一日が始まる、その人の声で目を覚ます。
ただそれだけのことが、こんなにも。




「渋沢、起床時刻だ。」

以前はアラームの前に目を覚ましていた。
寮生活で、寝起きの悪いルームメイトを起こさなければならなかったせいもある。
が、それ抜きにしても自分は寝起きのよい人間だと思っていた。

「渋沢、」

聞き慣れて来た声を、ソフトフォーカスのかかった頭で知覚する。
上掛け越しに肩の辺りを揺すられて、ちゃんと普通の起こし方も出来るんだなぁとぼんやりと思った。‥‥以前同じ状況で、一体全体何処で覚えてきたものか、なんとも見事なフライングボディアタックをぶちかまされたときに、それだけは止めるように、と説教したせいもあるのだろうが。
因みにその時の彼の言い分は、「びっくりさせたら起きるかと思ったから」だそうだが、あれでは起きるどころか別の意味で起きられない状態になってしまうというものだ。

「起床設定時刻3分オーバー。渋沢、遅刻するぞ。」

ユサユサ、とさっきより若干強めに揺さぶられる。時計で言うところのスヌーズ機能といったところか。渋沢、と呼びかけてくる声は普段どおりなのだが。
淡々とした声が耳に慣れてきたのは何時頃だっただろう。

「渋沢、起きろ。」

その声をずっと聴いていたいと思うようになったのは、何時頃だっただろう。

「‥‥渋沢。」

少しタメを持った呼び声の後、不意に自分を揺すっていた指先が離れた。‥‥もしやフライングボディアタック作戦に切り替えか?さて、ベッドのどちら側に転んで逃げればいいか、と考えていた、矢先。

キシリとベッドが鳴いた。
空気の揺れを肌で感じて、それから。

降りてきた、ちゅ、と閉じた瞼に温かく柔らかい感触。

「む、起きたか?」
「‥‥‥‥起きた。」

クリアになった視界にあるのは見慣れた自室の天井と、壁に掛けられた今日の着替えと、淡々とした表情の端整な顔。
窓から差し込む朝日に透けて、ふんわりと暖かな茶色を宿す長めの前髪が、額に当たってくすぐったかった。

「おはようございます、だ。渋沢。4分50秒オーバー。この程度ならば問題なく朝食も済ませた上で出かけることが出来るだろう。‥‥おい、二度寝はするなよ、起きろ。」
「‥‥いや、起きてる、起きてるけど、ね。」

なんともいえないこの気分、起き抜けから不景気だが仕方がない。
‥‥仕方がないだろう、こんな起こされ方をされた日には?

モーニングキスなんて、一体何処で覚えてきたんだか。

未だ布団を被ったまま、なんだかいろいろと治まりのつかない気分で不破を見上げれば、その視線をどう受け取ったのか、ことんと軽く首を傾げてから、曰く。

「びっくりさせたら起きるかと思ったから。」
「‥‥‥‥ああ、うん。びっくりしたよ‥‥。」

聞き覚えのある台詞に、深い深いため息をつきながら目を閉じたら、寝るな起きろと再度の呼びかけを落とされる。
淡々とした声はすっかり耳に馴染んだ響きで、渋沢の頭を睡眠から覚醒へと切り替えてくれ、‥‥同時に、ちょっとした悪戯心にもスイッチを入れてくれた。

「不破くん。」
「ん?何‥‥、」

ちゅ、と同じように音を立てて、けれど場所は唇に。

「‥‥俺は既に起きているし驚かされる謂れはないぞ。」

淡々とした不平に渋沢はカラカラと笑って、おはよう、と挨拶をしたものだった。




一日が始まる、その人の声で目を覚ます。
ただそれだけのことが、こんなにも、幸せなのだということは。
この先もずっとずっと大切に覚えておきたいことの一つだ。





end.(08.12/2005)

『大きな古時計』をモチーフにパラレル、と思っていたら単純に新婚家庭になっちゃいました。