線をひいたら矢印を書け。
矢印を書いたら、その次は。
純愛ベクトル
「冷たいんだよね‥‥。」
「ぁあ?知るかアホ、‥‥左!」
擦れ違いざま、掛けられた声と動き出しはほぼ同時。
足裏が捉えるフィールドの感触。
肌を叩く大気の音と熱。
360度のパノラマ、張り詰めた空気に感覚が支配される。
「‥‥伊賀、外に開け!」
「サイド上がれ!!」
乱れ飛ぶ慣れた声を聞き分け、正確にトラップ、アーリークロス。
ハーフコートで行うミニゲームは展開の速さが命だ。
瞬間の判断、いや、判断というよりそれは直感。幼い頃から何百回、何千回と繰り返してきた練習によって磨き上げた感覚が、唯一の正解を導き出す。
理性ではない、言葉ではありえない。
精神のずっと奥深く、獰猛で鋭敏な何かが、身体を突き動かす。
「結人、ループ!」
「‥‥ッし、」
パサリとネットを軽く揺らす音が、鋭敏になった聴覚を刺激した。同時に高く長いホイッスル。
視界の端に自分じゃない人間と談笑する黒髪が掠めた。
鋭くなった感覚に、心臓が潰されそうだった。
「‥‥で?何なんだよお前は!」
「は?‥‥ッ痛、」
ゴールライン、先ほどまでのミニゲームではサイドラインだったわけだが、とにかくフィールドを区切る白い線を越えるや越えずといった辺りで後頭部に受けた衝撃に、英士は小さな声と共に顔を顰めて振り返った。
「何すんのさ、結人。」
不機嫌さを隠さない彼の声は低く、もとより怜悧な印象の顔立ちとも相まって、慣れない相手であればそれだけで次の句を告げなくさせる威力を持っていた。が、あいにく彼の言葉の先は慣れすぎた相手であったわけで、その効果はゼロに等しい。
若かして、片手に持った空のペットボトルで親友の頭を殴りつけた若菜結人は、凶悪な英士の声も視線も何処吹く風で立っている。
のみならず、振り返った英士の額を、今度はもう一方の手の甲でピシャリと打った。英士は反射的に目を閉じる。目を閉じたせいか、普段より鮮明になった聴覚が、結人の声を正確に捉えた。
何気ない口調に含まれた、低い怒りの感情さえも。
「そりゃこっちのセリフだ。っつか、何すんの、じゃなくて何してんだ、だけどな。英士。‥‥なぁ、何やってんの、お前。」
「‥‥‥‥‥‥。」
二の句が告げなかったのは、目を開けた英士のほうだった。
立ち止まった二人の脇を、チームメイトがすり抜けていく。
ポジション別に組まれた午前の練習、ラストをミニゲームで締め、午前練終了を他のポジションよりも遅く告げられたMFとDFの面々は、立ち止まった二人を僅かに訝しく思いつつも、昼食に休息にと足早に去っていく。
頬を弄る風が滴り落ちる汗と一緒に体温を奪って吹き抜けた。英士はフルリと一つ、身震いした。
‥‥それは寒さゆえか、それともそれ以外の何かの為か。
「‥‥ったく、」
「結人、」
ちっ、と軽い舌打ちと共に、結人がその茶色の柔かい髪を些か乱暴に掻き混ぜた。持っていたペットボトルを、ポーンと高く放り捨てる。ココン、と地に落ち跳ねるそれの音を、英士はどこか遠くの世界の音のように捉えた。風が吹き抜けて、英士はもう一度目を閉じる。
遠くの世界、俺じゃない人間と談笑する、彼。
感覚が心臓を攻撃する。
「‥‥結人、」
「‥‥‥‥あー、もぉ情けない声出してんじゃねーよ。アホ英士。」
溜息みたいに大きく息をはきながら言われたセリフに含まれた、今度はどこか暖かい感情に、英士はゆっくりと、瞼を上げた。いつもどおりの親友が、居た。
「‥‥俺さ、」
「うん。」
「一馬が好きなんだよ。」
「そんなん知ってるっつーの。」
「‥‥本当に好きなんだ。」
感情が精神の深くを支配する。
「好きなんだ‥‥。」
研ぎ澄まされた感覚が、彼を求めて痛い。
「‥‥英士はさァ、線なんだよな。」
「は?」
唐突な言葉に、英士は思わず間の抜けた声を返した。顔を上げて、結人を見る。
先ほど自らが放り投げたペットボトルの方へ、ぼんやりと視線を投げていた結人は、英士の視線に気付くとニヤリと笑って、次に大きく伸びをした。んーっ、と押し殺した息とも声ともつかない音は気持ちよさげで、なんだか大きな猫が寛いでいるようだと英士は思った。
「結人、線て‥‥、」
「線は線デショ。」
「や、デショじゃないでしょ。」
「うはははは、なんだデショはお前の専売特許か!」
そんなことを言いながら結人はスタスタと歩いていく。英士はその歩みに半分つられたように、その後をついていった。
其処此処でチームメイト達が食事をしている。遠くで騒ぎながら走っていっているのは、外に食事をしに行く連中だろうか。
「さー、俺らもメシにしよーぜー。」
「ッだから!‥‥、」
前を行く結人の肩をつかんで、強引にでもこちらを向かせようとしたその瞬間に、結人が軽やかなステップでターンをした。踏み込んでいた英士は不意に縮まった距離に思わず動きを止める。
「線ってのは、止まってんだよ。点と点の連続でしかないワケ。それ以上でもそれ以下にもなんないんだ。今のお前、それだよ。」
「‥‥‥‥。」
「一馬のこと好きだよな。そりゃ解るよ。ゲーム中にもそのこと考えちまうくらい。何年親友やってんだよ。そんくらい解るよ。‥‥で、お前それからどうしたいわけ?」
「‥‥え、」
「好きなんだ。そーですかそれで?‥‥違うだろ終わりじゃねぇだろ。好きならさ。その次があるだろ。」
「次、」
結人がニヤリと笑った。
自信と優しさを混ぜ合わせたその笑みは、この親友に良く似合っていると思った。
「俺、英士のサッカー好きだぜ。感覚で突っ走ってるお前カッコイイよ。同じだよ。うだうだ考えてないで、行け。走っちまえ。線に、感覚と感情の矢印入れて、行けよ。そんで走れ。突っ走れ。」
理性ではない、言葉ではありえない。
精神のずっと奥深く、獰猛で鋭敏な何か。
研ぎ澄まされた感覚と、感情の矢印を、頼りに。
「‥‥言って来い!」
大きな大きな、親友の後押しをうけて。
視界の端、掠めた愛しい黒髪にこの気持ちを告げよう。
「一馬!」
線をひいたら矢印を書け。
矢印を書いたらその次は、感覚を澄ませて突っ走れ!
end.(10.26/2002)
君に向かう恋愛感情、この熱を力を思い知れ!
‥‥当初と違うトコに着地しちゃって困惑中。もう1作続きます。
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