長い長い間、星を探してきた。輝く、自分だけの星を。
「やめておけ」
唐突に降ってきた第三者の言葉に、シゲと卓越しに差し向かいに座り、熱心に口上を述べていた中年の男が勢いよく頭を跳ね上げた。
その拍子に、卓上にあれこれと広げていた紙に男の腕が触れ、ガサリと掠れた音をたてて僅かに舞いあがる。それは飴色の卓上から落ちるほどではなかったが、乱された勢いで卓上に置いていた彼の片拳に粗い裁ち目を触れさせ、摩擦によるかすかな熱がシゲの指の付け根を掠めていった。
その微かな痛みは、遠い昔に感じた何かと良く似ていた気がして、シゲは一時の浮揚を終えた紙の端をそろりと摘む。
目の大きな方眼には雑な線が幾重にも描かれており、[地図屋]のみが使う記号がいくつも書き込まれている。
滲んだインクが、しぼられた照明に薄ぼんやりと光っているように見えて、シゲはまじまじとその、地図に打たれた「その場所」の印へと視線を注いだ。
「何を‥‥っ、テメェ、横から口出ししてんじゃねぇぞ!」
しかし次の瞬間にたてられた怒声に直ぐに視線は上げられた。かといって、それには決して怯えなどはなく、代わりに多分に鬱陶しげな色を含んでいたのだが。
先ほどまで、酒場の一席に差し向かいに座り『商談』を交わしていた男が、今は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、傍らの存在へと詰め寄っている。
此処にいたって漸くシゲは視線をめぐらせ、低めの椅子に座したまま頭上を振り仰いだのだ。
そこには、黒衣を纏った人間が立っていた。
‥‥否、おそらく人間と思われる、というべきかもしれない。何故といって、その姿は頭から爪先まで、すっぽりと黒布に覆われていたからだ。
熱砂塵避けのフード付きのマントはこの第4都市の付近を「渡る」者達には馴染みの衣装ではあるのだが、それにしても、とシゲは思う。
黒衣に覆われた肢体はそのラインをあいまいにしていたが、一見しただけでもそれなりの長身であることが判る。それは立ち上がり詰め寄る中年男との比較でより際立った。
「クダ巻きてぇンなら余所に行けや!こちとら仕事の‥‥」
「4期前の『地図』でか」
「な‥‥ッ!」
掴みかからんばかりの勢いで喚いていた男であったが、黒衣の人物のひどく淡々とした台詞に息を呑むと、途端に身体を凍りつかせた。
しかし黒衣の人物は自分の台詞が目の前の人間にもたらした効果に些かも頓着することなく、やはり無機質な声音で言葉を紡ぐ。
「現在の最新図だと<月の平原>は34・135度、<2Dノバルディス>は39・99度。2期前の変動時に<444廃園>で侵食が発生、よって40−50度付近は今は沈んでいる。第5都市の特定航路505aは全封鎖、同bは銀位以上の[羅針盤]が必要だ。‥‥結論」
淡々と紡がれていた言葉が不意に途切れた。
その一瞬の空気に呼ばれたように、シゲは視線をほぼ無意識のうちに上げた。
星を見た、気がした。
「この地図での「渡り」は不可能。‥‥お前」
断罪にも似た断言と、黒衣の裾がふわりと揺れたのはほぼ同時。
次の瞬間には針のような短刀が卓上の地図を貫き、木製の卓に繊細なオブジェの如く突き立てられていた。店内の淡い灯りが翻った鋼に、星の如くきらめく。
その手品めいた手技に、先ほどまでとは違う斬りつける口調での言葉が続く。
黒布の奥で、眇められた眼が鋭い光を放ったと感じた。
「正規ライセンスの[地図屋]ではないな」
「ッの野郎が‥‥!!」
無機質な声に逆上した詐欺師の声と、椅子が倒れるけたたましい音が重なった。
その懐から引き抜かれた無骨な匕首に、何事かと視線を向けた他の客達の軽く息を呑む気配が、薄暗い酒場内を満たす。
己の携える武器という力が齎した気配の変化に、男は征服感にも似た暗い興奮を覚えた。
‥‥裏路地で買い叩いてきた役に立たない地図での詐欺は、ほぼ成功すると踏んでいたのだ。その証拠に、余所者だと一目でわかる金髪の若い男は黙って話を聞き込んでいたではないか。「渡り」の出来ない地図で男がどうなろうと知ったことではない、騙されるほうが悪い。後はこの馬鹿が金を出すのを待つばかりだったというのに‥‥!
男は匕首を勢い良く振り上げる。目の前の黒衣は動かない。
「ふざけてんじゃ‥‥ッ、な、あ?!」
「そうやねぇ、ふざけてたら、あかんよねぇ?」
その声は、このような場面にこれほど相応しくない声もあろうか、とでも言いたくなるほどにあっけらかんとした声だった。‥‥表向きは。
だがしかし、この声の持ち主の眼と指先には、明確な声ならぬ意志が含まれている。すなわち、
「‥‥俺の店で暴れんといて?死にたないなら。」
小柄な身体にすっきりとした白いシャツ、給仕用の長い前掛けをして、な?とばかりに首をかしげる姿は、男にしては可愛らしい容姿と相まって、いっそ愛嬌さえ感じられた。‥‥指先で、振り下ろされた刃先をピタリと止めていてさえ、だ。
「む、吉田」
「はぁい、いらっしゃ〜いセンセー♪ていうかノリックでええていつも言うとるのに。律儀さんなんやから、もー」
周囲の人間には、いつの間にその傍に現れたのかさえ謎な店主は、やはり場違いなほどの愛嬌たっぷりな笑顔を黒衣の人物に振舞うと、匕首を押さえていた手とは逆の手で詐欺師の手首をひょいと掴んだ。
「‥‥ッな?!、痛、痛ェ‥‥!!」
「当たり前やん痛く掴んでるんやから。ウチは真っ当な酒場なんですー、あんまアホな真似せんといてや。叩き折るよ?‥‥ああ、それとも」
にこにこと、あくまでも朗らかな表情を向けてくる店主に対し、腕の痛みに脂汗を滲ませていた詐欺師は、そうして言葉を切り視線をすいと移動させた店主につられ自らの視線を動かし、今度は恐怖の冷や汗をかくハメになった。
「脳ミソごとふっとばされるんが良かった?」
「‥‥‥‥‥‥!!!」
ヒタリと己の眉間に照準を定められ、ピクリとも動かない銃身は、つい先ほどまで絶好のカモだと思っていた金髪の男の手にしっくりと馴染んでいる。
冷たい兵器の向こうにある眼は何の気負いもない、いっそ穏やかとさえいえるものだ。
そう、全ての生命を拒絶した冷たい海の如き‥‥存在全てを否定されるような。純然たる、殺気。
「あ、でもなぁこの距離でアタマやられると弾けるしなぁ。血も脳漿もなかなか落ちひんから掃除が面倒やわぁ。やるんなら別のトコにして欲しいんにゃけど?[銃撃手](ガンナー)さん」
「無駄弾使いたないねん。楽やし、確実なのが好み」
「あっはは、面倒くさがりやなぁ!そのワリにようもまぁヨタ話に付き合うとるとは思ったんやけど」
「暇つぶしにな。」
ぽんぽんと交わされる台詞はなんとも軽やかな調子で、それゆえに恐ろしさは倍増だ。事の次第を見守る他の席の客達でさえ薄ら寒いものを感じているなかで、その標的である男にしてみれば正しく生きた心地がしないものだった。
と、ふとその手首を固めていた腕が離される。視線を離せなくなっていた金髪の男の目がふと伏せられ、その瞬間男は全身を襲う震えにへたり込みそうになる。
しかし、その場に崩れ落ちる前に再び店主の声が耳を打った。
それは先ほどまでと同様に朗らかなものではあったが、同時にそれ以上の『力』が込められていた。
「ま、小銭稼ぎは相手選んでやりやー。‥‥『出ていけ』」
その声と同時に、詐欺師だった男の顔が茫洋とした表情に覆われる。
男はふらふらと覚束無い足取りながら確実に、他の席にぶつかることもなく外へと通じる扉へと向かい、やはりふらふらとした手つきで戸をくぐると、そのまま何も言わずに出て行った。
パタリ、と扉の閉じられる音に、渦中の人間以外の客達はやれやれ、とでも言うかのように再びそれぞれの食事や歓談へとゆっくりと戻っていく。特に興奮するでもない。
そもそも、匕首が振り上げられようがそれでどうにかなるとは思ってもいなかったのだ、彼らも。彼らはそれだけの経験を積んでいたし、なにより『この店』である、というだけで十分だった。
さて、一方その渦中の人間達であるが。
「吉田、お前いつ[セイレーン]のライセンスを取ったのだ?」
「えー、驚いた?驚いた?!んーとなぁ、3週間くらい前やったかなぁ。あ、ついでに[唄い手]も取ったんやでーああもうこの溢れる才能が憎いわぁ♪今度唄うし、センセも聴いてってな!‥‥あ、いつものでええのん?」
「ああ」
「まいどおおきにー。おーい、吉住ー、よーしーずーみー!」
吉田はにっこりと商売人らしい笑顔を相変わらず黒布をすっぽり被ったままの相手に向けると、そこから奥にあるカウンターへと大きな声で呼びかけた。
古びてはいるがきちんと手入れされたカウンターには、止まり木に凭れ酒を楽しんでいる数人の客がいた。常連と思しきそのうちの一人がその声に振り向くと、カウンターの向こうへと何事か声を掛ける。すると、ひょいとばかりにカウンターの下から人間が顔を出した。
「んん〜?」
「センセにいつもの用意したって」
「んー。」
気だるげな顔の男は、奥の棚から大きめの紙袋に食べ物や水、日用雑貨などをその茫洋とした表情とは裏腹に手早く詰め込むと、足音を感じさせない歩きで件の卓へと近寄ってきた。
黒衣の人物へ向かい、にこりと笑う。
「こんばんは、センセイ。いつものな。で、これはおまけ」
最後に紙袋の上にどこからか取り出したグラスを絶妙のバランスで乗せた。満たされた淡い琥珀色の液体は、どうやらカクテルらしい。
「ウチの[カクテルメイカー]の新作な。センセも飲んで感想聞かせてやー」
横合いから朗らかな声で言った店主と店員を、黒衣の人物はしばらくじっとながめていたようであったが、特に何を言うでもなくグラスを片方の手で取り上げながら、もう片方の腕で袋を受け取った。
黒衣の裾から差し出された手は、長く整った指をしていた。
白く綺麗な手だと、既に銃を収めたシゲはぼんやりと思う。
「‥‥で、こっちのヒトにもおまけ」
コトリと軽い音に卓上を見れば、短刀に縫いとめられた古い地図の脇に浅いカクテルグラスが置かれており、やはり淡い琥珀色の液体が満たされていた。細かな泡沫がグラスの底にたまり、淡い店内の照明に輝いている。
シゲが吉住と呼ばれた店員を見上げると、どこか気だるげな表情ながら淡い笑みを浮かべた男が、軽く肩をすくめながら言った。
「まぁなぁ、せっかくウチに来てヤ〜な思いだけってのもナンやしな?」
だから厄払い、と飄々とした声で言う吉住に、店主が呆れたといわんばかりの口調で言葉を挟んだ。
「ていうか、厄やてわかっとんならさっさと止めろや」
「あー?だって面倒やし。わし体力ないもん。大体お前も見とったやん」
「え、だって面白そうやったし」
「お前が一番始末に悪いわ」
そんなやりとりを聞くともなしに聞いていたのだが、横合いから先ほどと同じくコトリと軽い音を立てられて、シゲは咄嗟に其方を振り仰いだ。
「吉住、美味かった」
初めて聞いた声と寸毫も違わない、淡々とした雰囲気の声が布越しに聞こえる。
存外柔らかな生地らしい黒布がサラサラと静かな衣擦れと共に、仰のいたシゲの視界を一瞬遮り、次の瞬間。
「‥‥<星落としの門>は、やめておけ」
垣間見た瞳と、耳元で囁かれた言葉とに、息が止まるかと思った。
( 見 つ け た )
気がついたときには既に黒衣は離れ、酒場の店主と店員に軽く会釈らしきものをして出口へと向かっているところだった。滑らかな足取りに黒衣が揺らめいている。
どうやら愛想のない様子に慣れているらしい、会釈を受けた二人は気にした風もなく、会話を続けている。その合間にヒラヒラと手のひらを振ったのが彼らからの返礼らしかった。
パタリと扉が閉じられる。
「‥‥‥‥‥‥‥‥なぁ、」
「だーからお好み焼きはごはんやねんて‥‥って、ん?何ですかー[銃撃手]さん?おかわり?ていうかまだ飲んでへんやん」
「や、そうじゃなくて。‥‥さっきの」
語尾を曖昧にした台詞とともに見上げてきたシゲに、店主はおやおやとでも言いたげな表情を返してきた。
「へ?自分、知っとるのと違うのん?」
「は?」
シゲはその言葉に、いっそ自分で呆れるほどの間の抜けた声を返してしまった。
そのあまりにも正直すぎる表情に店主は更に驚いた風になったのだが、何を思ったか不意にシゲの顔を‥‥正確には瞳を、じっと覗き込むようにした後で、これまた不意に身体を離すと、ふぅとため息をついた。
‥‥何がなんだかわからない。
「ちょっと、」
「あー、解らんでええのええの。ってか自分、ここ最近この近くで[地図屋]と[羅針盤]探してたヒトやんな?噂になっとったよ、だからおかしなんもついてきたんや思うけど」
「え」
妙に話のとぶこの店主の言葉にどうにも付いていけず、シゲは小さな声で呟くだけとなる。しかし店主はそれを気にした風もなく朗らかな笑顔のまま‥‥ひたりとあてた目だけに、どこか切ない色を込めて言った。
「止めとき。[地図屋]も[羅針盤]も無理や。自分の行きたいところには、そんなライセンスじゃ辿りつけん。‥‥星は、掴めへん」
「な‥‥ッ」
今度こそ言葉を失った。
思わず拳を打ちつけてしまった卓上で、カクテルグラスが繊細な音をたてて倒れた。美しく淡い琥珀の液体は零れ落ち、広げられたままだった地図に新たな地形図を描く。
「‥‥零れてもうたなぁ。新しいの持ってくるわ」
「ちょっ、待‥‥ッ」
「[銃撃手]さん、」
離れていく店主にかけようとした声は、すっとその姿を遮るように身体を移動させた吉住の声に吸い込まれた。
「なぁ、さっきの、さっきの言葉は」
「‥‥あの人に会いにいき」
つい先ほど、眉一つ動かさず人ひとりの命を刈ろうとした人物の目に宿る必死の相を吉住は静かに見遣る。そうして告げた言葉は、カクテルを持ってきたときと飄々とした口調こそ変わらなかったが、その言葉には、ある種の意思が秘められていた。
「わしらが言えるんはそれだけや。‥‥会いに行け。そして、自分で確かめて。‥‥そして、」
‥‥そして、助けてあげて。あの、堕ちた星を。
祈りにも似た、そんな意志。
シゲは弾かれたように駆け出した。
必死さがむき出しになった慌しい様子に、再び店内の客の視線が集まる。けれどもう、彼にはどうでもいいことだった。
見つけた。見つけたのだ。‥‥自分は。
長い、本当に長い時間、探し続けた。
不完全なこの世界、砕けた星を探し続けてきたのだ。
end.(12.02/2005)
こういう夢を見たんで、それをそのまま映してみたネタです。
世界観が不完全ですが、まぁ雰囲気で(‥‥。)
関西メンツを初めて出しました。
background imaged by
[ZODIAC]