しあわせなからだ















ゴスッ‥‥





背後に響いたなんともいえない音に、一馬は思わず振り返った。
だがしかし振り返った先、いつもあるはずのニコニコ笑顔は、視線の先に見当たらず。
一馬は首だけ向けていた其方に、身体ごと向き直る。
そして、視線を『彼』のための高さから、ぐぐーっと下降させると。

「‥‥何してんの?」

声なく蹲る、須釜がいた。

蹲る、というポーズにはいろいろと意味があるのだそうだ。
中でも人間の本能として、何らかの回避行動時にとることが多いらしい。苦痛、嫌悪、恐怖など理由は様々だが、精神的、肉体的は不問である。‥‥とは、どこで聞き覚えた話だったか。

精神的苦痛の発生‥‥というのは、ちょっと考えにくいし。
というか理由が見当たらない。
となれば、残るは‥‥

‥‥と、そこまで考えたところで一馬は、それまで下げていた視線を、上へとあげて。

「‥‥ああ。」

心の中でポンと手を打ち、納得した。
そして未だ蹲る須釜の前に、自分も同じ様にしゃがみ込み、額を押さえているその人の手の上から、同じ様に自分も手をそっと置き、一言。

「痛い?」
「‥‥‥‥ちょ、ちょっと‥‥。」

常どおりの声を出そうとしているものの、どこか引き攣った調子の須釜の声が、鴨居に激突という惨事(?)により受けた痛みを、物語っていた。





『日本の住宅は狭すぎる』

とは、どこかの建築業者の謳い文句であるが。
往々にして、長身の者にとりその言葉は建築業者とはまったく別の意味で実感される言葉である。





「ホラ、コレで押さえとけば。」
「‥‥すみません。」

差し出した濡れタオルを受け取った須釜は、真田家のリビングのソファにその長身を横たえた状態のまま、それを額に乗せた。
冷たいその感触に、鈍い痛みがほんの少しだけ和らいだ気がする。おもわず、長い息をついた。
すると、その長嘆息に誘われたかのように、小さい笑い声が耳に届く。

「‥‥笑うことないじゃないですかぁ‥‥。」

タオルの端から見遣った先には、ソファの傍の床にじかに座って笑う一馬の姿。手のひらで口元を押さえてなんとか笑わないようにしようとしていたようだが、その須釜の恨みがましい声音のそれに、堪えきれなかったのか、大きくふき出した。
肩を震わせて笑っている。

「真田君てば‥‥。」
「‥‥っわ、ワリィな、須釜‥‥ッ!」
「笑いながら謝られてもー。」

酷いなぁと、つけ加えられたその台詞に、一馬は尚一層笑いを誘われたらしく、床を転げそうな勢いで爆笑している。
須釜はそんな一馬に、視線はちょっと恨みがましいものを向けていたものの、内心では決して怒っても恨んでもいるわけじゃなく。
どちらかといえば、全開の笑顔で笑い転げる一馬の姿の方に、額の痛みよりも気をとられていたりして。

「‥‥かーわいい〜‥‥。」
「は?なんか言った?須釜。」
「いいえ、なんでもv」

涙を流さんばかりに笑い転げていた一馬には、幸いにも(?)須釜の台詞は聞こえなかった様子で、漸く笑いの波の治まった一馬が起き上がり掛けてきた声に、須釜はいつものニッコリ笑顔で応戦したものだ。
その全開の笑顔に、一馬はちょっとツリ気味の目を少し大きくしたあとで、スイっと顔を逸らす。
少し赤くなった頬に、須釜の笑みは深くなる。

「‥‥何、笑ってんだよっ。」
「いいえー、なんでもないですよ〜ぉ?」
「うっわムカツク、その言い方!何だよ、言えよ!」
「だーからなんでもないですってv」
「鴨居に額ぶつけるような間抜けの分際で。」
「う‥‥ッ。」

短い言葉の応酬の後、目を合わせて二人して笑った。

「いや〜、ウチと少々寸法が違うので、目算を誤りましたよ。」
「寸法って‥‥、なんだよ、お前ンちは家ごとデカイわけ?」
「うん、僕の父親の家系が、親族累々に至るまで皆さん長身でねー。母はそんなでもないんだけど、両親が家を建てるときに『どうせ貴方の子どもなら大きくなるんだから、家ごと大きく建てましょ』って、母が。」
「‥‥んで、予想通りでかくなった、と。」
「そういうことー。だから僕の家は、他所よりもちょっと天井とか間口が高く作ってあるんですよねー。」
「はー‥‥。」
「まぁ、普段はそれでも他所に行くときは気をつけてたんだけど。ちょっと、今日は‥‥、」
「今日は‥‥何?」

微妙に切られた言葉に、きょとんとした一馬が問い返す。
その問いに、してやったりの笑顔で、須釜は答えた。

「今日は、恋人の、家に遊びに行くので。緊張したんだよv」
「‥‥それで鴨居に額ぶつけてりゃ、世話ないよな。‥‥カッコわりー。」
「‥‥‥‥‥‥うぅッ。」

そしてまた笑い声。
優しい空気で満たされたその場所で、二人は無邪気に笑い転げた。

そして、一頻り笑った後で、フッと表情を改めた一馬が、手を伸ばす。

「まだ痛むか?」

ソファに寝転んだ状態の須釜の額にそっと触れてくる指先に、須釜は優しい気持ちで目を細める。
床から軽く身を乗り出すようにして伸ばされた、ほっそりと引き締まった腕が、指が、ひどく愛しくて。

握りこむようにその手を取って、指先に触れるだけのキスを贈る。

ピクリと震えたその指の主が何かを言うよりも早く、須釜は恋人の身体を引き寄せ、寝転んだままの自分の上に乗せるようにして、抱き締める。

「ちょ‥‥、須釜、」
「大丈夫ですよ。」

抱き込むようにしたその人の、ほんのりと赤く染まった耳元で囁けば身じろいでいた身体も大人しくなり。
まぁ、大丈夫ならいいけど、とか、ボソボソと呟かれるその声に、須釜は幸せをかみ締めたのだった。





「‥‥っつっても俺んち来る度に鴨居に頭ぶつけてたんじゃ困るだろ‥‥。」
「あ、心配してくれるんですかv」
「いや、鴨居が壊れるし。」
「‥‥‥‥。」
「だから、今度からは俺がお前んち行くよ。」
「‥‥‥‥‥‥‥‥。」
「‥‥んだよ、文句ある?」
「いいえ全く!」




end.(08.13/2002)

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