「俺のファーストキスは、ミルク味だ」
「え、」
それって、つまり?
ハニーミルク、ミルキィハニー
藪から棒、寝耳に水。
小学生の頃に習ったことわざ。昔の人の言うことは意外に正しい。
確かに藪から棒が出てくれば意表を突かれるし、寝耳に水を注がれた日にはびっくりするに決まっている。
だから、こんなことを淡々としかも唐突に告げられた自分が、口に含んだ飲み物にむせ返ったのは、正しい反応だと思うのだ。おそらく。
「‥‥ッホ、ゴホッ、っ」
「む、どうした渋沢」
大丈夫か、なんて。
ギリギリで噴き出さずに飲み干したマグカップを座っていた横の床に半ば放り捨て、背中を撫でてくれていた手を身体を捩って強引に掴まえる。
掴まえた其れは薄くて硬く、自分に良く似た、けれど少しだけ小さな手。それは欠片の抵抗もなく、俺の手の中に収まった。
「あの、不破くん」
「何だ」
「ファーストキスって、ええと、‥‥不破くんの、だよね?」
「俺の、と言っただろう。聞こえなかったのか」
勿論、聞こえていた。
少し低い位置にある、座っているぶんだけほんの少し差の縮まった身長差。近くで見たら身長のわりに薄めのその肩に触ってみたいなとか何とか、そんなことをカップに口をつけながらぼんやり考えていたにせよ、そもそも狭い寮の部屋で、隣りあって体温を感じられるくらいの距離に居て、聞こえないわけもない。
結果、口の中でモソモソと、自分でも反論なのか何なのかよくわからないことを呟いて、俯いてしまう。
昨夜、ルームメイトから胡乱な、いや意味深な笑みを貰いながらも丁寧に丁寧に掃除した自室の床は、自画自賛したくなるほど綺麗だったけれど。
なんだかそれも、くすんで見える、気がする。
いつだって唐突で(彼には彼なりの理屈があるらしいけれど)淡々としていて、自分よりずっと賢明で、‥‥とても、綺麗で。
けれど何故か一緒にいてくれる彼は、実際、自分の恋人で。
(ファーストキス、不破くんの初めての、それって、)
別に『はじめて』がどうだというわけじゃない。不破だって変えようのない過去の事実をあれこれ言われても困るだけだろうし、‥‥実際、自分こそ言われても困る。
ただ、‥‥そう。少しだけ、
彼がミルク味だというファーストキスの味は、俺の其れとは違う、という事実が。そう、なんとなく、‥‥
「‥‥ミルク味、なんだ?」
「ああ」
俯いたままの会話。淡々とした不破の声。
俯いたままの視線を滑らせた先には、放り捨てたマグカップ。
ミルクにハチミツを入れたら栄養価が増すと教えてくれたのは不破だった。
彼のチームメイトに栄養に関する助言を求められて、とかなんとか話したのは、出会ってからどれくらいの頃だっただろう。
以来、それまで特に牛乳が好きだというわけではなかったのに(むしろいつだって日本茶が恋しかった)、そんな何気ない会話の中の一言で、なんとなく飲む回数も増えて。これまで彼が遊びに来たときも、今日だって、食堂の厨房の片隅でこっそりとミルクパンで温めて。
二人ぶん、マグカップに分け合って。
甘い甘い、ミルクの味。
彼のファーストキスは、
「つまり、こんな味?」
‥‥そういえば、ファーストキスはレモン味、なんてことわざ(なのか?)もあったな、と彼と初めて触れ合わせた唇を啄ばみながらちょっと考えた。
「‥‥ほら、やはり俺のファーストキスの味はミルク味だった」
「‥‥え?」
「最近いつもホットミルクを飲んでいたみたいだからな。いや、ハチミツ入りだからハニーミルクか?ちょっと甘かったな」
「‥‥‥‥‥‥え?」
それって、つまり。
end.(12.31/2007)
photo by [natural]