薄暗い部屋だった。
光源と云えば、中央の卓に設えられた燭台が一つきり。
その燭台の明かりさえ、卓上を占領している様々なものに遮られ、ぼんやりとした明かりをその周辺に落とすのみだ。部屋の隅に至っては、天窓から流れ込んでくる、墨を落としたような夜闇に包まれ、壁の色さえ判別がつかない有様である。
もっとも、この部屋は昼間であろうとも壁の色の判別はつかないのだが。
部屋を占領するのは膨大な紙束と、黒光りする不可思議な道具たち。大小さまざまな瓶や缶、無造作に積み上げられた木材や鉱物、用途不明どころか正体不明の物体まで、ありとあらゆるものが混在し、もはやその場を居住空間と認める事さえも難しいほどに堆く積み上げられ、壁を覆っているのである。
‥‥が、その部屋の主は、そんなことどうでも良いとばかりに(実際そうなのだが)その中央、燭台の置かれている机の前に陣取り、仕事をしている。
銀に細かい彫りを施している。まだ、若い男だ。
闇に溶けるような長めの黒髪が、俯きがちなことと相まって、その表情を隠している。
片眼鏡をかけていないほうの目は閉じられ、全神経は指先に集中し。
サリサリサリ、と金属を削る特有の澄んだ高い音が微かに響く。一定の速度で繰り返される音はどこか音楽めいた響きで、その空間を満たしている。
突然、音が止んだ。
合わせて、男が顔をあげた。
揺らめく燭の火とあわせるように、黒髪が僅かに揺れた。
「‥‥翼か」
「ご名答。」
舞い降りる、という表現に相応しい所作で、その声と、人物はやってきた。‥‥上から。
正確には、天窓から。
黒衣を纏った人物は、あたかも夜の闇から溶け出たかのよう。
しかし部屋の主といえば、夜の妖めいた訪問者に驚いた様子もなく、むしろ呆れたといわんばかりのため息を一つつく。そして、手にしていた仕事道具と、彫金途中の銀片を卓に敷いた布の上に慎重に置いた。
「たまにはドアから来い」
「普通の客みたいに?」
「どこから入ろうとお前は普通じゃないから大丈夫だ」
至極真面目な口調の冗談ともつかぬ言葉に、宵闇の来訪者、椎名翼は綺麗に笑った。
部屋の主である黒川柾輝は、諦めた調子でもう一度、ため息をついた。
「此れ、今のお前の仕事?何作ってんの」
翼は、先程まで柾輝が細工を施していた銀を手にとった。
紡錘型の手のひらに納まるサイズの其れには、まだ一部であるが花弁とおぼしき姿が彫りこまれている。
「髪飾り。」
柾輝は掛けていた片眼鏡を外し、鼻の付け根を揉み解しながら素直に答えた。別段黙っておく事でもないからだ。
翼は其れを燭の火に翳して、繁々と眺めている。
「地味じゃねぇ?」
「いいんだよ地味で。銀は台で、石を入れるから。そっちがメイン」
「『彫金師』なら意匠で勝負しなよ」
「何を使おうが奇麗なものを作るのが俺の仕事」
「詐欺。」
そう言うと、それきり興味を失ったように翼は銀片をもとの布の上に転がした。そして、ストン、とその後ろの箱らしきものに腰掛ける。
開け放たれたままの天窓から流れ込む夜の空気にふわりと燭の火が揺れ、その横に座る翼の横顔をほんのりと浮かび上がらせた。
表情のないその顔は、上等な白磁の人形にも似た奇麗さ。
柾輝はその顔をぼんやりと眺めた。
彼は『奇麗なものを作る』ことを生業としている身である。
そういう意味では、柾輝の『奇麗さ』についての審美眼はとてつもなく厳しい。
ややもすれば少女と見紛うその容姿。美しく装い街を歩けば、多くの目を引き寄せることは間違いない。
白桃の頬、シュガーブラウンの髪、ほっそりとした優美な肢体。
「少女めいた」「可憐」で「清雅」な、その姿に。
‥‥柾輝にしてみれば何をか言わんや、である。
この目の前の人物を前にして、そんな評価をする連中は馬鹿だ。
「‥‥で?なにも今日は、俺の仕事を見学しに来たわけじゃねぇんだろ?」
その声に、翼が顔をあげた。
可憐さとは無縁の、炸裂する炎の如き苛烈なまでの強さを秘めた、その顔。
『奇麗さ』と『強さ』は、同意義だと、彼に逢い知った。
ヒタとその強い瞳を見つめ、柾輝は問う。
「この『武器職人』に、何を所望する?」
「俺に相応しい武器を。」
彼は笑った。
美しく強い、闘うことを知った男の顔で。
「運河要塞に行く」
「血に染まりし運河要塞ね‥‥そりゃまた、大物釣りだな」
「まぁね。でも、やらないといけないんだ。‥‥絶対に」
「めずらしいな」
「そうか?」
「面倒くさがりのくせに。雪でも降るんじゃないのか?槍とか」
「‥‥それ以上言えば、槍より先に俺がダガーの雨、降らせてやるけど?」
「謹んで遠慮しとく」
柾輝は取り出した武器を吟味しながら卓上に置いていく。
雑多なものの中から引っ張り出した棺桶ほどの箱には、部屋とは対照的に整然と柾輝の武器職人としての『作品』が並べられていた。
丁寧に張り込まれた布の上には、小柄や、針のような刃が静かに横たえられている。といっても、お針子が使うような針とは比べ物にならない強度と危険さを備えている。
上質な金属と合金でうたれたそれは、生半可な小剣程度なら両断できる。裏の世界から絶大の信頼をうける、それが彼の生み出す作品だ。
翼は並べられていく其れを無造作に数本掴み取った。
金属であるにもかかわらず、擦れあうあの独特の音はない。煌めくような刃のツヤも消されている。
所謂其れは、暗器と呼ばれる類のものだ。暗殺用‥‥最小で最高、必殺の力。
翼は手の中の道具に暫し見入る。
とても奇麗だと思う。
これは命を奪い、血に染まる道具。
だからこそこんなにも美しいのだろうか。
「翼、」
「‥‥‥‥ああ」
呼び声に見上げると、真剣な顔にぶつかった。
スッと、手が差し延べられる。
優雅な美しいものを作り上げる彫金師の手、刃向かう命を滅殺する力を作り出す武器職人の手は、意外なほどに大きく。
絡ませた視線は、美しく強く。
「死ぬなよ」
「当然」
パァンッ!と強く手のひらを打ち合わせた。
夜のしじまに響き渡るほどのそれに、二人は軽く笑った。
酷く綺麗な、笑いだった。
「そうだ柾輝、あの髪飾り、仕上げるなよ」
「は?」
「あれにつける石、土産に持って帰ってやるから」
「‥‥‥ああ、運河要塞の、スターストーン、か。でもあれは」
「そう、『星煌めく炎の欠片』。それまでせいぜい地味な台座作ってなよ、彫金師さん。」
「言ってろ。」
闇に溶けるように、音もなく消えたその姿を見送って。
柾輝は立ち上がり、作りかけの髪飾りを手にとると、それをそっと棚の中にしまった。
「翼が帰るまで、しばらく眠ってな。」
焔の如き美しき人が持ち帰る、炎の欠片をともに待つ。