」

腕をひかれてやって来た場所は、先ほどまでいた水場とは違って、暖かな秋の陽光がふりそそぐ場所であった。一般には開放されていない特別棟の端に設えられた非常階段の一番下、そこには人影もなく、先ほど以上に喧騒は遠い。

「何。」

呼び声に、漸く立ち止まったシゲの金髪がフワリと揺れる。振り返ったのだと不破が知覚する前に、掴まれたままの腕を強い力で前方に引かれた。

「‥‥‥‥ッ、」
「ハイ、着地ー。」

一瞬反射的に目を瞑り、開けたそのときには、コンクリートタイルの埋め込まれた地面に座ったシゲの胸辺りに、いわば抱き寄せられるようにしている自分が居た。
それと、ニコニコと笑うシゲと。

「‥‥放せ。」

不本意な体勢に自然言葉も尖る。しかしその声を受けた者は動じる事もなく、軽く肩をすくめて抱き寄せたその身体を開放した。
不破はトン、と彼の胸を軽く突いて、その反動を利用するようにしてシゲの隣りに座りなおす。座った地面は思いの外暖かくて、不破は思わず目を細めた。

「下、あったかいやろ。」
「‥‥む。」

心を読んだかのようなシゲの言葉に、不破は相づちともいえないほど短い声を返す。大層愛想のない態度だが、そもそも愛想など期待していない(むしろあったら其方のほうが怖いかもしれない)シゲは、ん。とこれまた短い声を笑顔と一緒に返したものだ。

校舎を隔てた彼方から、華やいだ喧騒が秋の風に乗り僅かに届く。

それは本当に僅かなもので、校外から聞こえる車のクラクションや機械音などと混じりあい、それは酷く穏やかな、あたかも秋の陽光そのもののような、ふんわりとした空気で、無言のままの二人を包んでいた。
風が吹く。すぐ傍でサラサラと揺れる金色は、陽光を受けて内から輝くような光を宿している。不破はそれをぼんやりと眺めていた。
‥‥そのせいで、隣りから発せられたその声と動きに、咄嗟に反応できなかった。

「‥‥‥‥靴。」

フワリと、金色がまた閃いた。
と同時に、触れられる感覚。

「佐、」
「靴、脱いどき。冷たいやろ。」

投げ出した足元に手を伸ばし、蹲るような体勢で触れてくる姿に、不破は言葉を返せない。

「こんな冷えてるし。‥‥不破、もうちょっと自分に頓着してや。」

器用な指の動きが、不破の足から履物を脱がしていく。
水に濡れた上履きは不破の足に重く纏わりついていたが、シゲの指先は奇術のようにスルリと其れを取り去った。
上履きは中までしっかりと濡れてしまっていて、重たい音をたててその場に落ちる。
触れた指先は、酷く熱い。

「頓着して。そぉやないと、俺心配でたまらんよ。」

不破は、言葉を返せない。
ソロリと触れてきた指先が、水を吸った靴下を脱がせていく。 ゆっくりとしたその指の動きは酷く艶かしく、不破は思わず息を呑んだ。

金色の髪が、足元で揺れる。

遠く響いてくる華やいだ喧騒。おだやかな秋の空気。
そのどれとも違う、金色の彼の、雰囲気。





「‥‥‥‥ッ、や、」
「‥‥ダメ。」

逃げようとした足首を、シゲは素早く拘束した。
日に焼けていない白い肌は、今は長く水に曝されたためか、いっそ青くさえあった。
しっかりと引き締まった足首の腱に、掴んだ親指の腹でそっと力を加えると、ピクリと一つ、大きく震えた。

口づけた足はとても冷たく。

それはシゲを酷く苛立たせた。
幾ら気候が良い秋とはいえ、これだけ冷えれば風邪を引いてもおかしくない。
そう仕向けた、‥‥勿論、悪気など無かったであろう、不破へと恋情を向けていたあの少女に、クラスメイトに。
そして、そんなことにも頓着せず、黙々と仕事をこなしていた不破に。

‥‥自分の、モノなのに。

ザラザラとした舌に、すべらかな肌の甘い感触が伝わる。
シゲを捉えて離さないその人の、甘い肌。
伏せた頭上で不破が息を詰めたのが判った。上目遣いに見上げると、きゅっと目を瞑り両の掌でその口を覆って、声を噛み殺している。
ほんのりと赤く染めた目の縁。
細かく震える身体にあわせて揺れる、黒髪。

他の、誰とも、違う。
彼だけの、雰囲気。
自分だけに曝す、姿。

‥‥ああ、なんて、扇情的な。

「‥‥‥‥不破、」
「ン‥‥ッ。」

噛み付くように奪った唇は、酷く甘く。
冷たい肌とは裏腹に、熱かった。





「‥‥‥‥お前というヤツは‥‥。」

己の胸元に顔を埋めている不破の、唸るようなその声にシゲはアハハ〜、と笑って、恋人の肩に回した腕に力を込める。

「やー、だって不破が可愛いのんが悪いんやで?」

弾んだ口調のいつもの調子に、不破は思わずため息をつく。
抱き寄せられた腕は温かく、そして強固で外せそうにも無い。
身動ぎをすれば、更にぎゅっと抱き締められた。
仕方なし、体勢を変えることは断念し、不破は目を瞑った。
それからもごもごと、言を継ぐ。

「‥‥まだ水場仕事があったのに‥‥。」
「もう十分働いたやろー。っていうか自分まだ働く気ィやったん?!」

俺めっちゃ自分のこと探したんやでー、遊んでくれてもエエやんかぁ、などと、些か芝居がかった拗ねた口調と一緒に更に抱き寄せられて、不破はとうとう笑ってしまった。

「お、笑ぅたな。」
「お前が子どもっぽいことを言うからだ。」

覗き込むようにして不破へ顔を寄せてきたシゲに、不破はそう応える。‥‥その返答に、シゲの瞳がキラリと輝いた。

「‥‥佐、」
「子どもはぁ、こんなこと、せェへんよなぁ?」
「‥‥‥‥‥‥。」

ちゅ、と派手に音を立てて唇を啄ばまれた不破は、不覚にも赤くなった顔を隠すためにもう一度、今度は自主的にシゲにしがみ付いた。
その仕草にシゲはニッカリと笑い、それから加えてこう言った。

「子どもやないから、むざと恋敵にお前、くれてやるつもりもないんやで。」

あの少女には悪いけれど。
コレは、自分のものだから。
渡すつもりも、手離すつもりも、ない。

そう心の内でつけ加え。

疑問符を飛ばして、どういうことだと訊ねようと顔を上げた恋人の、誰とも違う甘い唇をもう一度味わうべく、シゲはゆっくりと唇を落としたのだった。





遠く華やいだ喧騒。穏やかな秋の空気。
誰とも違う、二人だけの時間。




end.(09.23/2002)

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