「三上、食事持って来たぞ。」
「‥‥何。」
「何って、お前の食事。」
「‥‥‥‥。」
三上は最初に、今日はピラフにしてみた、とにこやかに宣うルームメイトを見、次にその人の腕にあるトレイとその上の料理を見、それから己の右腕を見ると、最後に深いため息をついて締めくくった。
「ホラ、ため息ついてないで。ちゃんと食べろよ?」
そういって渋沢が差し出すスプーンを、三上は少々眉を寄せつつも、大人しく受け取った。‥‥左手、で。
三上が右手を負傷した。
化学の実験中、誤って熱しすぎた試験管が割れて、飛び散ったのだ。さらに運の悪い事に、その割れた破片の中でもとりわけ大きなものが、三上の手首の外側に突き刺さったのである。
診断は全治二週間。二針ほど縫ったが、破片の摘出にも問題なく神経を傷つけているわけでもなく、経過は順調だ。
しかし、予後順調とはいえ怪我は怪我。ましてや未だ縫合針は入っているのだから、下手に触ったり動かす事は禁物である。
‥‥というわけで、現在の三上の右手首は、自由に曲げられないように包帯で固定されていた。見た目的には、肘までの長手袋をした感じである。
つまりは、動かせないのだ。右手‥‥利き腕が。
「あー‥‥クソッ。」
「‥‥三上。」
カチャカチャと音を立ててスープをかき回す三上に、後ろで本を読んでいた渋沢は少し窘めるような口調で三上の名を呼んだ。
三上はそちらを向きもせず、スープを掻き混ぜるのこそ止めたものの、今度は大きな音を立ててスープを啜った。
その様子に、渋沢は本を閉じると立ち上がり、三上の傍までやってきた。そして、机と、三上の座っている椅子の背に手をつき、できる限り冷静な声で三上に言葉を掛けた。
「苛立っても始まらないだろう。」
「‥‥ッせぇな。判ってるよ。」
やや不貞腐れたような声で三上はそう言うと、メイン料理であるピラフを掬おうとした。
不慣れな左手で持つスプーンからは、ポロポロとご飯が零れる。
渋沢は、そんな三上の横、彼の座っている椅子の脇の床に直に静かに座り込んだ。
カチャカチャと食器の音が静かな室内に響く。
三上はわりと食の作法が上品な少年だ。
もの凄く礼儀に正しいわけではない。寮住まいをしていれば自然そうなる早食いもするし、フォークやナイフの使う順番がどうの、というようなこともよく知っているわけではない。‥‥が、そう言った作法とはまた別の、独特の上品さを三上は備えていた。
例えば好き嫌いをしないこと。饗された食事を無駄なく食べること。丁寧に箸を、食器を使うこと。
それは、食事を作ってくれる者への、無言の感謝が込められた行為。
カチャカチャと、食器が鳴る。
普段の三上の食事姿からは発せられない音。
‥‥耳障りな、その音。
三上は、ツイと下から軽く引かれるような感覚に、スプーンを止めた。ポロポロと匙の上から飯粒が零れるのを見て、三上は内心でため息をついた。
そこに、また下へと引かれる感覚。
「‥‥何?」
「‥‥‥‥三上、」
三上は、己の斜め下方を見遣った。正確には、斜め下方にいる、己のシャツの裾を掴んでいる渋沢を見遣った。
「三上、」
「だから、何。」
何、と問うたが、それに返ってくる言葉はなく。三上の視線の先で渋沢はうつむいてしまう。椅子に座る三上からは、渋沢の顔は見えなくなった。
「‥‥‥‥。」
三上は、うつむいた渋沢を見、次に卓上の渋沢が作ってくれた料理を見、それからもう一度渋沢の、己のシャツの裾を握った手を見ると、最後に小さい笑みを零して締めくくった。
「渋沢。‥‥オイ。しーぶーさーわ。」
「‥‥何だ。」
渋沢は、ノロノロとした動作で上を向いた。
するとそこには、先ほどまでの苛ついた三上とは違う、やわらかな、渋沢だけに見せてくれる笑みを浮かべた三上がこちらを向いていた。
「三上、」
「バーカ。‥‥お前が苛立っても、仕方ねぇだろ。」
「え、‥‥」
渋沢は、我知らず目を見開いた。‥‥その後、ああそうか、と心のどこかが落ち着いた。
「‥‥そう、か。」
「そうだ。」
「‥‥‥‥お前が、怪我なんて、するから。」
「俺のせいかよ。」
「‥‥そうだ。お前が‥‥、」
渋沢は、そろそろと腕を伸ばし、白い包帯に固定された三上の右腕をとった。
ざらついた感触が、指先に返ってくる。それは、その下の三上の手首の滑らかさとは無縁の感触だったけれど、その下から確実に伝わってくる熱は、紛れも無く三上のものだ。
渋沢はゆっくりと、その手首を撫ぜる。
‥‥撫ぜているうちに、知らずささくれ立っていた精神が落ち着いていくのを、感じた。
苛立っていたのだ。
怪我をした三上。
白い包帯。
一人で食事を摂る彼。
鳴る食器の音。
‥‥何もしてやれない、自分。
苛立っていたのだ。自分に。
愛しい人に、何もしてやれない自分に。
「すぐに治るって。」
「‥‥ああ。」
「‥‥お前、ホントバカだよな。」
「‥‥‥‥うん。」
優しい声が降ってくるその下で。
渋沢はその手に、優しくくちづけた。
「なんなら俺が食べさせてやろうか?」
「チョーシに乗ってんじゃねーよ、バカ。」
end.(05.12/2002)
確かこのとき怪我したんです。ぷるぷる震える手で書いてた気がする(2010.12.31追記)