風よ、嵐よ。‥‥それを運命だと言うのならば。









見渡す限りの草原を疾駆する、一頭の黒駒がいた。
群れるでもなくただ一頭きり。ぐんぐんと、さながら夜空を落ちる流星の如く緑の海原を疾駆する姿は例えようもなく美しい。
熱く激しい、生命そのものの姿。
駆ける、駆ける、駆ける。たった独り。‥‥いや、違う。

その背に、小さな人影。

並ではない脚である。常人、いや、余程の馬術に長けた者ですら振り落とされかねない速度のそれを、その人物‥‥少年は、簡素な鞍と使い込んだ手綱のみで見事に操っていた。

「ハイッ!」

まだ幾分高い少年の声音と、馬の嘶きが重なり合う。
その声に応えるように空間を切り裂く風の如き速さで疾駆していた馬であったが、やがて静かに速度を落とし、軽く旋回を繰り返した後に、立ち止まった。
低く嘶く黒馬の首の辺りを、騎乗していた少年は労わるように軽く叩いて、まるで体重を感じさせない身ごなしで地に降り立つ。
風が、吹いている。
澄みきったステップ特有の風に、少年は目を細める。額に巻いた飾りが、シャラシャラと短い黒髪に絡んで、鳴った。

「あー‥‥きもちいー‥‥。」

ドサリと。少年はそう呟くや、後ろに倒れるように寝転んだ。
柔らかな下草が緩衝材となり、痛みはない。額飾りには美しい紅玉の飾りが施されており、涼やかな音を立てる。
少年は目を閉じる。視覚を遮る事で高められた他の感覚器官が、敏感に世界の様子を伝えてくれる。
大地の温かみ、小さき生き物たちの息吹。
草海原を駆け抜ける、風の音。

「って、うわッ!」

唐突に頬にザラリとした感触。反射的に目を開けると、それは彼の駆ってきた愛馬の、舌だった。少年はくすぐったさに身を捩って笑う。

「くすぐったいって、マツバ!こら!」

身を捩って、笑って。生まれたときから世話をしてきたマツバのじゃれつきに、少年は笑いながら地を転がって逃れた。
ころころと転がって。そして気がつけば、

視界を占める、圧倒的な空の青。

「きれー‥‥。」

全てを洗い落としたような天蓋の色を、少年は漆黒の瞳で瞬きもせず、見つめた。
風が、吹いている。




(‥‥いつまで、)




それは不思議な感覚で少年の心を占める問い。




風が、吹く。









(‥‥いつまで、こうして)









「‥‥いつまで」
「何がいつまでなんだ?」
「うわぁッ?!」

飛び起きた拍子に、寸でのところで額同士をぶつけるところだった。

「え、み、水野?どうして此処にいんの?」
「‥‥藤代。お前もしかして、気づいてなかったのか?今の今まで。」

呆れ返った声で自分を見返してくる幼馴染みであり、『兄弟』でもある少年の視線に、藤代は内心の動揺をおし隠し、えへへと笑って返した。
呆れられるのも無理はない。ここは見渡す限りの草原だ。目隠しになるようなものは何もなく、ましてこの幼なじみは気配を殺してきたわけでも、姿隠しの魔法を用いていたわけでもない。いくら彼が優れた、数世に一人といわれる魔法士だからといって、普段はまったく普通の少年に過ぎないのだ。
水野の横には彼の愛馬であるジョウスイがひそりと優雅に立っていた。 藤代は苦笑する。水野はその笑いに、ぼんやりしすぎ、と言って己と同じ額飾りをつけた藤代の額を手の甲で叩いた。そして、座ったままの『兄』の横に並んで、腰をおろした。
風が二人を弄って吹き抜ける。少年達の巻いた額飾りが、そのたびにシャラシャラと澄んだ音をたてた。

風が吹いている。

草原を吹きぬける風は心地よく、それでいて厳しい。しかし風の精霊の加護を持つ二人にとっては、ひたすらに優しく抱きとめる存在でしかない。よく鍛えた弓弦を弾くような風鳴りは、あたかも彼らを守護し永遠の愛を誓う雅歌であった。
草原の民は自分を愛してくれる風を愛しく思い、それ以上に深い畏敬と感謝を捧ぐ。草原に住まう者として、地と風に対する想いはそれは親兄弟に対するものよりずっと心に根ざしたものではあるのだが、この場に居る二人の少年にとっては、それ以上のものであった。

『生まれながらにして風に連なる者』と預言された、彼らは『兄弟』。たとえ血の繋がりがなくとも。

一人は『風見の巫士』と一族全てから崇められ、かたや『烈風の落とし子』と‥‥密やかに、烈しく畏れ、疎まれようとも。

水野が差し伸べた指先に、まるでじゃれつくように風が凝っている。事実、その小さな、生まれたばかりの風は少年にじゃれているのだろう。誰よりも自分たちに近い存在が愛しくてならぬとばかりに、風は水野の傍に居た。
それを見るともなしに藤代は眺める。
そう、この『弟』は"全てを受けとるもの"なのだ。風からの愛を。大地の信頼を。その聡明な目に、現在過去未来を見通す力を宿らせて。 自分たちを視た預言者は、正しい。藤代はそれを知っている。己もまた、『生まれながらに風に連なるもの』なのだから。

(‥‥ああ、けれど)

藤代は、少しだけ笑った。‥‥ああいった、小さな風には、自分は好かれない。
風は、優しい。真実、優しい。『弟』同様、己が風の深い加護を受けていること、深い愛を受けていることは、誰よりも知っている。




‥‥けれど、自分に彼らが齎すものは




「いつまで、‥‥」
「‥‥え?」
ふと隣りで風に乗せられた言葉に、藤代は思考をふつりと切って顔を上げた。

「いつまでお前は‥‥ここに、居る?」
「‥‥水野」




嵐が、




「‥‥お前を、」




血の色をした嵐が、




「藤代、お前を巻き込む、お前は、」




‥‥‥‥‥彼を攫う。




それは未来を見通す『風見』の眼、『"全てを受けとる"弟』の預言。
全てを薙ぎ払い、あらゆるものを無に帰する嵐に愛された、『"全てを失う"兄』への悲哀。




強い風が、吹きぬけた。




「それでも俺は行くよ。」




水野は、強く笑った藤代を見遣り、涙を零した。









黒髪に漆黒の瞳をした皇帝が即位するのは、これから四年と少し後の事。
『狂える英雄』をただ一人で討ち果たした、その皇帝の行方を知るものは、誰もいない。







title/『no return』
end.(01.31/2008 改稿)

『stand by me』から2年後くらい。
藤代は渋沢の次の皇帝であり、この物語全体の最終皇帝。
好きなひとが出来て、大切で守りたい仲間ができて、そして永遠に失う。
それが"全てを失う"彼の宿命。
『プライベートヘヴン』という皇帝藤代と、"狂える英雄"の一人との話に繋がります


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