きっかけは些細なこと。
けれど気になりだしたら止まらない。










テオブローマの悟り





















東京都選抜の練習は、招集日によって異なるものの大概全日練習である。
手配した練習場への交通の便により多少前後するものの、おおよそ午前9時前後に集合し、監督の号令の下練習が開始される。指導陣の組んだメニューを幾度かの休憩を挟みつつこなし、天候や選手たちのコンディションや習熟度を鑑みつつ夕刻に終了、といった具合だ。
クラブユースや部活動などとは違い、都内各地に散らばるメンバーを招集できる日は限られている。また、少年達が主として所属するチームの試合や別カテゴリからの招集といった都合により、全メンバーを残らず招集する、ということは困難であった。その限られた日程でいかにチームを作り、機能させていくか‥‥その辺りが監督以下指導陣の腕の見せどころというものであるが、それはまた別の話である。 現在問題にすべきは『全日練習』と『幾度かの休憩』。
そして休憩は休憩でも、昼食を取る為の昼休憩だ。

その日も午前のメニューを終えたサッカー少年達は、監督の午後練開始時間を告げる声もそこそこに食事へと向かった。
向かったといっても、全員に決まった食事が出されるわけではない。ある者はコンビニへと買出しに、ある者は近所のラーメン屋に、といった具合におもいおもいの食事を取るのである。
育ち盛りで伸び盛りで食べ盛り。そんな言葉が最もフィットする年代の少年達にとって、食事というものに単なる栄養補給という以上の意味がつくのはさほど不思議なことではない。出来れば美味しいもの、量もあれば申し分ない、ついでに薄い財布に優しい安いものがいい!そんな思いとカラッポの胃を携えて練習場を後にする少年達を見送るのは、指導者である大人たちと、弁当持参組の少年達だ。
そしてその日の木田圭介は、後述組のひとりであった。

「内藤、メシは?」
「あー、今日は外で食う。なんか鳴海がこの近所に美味いラーメン屋があるとか言っててよ。木田も来ねぇ?」
「や、俺は弁当あるし。というか今金がない。切実に。」
「そりゃ切実だなー。ま、帰ったら俺の美味いラーメン報告聞かしてやるからさ。楽しみにしとけよ。」
「うるさい、せいぜいメシに時間かけすぎて午後練遅れんなよ。」

挨拶代わりの軽口に、わざとらしいしかめっ面で遅れねーよ!と応えた内藤を見送った木田は、弁当を片手に弁当組が屯する辺りへと足を向けた。
急な身体の方向転換について来れなかったのか、額から汗がするりと滑り落ちた。一筋ついた汗の通り道に、春には遠い冷えた風が吹きつける。体温を奪うその風に、木田は思わず目を閉じた。

「木田。」

一瞬の視覚の喪失時にかけられた声は、思いのほかクリアに木田の耳へと届いた。 聞き慣れたというには少々足りない、けれどポジションの関係で最も多く声を掛け合う立場の相手。

「不破。‥‥お疲れ。」

声を掛けると「む、お疲れさまだ。」と妙に恬淡とした口調で言葉が返ってきた。 グラウンドを囲う無骨なブロック塀に背を預ける形で座るその人物の、特に声をあげているというわけでもないのに良くとおる声はGKだからだろうか、と埒もない事を考えていて、木田はふと気づく。

「あ、そうか今日は渋沢が居ないんだったな。」

午前の練習を終えた今になってという科白だが、木田は何故だかそのときになって、今更のようにその事実を実感した。

(‥‥ん?何でだ、)

感覚の、微妙な齟齬。

「15歳以下の代表選抜、だそうだ。」

木田の言葉を問いかけと取ったのか、不破がやはり淡々とした口調で呟いた。昨日電話で言っていた、と付け足すように語る不破に、木田は曖昧な相づちを返した。

渋沢は東京都選抜の第一ゴールキーパーである。と同時に、現年代のナンバー1GKと呼び声の高い選手だ。その高い身体能力やメンタリティは、ポジションの違う木田でさえ何某かの感銘を受けることがある。

その渋沢が、今日は居ない。‥‥居るのは

「あ、そうか。」

思わず出してしまった声に、食事中の不破の視線が向けられるのが解り、木田は妙に焦った気分でなんでもない、と返した。その焦りは声にも十分現れていたのだが、目の前の人物にとってはどうでもいいことなのか、そうか、と簡単な言葉を返したのみで再び食事を再開した。

妙な感覚の齟齬の正体が知れた。

『不破の隣りに渋沢が居ないから』である。

 

 

 

前述したとおり、渋沢は東京都選抜の第一GKである。そして同時に、このチームのキャプテンでもあった。落ち着いた物腰と細やかな気配りは個性的(といえば聞こえはいいが、要は我の強いメンツ、というだけのことだ)なチームメイトにあっては、既になくてはならないものとなっていた。

───不破、一緒にごはん食べようか

(確かそんな科白、だった気がする)

不破は小堤の怪我による中途離脱によって招集されたメンバーである。
チームとして立ち上げられ、幾つかの試合も遠征もこなした後での参加は、考えてみれば不破にとって馴染みにくい環境だったかもしれない。
水野や風祭といった同中学のメンバーがいるにせよ、不破のことを遥か昔の選抜合宿時にしか知らない、というメンバーが大半なのだ。‥‥木田がそうであるように。
馴染みにくい環境に囲まれたメンバー、年下の同ポシション。面倒見のよいキャプテンである渋沢がその存在に心を砕くのは、ある意味必然ともいえた。

(そう、それで渋沢に連れられて、不破がやってきて、)

一緒に食事を取るようになったのだ。
渋沢と、内藤と、そして木田と。

渋沢は、不破の面倒を良くみているようだった。チーム内には二人しかいないGKという同ポジションだからか、視界に入るときはほぼ必ず一緒だった。不破が年下ということもあってか、柔らかい口調で声を掛けていたように記憶している。そして不破は、その渋沢に‥‥

(‥‥‥‥どう応えて、いたっけ?)

 

 

 

「木田。」
「ッうわ?!」

至近距離でかけられた声に、木田は思わず声を上げた。
沈んでいた思考がその声に一気に引き上げられたかのように、クリアになった視界に周囲の状況が飛び込んでくる。
無骨なブロック塀の色、少し離れたところには弁当を食べているチームメイト達。そして、文字どおりの目の前には

「‥‥不破、」
「ふむ、気がついたようだな。」

そんな言葉を置き土産にして、不破は元いた場所まで身体を引いた。
手のひらと膝についた砂を払っているが、いわゆる四つんばいになって体重をかけた膝からは、なかなか砂が取れてくれないらしい。幾度か手ではたいた後、ふむ、と軽く首をかしげるようにした後で構わなくなった。
その様子を木田は妙に早くなった心拍数を保ったまま眺めていたのだが、再び向けられた視線にもう一度、大きく心臓が脈打った。

「気分でも優れないのか。」
「え、‥‥え?」

真正面から受けた視線の強さと、告げられた言葉の内容の理解が追いつかず、木田はうまく言葉を返せない。言葉が出てこないことに対してさらに焦りがつのり、ますます言葉がでてこない。
そんな悪循環に嵌ってしまった木田を、腕組みをしてじっと見つめていた不破であったが、唐突にぽむ、とひとつ手をうったかと思うと、口を開いた。

「午前の練習ではこれといったトラブルも発生せず開始前に監督及びコーチより告げられたメニューを予定時間どおりに終了。現在は昼食及び筋肉の休息を目的とした休憩時間だ。午前練習での運動により筋肉は休養と酸素、補修及び次運動に備えての栄養素を欲している。そしてお前の膝には栄養源となるだろう昼食、弁当箱が乗せられている。因みにその弁当箱は前回練習時に持参されたものと同じものだな。しかしお前はその栄養を目の前にあるにも拘らず摂ろうとしない。午後にも練習は控えており栄養補給は必須であり急務であるにも関わらずだ。ということは栄養摂取をしない、もしくは出来ない理由があると推察される。以上の考察より導き出された推論。『気分でも優れないのか。』だ。‥‥大丈夫か?」

おそらく不破の目の前に居るのが自分ではなくほかの誰かであったなら、木田はこの滝の如き勢いの長口舌に拍手の一つでもしたかもしれない。
淡々とした口調で語られるのはいっそおかしいほどに筋道だった論理展開、一種独特の喋り方、そして良くとおる、澄んだ声。
木田はこんなに喋る不破を初めて見た。

(‥‥ああ、違う、)

 

 

 

不破がこんなに喋るのを‥‥不破を、初めて認識したのだ。

 

 

 

途中参加のチームメイト。小堤の代理。渋沢が面倒を見ているGK。
一緒にフィールドに立ち、一緒に食事をしていた人物。‥‥それは『不破』ではなかった。

 

 

 

『渋沢の横に居るGK』だ。

 

 

 

「すまない。」

そんな言葉が気だの口から零れたのは、殆ど無意識だった。
木田は目の前に居る、『不破』に、視線を返す。真っ直ぐな不破の視線は変わらず自分に向けられていて、そのことに木田は安堵にも似た感覚を得た。

長めの前髪が目元近くでゆらめいている。少しタレ気味の目。こちらを見ながらぱちぱちと音の出そうな瞬きをしている。そういえば、先ほど顔を寄せられた時に見た、睫がとても長くて‥‥

 

 

 

(綺麗、だった、)

 

 

 

「‥‥‥‥‥‥ッ!?」

木田はそれこそ音を立てそうな勢いで顔ごと視線を逸らした。
顔ばかりでなく身体も同時に動いてしまい、胡坐をかいた膝の上に乗せてある、まだ手をつけてない弁当がカチャリと音を立てたが、早鐘の如き速さで胸を打つ鼓動と、先ほど頭を過ぎった言葉に大混乱な思考は全く気がつかない。

(綺麗って何、)

(何、いや違う、何じゃなくて、)

(‥‥‥‥誰が?)

「木田?」
「うわっはははい?!」

動揺のあまり不審を通り越して面白い返事を返してしまった木田を、不破はやはり真っ直ぐな視線で見つめていたのだが、ふぅとため息にも似た深い息をひとつすると、するりと綺麗な動作で立ち上がった。よく鍛えられている筋肉の証のような滑らかな動作に、木田は思わず目を奪われる。
つられて上がった視線の先で、もう一度不破と目があった。

真っ直ぐな視線。‥‥そしてどこか、傷ついた、色の。

「どうやら本格的に調子が悪いようだな。とはいえ午後練開始まで時間も無い、無理をしてでも食事は摂ったほうが良い。‥‥俺は、他に行くか、ら」
「っ、違う」

その腕を取ることの出来た、己の瞬発力に木田は心から感謝する。

「不破が、お前がどうとかというわけじゃないんだ、一緒に食事をするのがどうってわけじゃ‥‥すまない、おかしな態度、とって。」

斜め下から立ち上がった人間の腕を掴まえて必死に言い募る姿は、下手をすれば絡んでいるようにも見えなくはなかったのだろうが、幸いというべきか近くで食事を摂っていたはずのチームメイト達は当に食事を終えてどこかへ行ってしまったあとだった。
とはいえ、この時の木田にとってはギャラリーなどあっても関係なかっただろうが。
降りてくる視線に、真っ直ぐに己の其れを返す。
掴んだ腕に少しだけ力を込めて、言葉を紡いだ。

「不破、一緒にごはん食べよう。」
「‥‥‥‥渋沢と同じことを言うのだな、木田。」

す、と引っ張るように掴んでいた腕への抵抗が消えた。代わりに木田の視界に現れたのは同じ高さの目線の不破だ。
別にひとりでもメシは食えるぞ、という不破の目に、先ほど見た痛みが消えていることに、木田は心から安堵して、捉えていた腕をゆっくりと解いた。

「まぁ、でも誰かと食べるほうがなんとなくいいだろう。」
「しかしお前は俺が食べている間中、目の前で何事か考え込んで食べていなかったようだが?」
「いや、それは‥‥その、」

至極最もな不破の言葉に、木田は言葉を詰らせた。
‥‥まさか正直に言うわけにもいかない。
まっすぐに向けられる視線に同じく目を返しつつ、何と答えたものかと焦る木田を救ったのは、まるで試合終了を告げるような高く長い、ホイッスル。

「午後練開始するわよ、集合!」

女監督の張りのある声がフィールドに響き渡る。

「‥‥あ、え?」
「木田、行くぞ。」
「え、あ‥‥ああ。ッと、」

監督の声に一瞬も躊躇うことなく立ち上がった不破の言葉に、木田は一瞬遅れて反応した。立ち上がりかけて、その膝の上から弁当箱が滑り落ちる。
蓋さえ開けられていなかった弁当箱は、鈍い音を立てて地面に落ちた。

「あー‥‥。」
「結局食事は取れなかったな。」

淡々とした口調の不破に、なんとなく恨みがましい目線をやれば、俺のせいではないぞと返された。全くの正論なのでどうしようもないのだが、淡々としているくせにどこか悪戯げなものを含んだ不破の声音に気づいたことに、木田はなんとも言えない気分に駆られた。
立ち上がって不破を見遣れば、フイとわざとらしく視線をそらされる。茶色味を帯びた髪が、少し低い位置でふわふわと揺れた。触れたらきっと柔らかいのだろう。

‥‥それはほんの些細な変化。

「木田。」
「何だ?」
「空腹での運動は良くない。‥‥これでも食っておけ。」

投げ渡された小さな欠片を、木田がキャッチした時には既に不破は集合場所へと走り出していた。
木田はその後姿と、手のひらに落とされた欠片とに、順番に視線を遣って。
それからひそりと、笑みを落とす。
木田は手のひらの小さなチョコレートを口に放り込むと、全身に力を込めて駆け出した。
甘いかけらは直ぐにとろけて、身体に心に満ちていく。

 

てのひらに落とされた、甘いチョコレート。
こころに落とされたのは、甘い想い。

 

「ありがとう、不破。」

その言葉は遥か前を走る不破には聞こえなかっただろう。
聞こえなかったら、聞かせればいい。
俺が不破を認識したように、不破にも俺を、知らしめるのだ。

 

 

 

 

 

きっかけは些細なこと。
けれど気になりだしたら止まらない。

 

 

 

 

 

(人はそれを 恋と呼ぶ。)






end.(12.31/2004)
『不破大地生誕祭2004』に提出したもの。お題は『食事』。
テオブローマというのはカカオのことです。「神様の食べ物」という意味だそうな。
渋沢と不破の関係がどうなのかは微妙です。

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