ドアガラスに凭せ掛けた肩から伝わった大きな振動に、ふっと意識を浮上させる。
適度な温度と静けさに包まれた、走行中の電車内。決して寝ていたわけではないものの、起立したままそれに近い程度には意識を飛ばしていた自分がなんとなく可笑しくて、須釜はひとり微笑した。もっとも、目深に被った帽子の下で柔らかく微笑んだ目元は、誰にも明かされることはなかったのだけれど。
路線の切り替えポイント上を通過したことでの車体の揺れは、どうやら須釜のみならず、他の乗客にも少なからず影響したらしい。眠り込んでいたのか、慌てた様子で現在地を確かめるもの、携帯電話を取り出すもの。それらの光景を平均的な日本人男性より高い視界で一渡り見渡した後、肩をつけたドアガラスへと視線を留めた。
淡く己の姿が映りこんだガラスの向こう、煌びやかなイルミネーションが閃いては流れ去っていく。東京都心へと向かう路線沿いは、夜闇が深まるにつれ逆に鮮やかさを増していくように見えた。
これから向かう場所も既に大型照明が灯され、昼のように明るく、そして熱いことだろう。
コツリとドアに額をぶつける。
走行する車体から伝わる規則的な振動を感じつつ、須釜は帽子の下で目を閉じた。
ラッシュアワー
遠くから遥々と、というほどの距離ではないけれど。
「やっぱり、横浜からだと遠いんじゃないですか?」
「んー、どうだろう?でもまぁ、いろいろと面白いしねv」
フットサルコートの脇で、大きな目で真っ直ぐに見上げてくる小柄な姿に笑いながら答えたのは、そう遠くはない過去のこと。
キミみたいなコにも会えたりするしねー、付け加えてそう言えば「スガさん、それナンパしてるみたいですよ」なんて、軽やかな笑い声が返された。邪気のない笑いにつられて笑いつつ、足先で弄っていたサッカーボールを前動作無しに頭の高さまで蹴り上げる。
垂直に蹴り上げたボールはフットサル場を四方から照らす大型照明に照らされて、まるで華やかな装飾のように足元に複数の楕円の影を落とす。それらを目の端に捉えながら、狙いどおりの軌道を描いて落ちてきたボールを腰の位置で片手でキャッチすると、その軌道を追っていたのだろう風祭と目があった。反射のようににっこりと笑えば風祭もまた微笑んで、次の瞬間には先ほど自分がしてみせたのと同じ足先の動きを反芻するように、足元を動かした。
その瞳はキラキラと輝くように楽しげ。けれど、この上もなく真剣に。
本当にサッカーが好きなのだな、と思う。
心の底からサッカーが好きで、楽しくて、向上心も並大抵のものでなく。
いろいろと面白い、と言ったその言葉は掛け値なしに本当だ。
彼と知り合えたのは結構に幸運なことだった。風祭の姿勢や情熱、向上心は、一緒にプレイするのは勿論見ているだけで、ふと自分の中の何かを熱くしてくれる、とても好ましいものだ。
楽しげに笑い輝く目に会えただけでも、はるばる越境してこのフットサル場に来た甲斐はあった。
この出会いは、本当に幸運だった。
そして、こちらの出会いも。
「‥‥ん?須釜も来ていたのか」
「はいvこんにちはー、不破くん」
お元気そうでなによりです、そう笑顔つきでを挨拶すれば、「体調管理は万全だ」と的を得ているのだかいないのだか、淡々としつつもどこか誇らしげな言葉が返ってくる。それは妙に微笑ましく可愛いものに感じられ、そんなところはやっぱり年下のコだなぁ、なんて益体もない事を考え、思わず笑ってしまったものだ。
風祭とは別にどこかのチームに混ざっていたのか、うっすらと額に汗を浮かべてキーパーグローブを外しながら歩み寄ってくる、不破大地という少年ともまた、このフットサル場で出会った。
「不破くん、おかえり。お疲れ様」
「ああ。‥‥あちらのコートに、見知った顔が居たぞ」
「え、誰?」
風祭からタオルを手渡されながら仲良さげに会話をする彼らは、聞いたところ同校生だという。が、二人にはどこにも共通点が見当たらないくらい、そう、いっそ最初に風祭から紹介されたときはよくもまぁ友人になれたものだと不思議に思ったほどには、異なった性格をしていた。性格のみならず、容姿も、経歴も。
けれど、納得した。彼もまた、とても良い目をしていたから。
一口に良い目、眼差しとは言っても、どこか弾むような快活さに溢れた風祭と、いつも凛とし超然とした佇まいの不破の其れとでは、一見全く違うもののようにも思える。
けれど、良く似ていると思ったのだ。
その真摯さ、情熱。貪欲なまでの向上心。
目を合わせれば解る、合わせたものだけが解る。心が沸き立つような、苛烈なまでの光を宿した、目。
「‥‥‥‥面白いなぁ」
「何がだ?」
「え?」
不意に振り返って言った不破に、一瞬反応できず思わず目を瞬かせた。
やや下方から見上げてくる強い視線と一緒にその人の言葉を飲み込んで、ようやっと言葉を零していた己に気がつき、苦笑した。
「ああ、いえ。なんでもないですよー、独りごとですv」
いつものように笑顔を添えて返せば、そうか、とこちらもいつもの淡々とした返答だ。その向うに居た風祭には須釜の声自体が聞こえなかったらしく、不思議そうに自分たち二人を見上げていて、これにも笑顔を返す。
「おーい、そこの3人!身体があいてんなら、一緒にやるかー?」
「はいお願いします!」
大きな声で真っ先に応えたのは風祭だ。
スコアボード近くにいたのは社会人だろうか、動きやすい軽装であるものの、此方を呼んでいるのか手に持って振り回しているのはビジネススーツのジャケットという、30代前後の人物だった。周囲には似た年代の人間が幾人かいたが、ゲームをするには確かに人数が足りないようだ。
クラブユースではなかなか体験できない幅広い年齢層での対戦は、民間のフットサルの醍醐味だ。即行で返された風祭の快活な返事に、周囲でストレッチをしていた大人たちも楽しげに笑いさざめく。
ああ、この人たちも楽しんでいるのだと思うと、やはり自分も楽しくなる。自分もまた、この競技が‥‥今はフットサルだが、このサッカーという競技が、好きなのだと。再認識するのだ。
「行こ、不破くん!スガさんも」
「そうですねー」
ふり返った風祭の、まさしく全開の笑顔に笑みを沿えて首肯する。それに対応するように一瞬笑みを深め、一足先に駆け出した風祭を直ぐには追わず、見送りながら須釜は抱えていたボールを手のひらを返してひとつ大きく跳ねさせてから、足元にピタリとつけた。
しっくりと馴染んだ感触に、感覚が澄んでいく。
「それじゃ不破くん、僕達も行きましょうか」
先に駆けて行った風祭を追うべく、隣に佇む不破へと視線を向けて。
そして、其れを見た。
外したグローブを片手で纏めて持った不破は、無言でコートへと視線を注いでいた。
これから使われるフィールド内には、今は誰も居ない。けれどその視線は、あたかもその中で戦うプレイヤーを見据えているかの如く、眼差しはただひたすら、凛然と。
「‥‥不破くん、」
良い目をしていると思った。
その真摯さ、情熱、貪欲なまでの向上心。
目を合わせれば解る。精神を高揚させる、その、目。内に秘めた苛烈な光。
(その目に、自分は一瞬で、)
再び揺れた車体に、須釜は閉ざしていた瞼を上げる。
徐々に落ちていく速度を感覚しつつ、ドアに預けていた身体をゆるりと起こした。
視線を転じたガラス越しの街は更に光度を増し、苛烈なほどに鮮やかだ。
‥‥そう、これから会えるだろうあの少年のように。鮮やかに、苛烈に、美しく。
「‥‥ああ、面白いなあ」
本当に面白い。知れば知るほど面白く、言動性格サッカースタイル、何から何まで興味深い。彼らに、‥‥彼に。出会えた自分は、幸運だ。
あの眼差しに出会えた自分は、本当に幸運だ。
そろそろ聞きなれてきた駅名を告げる車内放送に、知らず笑みが零れる。
ホームに滑り込んだ車両が最後にもう一度揺れて、先ほどまで凭れていたドアが滑らかな動作で開いた。軽く身をかがめてドアを潜れば、冴えた冷気が頬を掠めて吹き過ぎる。
人の波に合わせて改札へと向かいながら、須釜は一瞬だけ空を見上げた。
夜闇を駆逐する、眩いばかりに鮮やかなイルミネーション。
心をつかむ、その光。
一瞬で恋に落ちた、あの刺し貫く光のような眼差しを自分にくれるのなら、それはどんなにか。