不破は、黙々と荷を造っていた。
笠井は、其れをじっと見つめていた。
二人の間に、会話はない。
ただ、深々とした静寂が其処には在った。
元々所持品の少ない不破の荷造りは、驚く程に簡素で、容易な作業。笠井が手土産に持参し、手酌でやっていた葡萄酒が、半分もなくならない間にそれは完了した。
ふぅ、と息をついた不破は、ガランとした室内を見回す。
ゆっくりと、視線を廻らせ、最後に、壁に寄りかかるようにして床に座っている、友人へと、視線を遣った。
笠井は、両手で包み込むようにした杯を、じっと見ていた。
不破は、静かな足取りで彼の人のもとへと歩み寄る。そしてその隣りへと、静かに腰を下ろした。
「もう、行く。」
視線は前に向けたまま。不破は静かな声でそう告げた。
笠井の応えは無かった。ただ、包み込んだ杯の葡萄酒の表面が、さわりと一瞬、波立った。
不破も、それ以上はなにも話さなかった。
闇と静寂が、二人を包み込む。
‥‥2年前も、こうして黙って、並んで座っていた。
出逢ったばかりの二人。黙と座り、闇の中。
ただ、触れた肩から伝わる温かみだけを、感じて。
同じだった。2年前と。
違うのは、あともう数刻で、その温みが失われる事。
判るのは、多分、もう、一生、その時を分かち合う事が、無い事。
不破は、皇帝と共に旅立つ。
先の皇帝崩御の報を受けたのが、今から8ヶ月前。
新たな継承者たる若者が此処帝都へと上洛したのが、1ヶ月前。
王宮での一通りの儀式を済ませたのは、5日前で。
そして、この友人が、彼の人の要請に応えて共に出立することを自分や研究所に告げたのは、今から僅か、6時間ほど前だ。
どうして、とか。何故彼が、とか。
それは言えない事だった。
言ってはいけない事だ。
たとえ、其れが死出の旅立ちと同意義のことだったとしても。
先の皇帝は、はるか東の砂の国で命を落とした。
七英雄との激闘の末の、相討ちだったという。
それにより、砂の国・メルーの平定は成った。人々は彼の皇帝を、英雄と称えた。
その前の皇帝は、大氷原で。
記録はない。何故、彼女が其処に行ったかさえ、定かではない。ただ、皇帝崩御を継げる秘術が、宮廷にその報を齎したのみだ。
その前も、その前も。
時間を超え、連綿と受け継がれてきた『皇帝の意志』。
『魂の継承』と呼ばれる秘術は、遥か昔、偉大なるレオン帝が、帝国の存亡を賭した闘いの際に、伝えによると古代文明の生き残りより授かったとされる、皇帝継承者への能力継承の秘術である。
『七英雄』を倒し、戦火を世界からなくすという壮大な思想。
帝位の継承の秘術は、全くのアトランダムに行われる。
親から子へ、という種類のものではない。
継承者の命が尽きたとき、または継承者がその意を放棄したときに、その術が発動され、世界の中の『その人』に、意志を継承させるのだ。
それは、盗賊の一味の一人だったこともある。
未開の地の、美しい女戦士だったこともある。
裕福な商家の一人娘。
老齢の魔術師。
彼らは戦った。歴代の皇帝全て、その力の及ぶ限りをもって戦い抜き‥‥‥‥そして、斃れていった。
魂の秘術。壮大な意志。
‥‥‥‥違う。
‥‥‥‥強力な、呪縛だ。
笠井が遠目にみた新帝は、亜麻色の髪をした若い男だった。
隣りには綺麗な黒髪の青年、多分異種族であろう青年が居た。
新帝は、穏やかに笑っていた。
‥‥けれど、歴代の皇帝たちと、同様に。
強い意志を秘めた目をしていた。
彼の人は、闘いに身を投じるだろう。
闘い、傷つき、そして世界の何処か、笠井の知らない土地で斃れるのだろう。
そういう人に、この友人はついていくのだ。
「‥‥‥‥ど、うして、」
笠井のカラカラに乾いた唇からは、乾き掠れた声しか出ない。
不破は黙ったままだった。
言ってはならない言葉だった。この地に住まう以上、それは決して言ってはならない言葉だ。解っている、解っていた。
けれど、笠井は言わずにはいれなかった。
叫ばずにはおれなかった。
「どうしてっ、どうしてお前なんだよ?!」
『この地の平和は、皇帝とその仲間の、犠牲の上に建っている』
その、残酷な事実。
不破は、近いうちに、死ぬだろう。
「魔法士なら、もっと凄いヤツだっているじゃんか!なんで、なんでお前が‥‥ッ!」
握っていた杯を床に叩きつけた。赤い液体が床に散る。それはさながら血の如く、床を染めた。
笠井は両手で顔を覆った。強く目を瞑った。
「なんで‥‥ッ、お前、ならっ、断る事だって出来たはずだろーが‥‥ッ!」
そうなのだ。不破には、断る事が出来たはずなのだ。
不破も、笠井も、同じ帝立の術法研究所に勤める魔法士だったが、その立場は違っていた。
笠井は代々、アバロン宮廷に仕える名門で、現在の地位は宮廷付きの魔法士だ。もしも彼が皇帝に同行を請われていたならば、断る事など出来も、考えさえしなかっただろう。
だが、不破は違う。彼はフリーの魔法士だ。
2年前まで遥か東の地で、半ば隠遁にも似た術師としての生活を送っていたと聞いた。彼がこの地に来たのは、術法研究に参加して欲しいとの、帝国の招請を受けたから。
つまり、契約でこの地で研究をしているわけで、契約が済めば彼は自由にこの地を離れる事が出来る。
契約には、皇帝との同行を強制する文言は含まれていないはずだ。
「何で‥‥ッ!」
「お前を守りたいから。」
笠井は瞠目し顔を上げた。不破は、彼のほうを向いていた。
静かな目だった。けれど強い、‥‥あの皇帝と同じ、強い決意を秘めた目だった。
「俺は、正直なことをいえば、この地がどうなろうとどうでも良いと思っていた。帝国が斃れようと、狂った七英雄が世界を滅ぼそうと。其れがこの世界が選んだ理ならば、仕方のないことと思って生きてきた。が‥‥、」
そこで不破は言葉を切り、一呼吸。
「この地で、お前にあって。お前という友人を得て、この地が滅ぶのが、イヤになったのだ。お前が住むこの世界を滅ぼされるのは困る。だから、行く事にした。‥‥あの皇帝だけだと、なにやら頼りない気がしてな。やはり、自分の目的は自分で達するべきだろう?」
そう不破は言うと、いたずらっぽく笑った。あっけにとられている笠井の顔を見て、笑みを深くした。さらには、声を出して笑い出してしまう。
笠井は、その様を茫然と眺めていたが。
「‥‥‥‥お前ってヤツは‥‥。」
「なんだ。」
「‥‥‥‥‥‥いや、もう、いい。」
「そうか。」
そういうと、不破は身軽に立ち上がった。そしてスタスタと棚に歩み寄ると、そこから杯を二つ、取り出してきた。
葡萄酒をそれに注ぎ、友人の横に座りなおす。
「飲むか?美味いぞ、これ。」
「‥‥もともと俺の持ってきたもんだろうが。」
差し出された杯を、些か乱暴に奪い取ると、笠井は一気にその中身を飲み干した。
そして、勢いよく立ち上がる。
不破は少しだけ驚いて、急に立ち上がった友人を見上げた。
「どうした、」
「俺も行く。」
「は?」
「俺も、皇帝についていく、と言った。」
「‥‥‥‥は?」
間の抜けた声を笠井は見下ろして、ニッと笑った。
「お前、俺を守る為に行くっていったよな。」
「いかにも、言った。」
「じゃ、俺はお前を死なさない為に行くことにした。」
「‥‥‥‥おい、」
「俺を守るため?冗談じゃないね、俺は自分の身くらい自分で守るさ。自分の生きる場所くらい、自分で勝ち取ってやる。どっちかと言えば、お前に死なれる方が大問題だ。寝覚めが悪すぎる。だから、」
笠井は笑った。強い瞳をして、笑った。
「行くよ。一緒に。」
不破は、言葉が出てこなかった。
代わりに何か、溢れるような何かが、心を満たしていることに気がついた。
不破とて、この話を軽い気持ちで受けたわけではない。
死ねといわれているも同義の要請だと、解っていた。
それでも、守りたいと思ったから。
この友人を。唯一無二の、大切な友人を。
たとえもう、二度と会えなくても。
けれど、その友人ときたら。
「行くか。」
「ああ。行くよ。」
「一緒に。」
「うん。」
最後まで。‥‥死ぬまで、一緒に。
二人は笑った。
とりあえず今することは、亜麻色の新皇帝のもとに赴いて、同行の許しを得ることだろう。
「不破と違って、俺は剣も馬も使えるし。お前より使えると思うんだよな。」
「む。地系魔法なら俺のほうが勝ってるぞ。」
「俺は冥系も使えるし〜。って、そうだ研究所の方の引継ぎする時間ないなぁ。‥‥間宮辺りがなんとかしてくれるかな。」
「古代文字が読める!」
「読めても戦闘には関係ないじゃんか‥‥。」
「そんなことないぞ、渋沢は古代人の神殿には古文書があるからと‥‥」
「‥‥‥‥不破、お前、古文書がタダで読めるとかってのに釣られたんじゃないだろうな、」
「‥‥‥‥‥‥。さて、渋沢たちは今日は王宮に泊まると言っていたかな‥‥」
「話を逸らすな、待て。不破!」
二人は笑う。笑いながら、走った。
一緒に居よう。
最後まで。最期まで。