美しい漆黒、そこに沈む金色の光。
それが世界の最初に、見た色彩。
「不破ー。不破センセー?起きとるー?」
「‥‥む」
呼び声にスッと焦点を合わせた主に、苦笑しながらグラスを差し出す。中身はよく冷えた水。最近は中央公社からの連絡も物資も途絶えがちだったので、暖かい部屋できちんと冷却処理した天然水を起き抜けの主に手渡すことが出来て今日はずいぶんとついている、と思う。
もっとも、水が温かろうが実は合成液体物だろうが、この主はかけらも気にはしないのだろうが。
「‥‥俺は、寝ていたのか?」
「うん?あー、寝とった寝とった、グーグーシゲチャン愛してるーずっと一緒に居てー言いながら寝とったで〜」
「それは嘘だな」
「イヤンばれた?」
いつ如何なるときも淡々と、まるで動じるという言葉自体が彼の辞書には記載されていないのかと思いたくなるほどに真面目くさった返事をくれる主に、シゲは冗談めかした言葉と共に再び苦笑した。
ゆっくりと水を飲む姿を眺めていると、飲みたいのか?と問われたのでやはり苦笑してから首を振る。自分には、必要の無いものだ。
「今日は何しよか」
「ぬ、そうだな‥‥」
ことりと首を傾げて考え始めた不破の足元に座りながら、内蔵端末からソーシャルネットワークに無線アクセスして情報を取り込む。
昨晩のアクセスで幸運にもこの先一月ぶんの食糧と燃料を手に入れることが出来たので、然程処理速度を上げることなく、けれど片っ端から情報を拾い上げていく。時折攻勢防壁やトラップに遭遇しかけ、その都度難なく回避しながら、けれどそんなものは実のところ問題にもならないものばかり。そもそも彼に敵うネットワークなど存在しない。‥‥本来ならば、このレベルのネットワークに障壁やトラップがあるはずが、ない。
年々ノイズとバグの増えていくネットワーク内を"飛び"ながら、情報の海を浚う。底に沈む汚泥には触れないよう、主に必要となるものを逃さないよう。
「佐藤」
一瞬でネットワークを遮断した。
主を見上げる。感情の薄い、けれど誰よりも綺麗な漆黒の瞳と出会った。
初めて対面したときと寸分も違わない、揺らぎのない目だ。
「‥‥ん。何するか決めた?」
「今日は、本を読もうと思う」
「そか」
短く答えてから立ち上がり、シゲはドアを取り払った続き部屋へと歩いていった。灯りをつけない薄暗い部屋には、書物が堆く積み上げられている。ここ数か月の記憶を浚い、しばらく読んでいないだろう辺りの本を数冊抱えて部屋へと戻った。
「不破、これでええか?」
「ああ」
本を手渡し、空いた手で傍らにおいていたひざ掛けを主の其れへと掛ける。歩くことが出来なくなった足はすっかりと細くなっていたが、日々処方している機能維持の運動の賜物か、壊死等の深刻な障碍には至っていない。
とはいえ、日一刻と悪化していく、具体的には気温の低下していく屋外環境を鑑みれば、これからは今まで以上に注意する必要があるだろう。
つま先まで覆うよう、ひざ掛けを丁寧に着せ掛けて、ついでとばかりに冷たい主の膝を抱え懐くようにして、シゲは腰を下ろした。
不破は、何も言わずに本を読んでいる。
「な、その本面白い?」
「まあまあな」
そういう不破は、頁を繰りながら確かに文字を追っているようだ。
本当は、本の内容など残らずその頭脳に刻み込まれているだろうに。
新しい本はない。発行されない。出版社も、本を書く人間さえ、もう居ない。
彼らは既に旅立ったのだから。
この星を、彼らが破壊した、今は徐々に冷え死に行く星を捨てて、旅立ったのだから。
ここに残ると淡々と言った主に、シゲはただ頷いた。
ここに残ると、‥‥残されると。知っていたけれど、ただ、頷いた。
嘗てこの星の為に、誰よりも働いて。だからこそ、誰よりも疎まれて。
「‥‥なあ、不破」
「何だ」
膝に懐きながら、主を見上げる。
読書中なため、先ほどのように漆黒の目と視線が合うことはない。けれどやはり、伏せがちの目も見惚れるほどに綺麗だと思う。膝に置いた本をめくる指先も、痩せ細った両脚も、呼び声さえ。
綺麗で。
死にゆく星に捨てられて、死にゆく身体を抱えて、それでも。
「‥‥不破。マスター。こっから出たいなら、なあ、行けるんやで?それくらい、なんでもない。方法なんてホントはいくらだってある。なんだってしたる。そしたら、その足だって元のとおり歩けるようになるし、本だって、研究だって、なんだって、」
「佐藤」
綺麗な声に言葉を遮られた。視線が合う。やはり綺麗だと思う。美しい漆黒。その奥に沈むような金色の光。
‥‥彼の為に作られて、引き合わされたその時からずっと。綺麗だと、思っている。
「もう、いいのだ。俺はこれまで十分にやりたいことをしてきたし、結果も出せたと思う。運命などと言う言葉は感傷的に過ぎて好きではないが、どうあってもこうなることは、もう解っていたから」
「けど、」
「いいんだ。‥‥お前を取り上げられなかった。それだけで、いい」
漆黒に沈む金色の光。
それは最初に見た色彩、シゲの始まりを彩る瞳。
‥‥彼の為に作られた。世界最高の頭脳が、世界最高の技術をつぎ込んで。
シゲを作った人物は、本当に彼の、不破のためだけにシゲを作った。
当時の世界は今よりもずっと緊迫していて、そう、下らない国家間の戦争さえ出来なくなるほどに。住処である星自体の危機に、戦争などしている暇などかけらもなかったのだ。戦争の無いという意味ではある種理想の世界を築いた汎国家機構、通称"公社"と呼ばれる中央機関を筆頭に、誰も彼もがこの危機を打開しようと‥‥或いは自分だけでも生き残ろうと必死で、シゲを作った人物も、否応なしに巻き込まれて。
それで、シゲを作った。
作って、そして死んだ。
‥‥正確には、天才と言われたその人が愛していたこども唯ひとりを救う為に。死んでしまう自分の代わりに、そのこどもを守る為に。
けれどそれを周囲は許さない。その技術を、その性能を。その、脅威を。
しかし、結局そのこどもから便利な機械を取り上げることは敵わなかった。何故なら、その子供もまた天才だったからだ。
幼くしてその頭脳で周囲を圧倒し、様々な功績を積み上げて。宇宙航行技術を確立し、環境形成技術を飛躍的に発展させて、他星系への移住という夢の科学を恐るべき速さで作り上げた。その結果、人工汚染されたこの星自体を放棄するという方法を手に入れた人々は、こぞって他星へと旅立つこととなる。
‥‥英雄であるこどもを、捨てて。
‥‥過ぎた頭脳は、害毒であると言って。
それを子供は、淡々と受け入れた。
その代わりに願ったことは、ひとつだけ。
「‥‥すまない、佐藤。俺こそ、お前をこの星に引き止めてしまった」
「‥‥ッ、」
その主の言葉に、砕けそうなほどに歯を噛み締めた。ギリギリと嫌な音がする。経口摂取型の燃料補給タイプではないのだ、砕けたところで支障などありはしない、血もでない。‥‥けれど、この主が悲しむだろうから。
だから、代わりに主の身体を抱き締めた。そっと、抱き締めた。
「‥‥な、不破、俺は、不破の為に作られたんやで?お前残してどこに行け言うの。アホなこと言うな」
「佐藤」
「置いていかんといて」
「‥‥佐藤」
‥‥実際には、シゲへ用いられている技術自体は既に公社へと強奪に限りなく近い形で譲渡されている。数年もすれば彼らだけで(あるいは、既に)同じだけの独立思考型機械体を組み上げることは可能だろう。
そういう意味では、すでに公社にとってシゲは必要ない存在だった。不破と同じくらい、要らない存在だった。交換条件にもならない。子供の出した条件を飲むことは造作もない事だった。
けれど、子供の願いはそれだけだった。
シゲの願いも、それだけだった。
「‥‥不破の傍に、居らせて」
「‥‥俺は、お前の傍がいい」
それは死にゆく星の片隅で囁き交わされた、小さな願い事。
シゲはそっと、不破の冷えつつある身体を抱き締める。彼だけの為に作られた機械の腕で、抱き締める。閉じられた瞼の奥にある漆黒を、想う。
美しい漆黒、そこに沈む金色の光。
それが世界の最初に、見た色彩。
それが世界の最後に、見る色彩。
title/『アルファルド』
end.(03.24.2007)
とあるサイトさんで拾ってきた『王道変換バトン』をお題風に使用。
1:昔から共に生きてきた主と従者。主は?
不破。壊れかけの欠片同士。
壊れかけても抜群の性能だけど、やっぱり壊れかけ。
お互いがいないと寂しいのです。