「ポイント到達。国識別ナンバー49、日本。渋沢、高度を下げるぞ」
「ああ」

静かな声が清涼な空気に乗って此方へと流れてくる。
その言葉に渋沢は伏せていた顔を上げ短く了承の言葉を返すと、ゆるりと視線を辺りへとめぐらせた。
頭上は目映いばかりの星明かり、足下には天の灯火に美しく輝く海が見える。ただし、そこにあるのは地上の七割を占める深い青の水海ではなく、逆巻く気流と星の引力にその姿を整えられた、真白の雲の海だ。
ごく緩やかな風がコートの裾をはためかせていた。襟足を撫ぜていく風は冴えた冷気を保っていたものの、彼らの状況を鑑みれば何ほどのことでもない。

高度4000メートル、気温マイナス36度。
この時期においてはごく平均的な気候の極東エリア上空を、駆けているのだ。

折りしも季節は12月。彼らサンタクロースが、一年で最も忙しい時期だ。

「最近はソリもハイテク化したね」
「そうだな、一昨年あたりから気流相殺システムが格段に良くなったと聞いたぞ」

その言葉どおり、時速数百キロという気流に乗って駆ける一見クラシカルなソリの座席部分は、さやさやと前方から風が吹きぬける程度だ。淡々とした声が冴えた風に乗って後方に座る渋沢の耳を震わせた。
言葉と共に届いた冷気に、渋沢は微かに眉を顰める。
ほんの少しの思案の後、渋沢は高速移動中のソリの水平制御を乱さないように慎重に身を起こすと、前に座る背中へそっと寄り添い、やや薄い肩を手のひらで包み込んだ。‥‥随分と、冷たい。

「不破くん、ちょっと薄着なんじゃない?」
「む、そんなことはないぞ。支給どおりの服を着ている」

渋沢の言葉に微妙に咎める気配を感じたのか、普段よりもほんの少しだけ早口な返答がやはり風に乗って戻される。
なるほど、見れば確かに所謂彼ら職業の制服とでもいうべきか、赤い衣服にフワリとした赤い帽子を被っている。だがしかし。

「コートは?北半球気候対応のダッフルコート、貰ったはずだよね?」
「‥‥別に、寒くない」
「不破」
「‥‥‥‥。後ろの、袋の中に入ってる。多分」
「多分てね‥‥。もしも無かったら日本支部でもう一度、申請するんだぞ?当日は一晩中飛ぶんだから、必ず着ること。いいな?」
「‥‥了解した」

親しい者以外には聞かせない、不破の拗ねたような口調に、渋沢は笑いそうになるのを懸命に抑えながら、先輩らしくしかつめらしい声で言い聞かせる。
不破は今回が正サンタクロースとしての初仕事だ。渋沢は数年前から正サンタとしての実績を積み、今年も別地域でのサンタとして任務につくはずであったのだが、志願して不破のアシスタントについた。アシスタントというからには、不破の初仕事を完遂させるためのアドバイスは欠かせない。
確かにソリの内部はコートがなくとも過ごせるし、不破が今着ている赤いハイネックのニットにも(勿論、渋沢が着ているアシスタント用の緑のコートにもだ)特殊な技術とちょっとした魔法でかなり暖かくはあるのだが、これでいてこの仕事は重労働なのである。そのため、必ず正サンタとアシスタント、二人一組でこなすという規定が設けられているのだから。
現在彼らがソリを駆り向かっている極東エリアはとりわけ対象者数が多く、毎年サンタクロース協会本部から臨時要員が回される。今回はそれが彼らなのだ。12月も半ば、同じエリアを担当する他のペアと当日の細かな打ち合わせをするべく、彼らは本部から日本支部へと旅をしていた。
とはいえサンタクロース協会ご自慢のハイスペックソリである、旅というには随分と短時間の道行きではあるのだが。

不破は最初の宣言どおり、緩やかに高度を下げていく。
ぐんぐんと迫る煌めく白い雲の海原は、星明りとソリが振り撒く甘やかな星屑に砂糖菓子のようにふんわりと波打つ。
雲の狭間から、地上の星が見えた。この国は空から見てもいつも輝いている。
それは例えばエネルギーの過剰消費であるとか言われもするのだけれど、単純に綺麗だな、と思うのもまた事実だ。

と、不意に鮮やかな色が視界を埋める地上の光を遮った。
前の席に座り淡々とソリを操る不破が被っているニットの帽子だ。コートと同様、協会から支給される鮮やかな赤い帽子にはふわふわとした毛玉のような真っ白な飾りがつけられ、それが不破のうなじや肩にじゃれつくように揺れている。
渋沢はそれを暫く眺めてから、ついと腕を伸ばした。
気配を察したのか不破は微かに身動ぎしたが、降下操作に集中するためかそれ以上のリアクションはない。
自分よりいくぶん薄い肩に触れる。やはりコートを着ていないせいか随分と冷えてしまった肩を数回緩く撫ぜた後、ふわりと腕の中に抱き込んだ。
そのまま肩口に懐くように頭を寄せると、風に揺れる不破の髪が頬に当たってくすぐったい。思わず笑った渋沢を、僅かに首を動かした不破がじろりと睨み遣った。

「何をしているのだ、お前は」
「うん?コートを着ない困ったサンタさんに、コート替わりを提供中」

軽い口調で嘯けば、呆れたのかそれきり不破は黙り込んでしまった。怒らせたかなとほんの少しヒヤリとしたが、抱き込んだ身体は放さない。
冷えていた身体は既に暖かく、赤いニットから覗く顎のラインもいつもどおりの静謐さで渋沢の傍にある。
逆に自分が不破に温めてもらっているような、そんな不思議な気分でいた渋沢に、静かな声が届いた。




「ならばやはり、支給のコートは必要ないな」




俺は、お前でいい、なんて。
そんな言葉、抱きしめる腕にだって、力が入るに決まっている。

不破の空を切る風に流され、ごく小さな声ではあったけれど。
渋沢には至極甘い、星明りにも負けない甘やかな言葉だった。




折りしも季節は12月。サンタクロースたちも甘い夜を過ごすらしい。





end.(2006.01.22)
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