「渋沢、」
少し掠れた、けれど不思議に響きの良い声に、渋沢は街を吹き抜ける冬の冷気に伏せ気味になっていた顔をあげた。視線をめぐらせ、溢れ流れる人波を泳ぐように此方へと遣って来る姿に、軽く手を挙げて応じる。
「すまない、遅くなった」
「いや、気にしないで。‥‥っと」
最後の一歩をまるでゴールテープをきるランナーの如き大きなストライドで踏み出し、慣性のまま空を泳いだ身体を片腕で抱き込むように支えてやれば、その人が腕の中でふ、と息をついたのが判った。
それまで渋沢の身を包んでいた冬の大気とは違う温かな重みに、知らず口の端に笑みがのぼる。
「お疲れ様?」
「まぁ‥‥そうなるか」
不特定多数の目に不自然ではない程度に抱き寄せて、耳元に笑みを含ませた軽口を囁けば、いつもながらの恬淡とした口調ではあるものの素直な同意が返されたので、渋沢は今度こそ声を立てて笑った。
新年を迎えた街は溢れる人波そのものが華やかな喧騒となって、街全体を揺らしているかのように感じられた。
二人が待ち合わせにと選んだ場所は当然人の流れを避けた位置にあるにも拘らず、ともすればその急流めいた流れに巻き込まれてしまいそうな勢いだ。
壁を背後にして立っていた渋沢は、腕の中に抱き込んだ不破を改めて引き寄せ、その身体を攫っていきそうな流れから引き離す。そのまま壁沿いに少し移動し、人のきれた場所でとりあえずの立ち位置を確保した二人は、揃って息をつき、それから顔を見合わせて少しだけ笑った。
「ふむ、もっと人の少ない場所にすればよかったな」
「あー、俺が寮に残れてれば地元でよかったんだけど‥‥悪いね、実家からだと、どうしても」
「いや、その件については問題ない。俺も京介のところから来たしな、もとよりこの場所自体、自宅へのルート上だ」
「まぁ新年だし、どこもこんなものじゃないかな。合流するにはこの辺りが一番早かったってことで」
「それはそうだが」
「早く、会いたかったんだ」
「‥‥それも、そうだが」
さんざめくような街の空気の隅、流れていく人波の側に留まり交わす密やかな言葉は、渋沢の気分を酷く高揚させた。それは常とは違う華やかな街の空気に影響されてか、それとも相手が、不破だからか。
‥‥そんなこと、本当は考えるまでもないのだけれど。
「よし、それでは行くぞ」
「ああ。‥‥でも本当にいいのか?家のほう、誰か戻ってるんじゃ」
「じいさんは発明仲間と温泉旅行に行っているし、両親は俺の誕生日に一度戻ってそのままそれぞれがトンボ返りだ。気にするな。‥‥美味いメシにもありつける」
「あはは、しっかり美味しいもの作らせて貰うよ。何かリクエストはある?」
その言葉に不破が少し考え込むそぶりをしたので、話し合った結果とりあえず食材を調達しに行くことにした。現在地は特に知った街ではないのだが、流れる人波に乗っていけばその先に何かあるだろうと大まかな当たりをつける。
「ん、決まり。じゃあ行こうか」
「ああ」
華やかにざわめく街の流れに並んで足を踏み入れようとして、渋沢はふと身体を引いた。
「ッと、大事なこと忘れてた」
「む、‥‥何だ」
渋沢に同調する形で流れの前で立ち止まり、見上げてくる視線に、笑顔を向けて。
「あけましておめでとう、不破くん。今年も、宜しく」
そしてそれに不破が答える前に、その手をとって踏み出した。
どっと押し寄せるような人波に身体を任せて歩いていく。華やかな街の喧騒と人いきれがあっという間に二人を押し包み、直ぐ傍に居るはずの姿さえ首を廻らせ確認するのが困難な有り様となったのだが。
少し掠れた、けれど渋沢にとり誰よりも心に響く声を渋沢は確かに捉え、きゅっと握り返された手の温かみに、とても。
とても、幸せで温かな気持ちになったのだった。
end.(01.02/2006)
あけましておめでとうございます。
今年も良い年でありますように。
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