『私には情熱の対象がふたつあります。一つはチョコレート、一つは貴方です、太陽王。』









    ショコラトル    










「‥‥というのがフランスの"太陽王"ルイ14世に嫁したマリー・テレーズの言葉だ。当時はチョコの原材料であるカカオの栽培法やチョコレートの製法はスペインが最先端だったが、17世紀初頭からヨーロッパに広まり始め、王侯貴族を初めとする上流階級に大流行したのだそうだ」

聞き慣れた声が、ラッピングペーパーやリボンが擦れ合う盛大な音などまるでお構いなしに響いている。
抑揚の少ない声はどこかモノクロームな印象で、それが一層現在の彼を取り巻くカラフルな存在を際立たせているように思えた。或いは、逆かもしれないが。
彼の存在はモノクロームでありながら、いつだって主役級の存在感だ。

「とはいえ当時のチョコレートというものは甘いどころか苦い上に脂肪分過多で飲み難い、今でいうところの健康飲料的扱いだったらしいが。そこに登場したのがオランダのコンラッド・ヨハネス・ヴァン・ホーテンだ」

そう、見事なまでの器用さで山と積まれた「其れ」を解体しながら流れる滝の如く語る、今だって。

「彼はカカオペーストから脂肪分を分離する製法を開発しココアを発売、その後アルカリ処理やココアバターを使った固形チョコレートが開発されコンデンスミルクを加えた甘いミルクチョコが発売されるに至り、世界に名だたる甘い菓子の代名詞となったと言う具合だ。以上。何か言いたいことは?」
「ヴァン・ホーテンが心の底から憎い。あとコーヒーくれ」
「自分で淹れろ」

視線をちらとも向けないで放たれた台詞に、しかし三上は何も言わず立ち上がった。勝手知ったる他人の家、今居るリビングからコーヒーメーカーが備えてあるダイニングまではほんの数歩だ。

「三上、俺にもコーヒー」
「いやお前こそ自分で淹れろよ」
「お前がこちらの作業をすると言うのならそれでも構わんが」
「ごめんなさい淹れさせていただきます」

砂糖は不要だが牛乳を入れてくれ、とこれまた淡々とした口調で付け加えられた注文に、けれど今日の三上は逆らわない。否、逆らえないのである。
何せ、今日は三上にとっては大変切実な事態打開の為に不破家を訪れているのだから。



事の始まりなど、一言で説明がつく。
本日が2月14日を終えた、最初の休みだ、というだけで。



愛の告白に、バレンタインのチョコレートを添え。
それは、告白を打ち明け受ける立場に関わらず、ある意味夢の小道具である。‥‥が、甘いものがキライな人間にとっては、悪夢の小道具にクラスチェンジするのである。

「‥‥これ、お前んちに置かせてくれ。ていうか食ってくれ」
「いいだろう」

悪夢の小道具を背負って(両手に提げるだけでは足りなかったのだ)不破家を訪れた三上を、とりあえず包装くらいは解いていけ、といって迎え入れてくれた不破は、現在リビングに山積みされたチョコレートの包装を片っ端から剥ぐ作業真っ只中だ。
三上はサーバーからコーヒーを陶製のカップに注ぎつつ、包装が剥がれていくにつれ強くなってくる甘い匂いに、これまた勝手知ったるなんとやらで換気扇の『強』のスイッチを入れる。フォン、と一瞬だけ高くなったファンの音にある種の気休めを貰いつつ、三上は冷蔵庫から牛乳を取り出した。

「三上、カード類はどうする」
「あー‥‥一応分けといてくれ。あとで処分すっから。お前、いつものカフェオレでいいのか?」
「了解した。ああ、それでいい」

二つの話題をまぜこぜに話しながら、それぞれの作業をこなす。
カフェオレを作った三上は、自分のブラックと一緒にリビングへと引き返す。甘い匂いにコーヒーの深い薫りはそれなりに盾になってくれた。
剥がされたまま放置された包装紙類を掻き分けるようにして、フローリングの床に座る位置を確保し、カップを置く。コトリ、と陶器特有のこもった音は、周囲の色彩の洪水の中にあってどこか朴訥とした、牧歌的な音に聞こえた。

「ほらよ」
「ありがとう、だ」

そんな短いやり取りも、色彩に沈まない穏やかな音をしていた。

「カードはそっちだ」
「ん、サンキュ」

三上は示されたその小さな紙片たちを、適当にまとめてに掴んでチョコを詰めてきた袋に突っ込む。バサリと軽い音がして、その音に不破が目を上げた。視線があう。

「見ないのか?」
「お前なぁ‥‥。見ねェっつの。大体、見たところで仕方ねえだろ。どうせ書いてるこたぁ同じだろうし、‥‥それに応える言葉も、一つしかねーよ」
「‥‥そうか」

そう言って、またバリバリと包装を剥がす作業に戻った不破を見ながら、三上はコーヒーを一口飲んだ。
かすかな酸味と香ばしさと、恋人の少し赤くなった目元に、三上は少しだけ微笑む。

「しかし三上、お前本当に甘いものが嫌いなのだな」
「キライ。ダイキライ。ヴァン・ホーテンが憎い心の底から!」

よもやヴァン・ホーテンも、200年近く経ったはるか東方の国でここまで恨みを買うとは思いも寄らなかったことだろう。

「む、これは乙女が好きなブランドのものだな」
「おばさん、今日も仕事か?」
「今はアメリカだ。近いうちに一度帰国すると言っていたが、いつかは知らん」
「まあ、チョコだしちょっとくらいなら置いといても傷まねぇだろ」

三上の言葉に返される言葉はなかったが、その箱だけ別の場所に置かれる。帰国する母に渡すのだろう。
万事に淡々とした不破ではあるが、こういったところが、可愛いと思う。
そしてコーヒーを、またひとくち。
不破はまた次の解体作業に取り掛かっている。
それをぼんやりとした視線で眺めながら、鼻先で薫りを遊ばせるように、カップを揺らす。

「お前は食べねぇの」
「無論、食べるぞ。糖分は脳の栄養だ」
「あーそー」
「甘いものは、嫌いじゃない」
「ふーん」
「苦いのも嫌いじゃないぞ」
「ほー」
「カフェオレも好きだが、ブラックも好きだ」
「あー」
「ついでに三上も好きだ」
「ついでとか言うなコノヤロウ」

コトンと響いた陶器の音はやはり牧歌的で、色鮮やかな包装紙を掻き分けて交わしたくちづけはコーヒー味だ。



『私には情熱の対象がふたつあります。一つはチョコレート、一つは貴方です、太陽王。』



それは3世紀前、麗しのチョコレートに魅せられて捧げられた愛の言葉。

「‥‥俺の情熱の対象は、お前だけで充分だ」

3世紀後の東の果ての国で、チョコレートに囲まれ捧げられたその言葉も、やはり甘い、愛の言葉だった。







end.(02.29/2008)
photo by [頽廃]

ラスト投稿は三上。ありがとうございました。