静かな部屋には、カタカタカタと軽い音が響いていた。
強弱をつけつつ不規則な、それでいてどこかリズム良いその音は途切れることなく続く。かなりハイペースだ。
その音を下支えするかのように響くのは、低いモーターの駆動する音、それと定間隔で発せられるパルス音。
それらが、この室内での現在のところの主な音種であった。

と、そこにもう一つ、音が混ざる。

「不破くん」

低く、どこか遠慮がちな声で、渋沢は部屋の主を呼ぶ。が、返されるのは電子音とキーボードを超高速で叩く音ばかりである。返答の気配すらない。
こういったときの不破の怖ろしいほどの集中力は既に知っている。おそらく呼び声自体、言葉として認識されていないのだろう。
渋沢は暫しの沈黙後、小さくため息をついてから、天を仰ぐ。見えたのは天井、最近見慣れてきた、恋人の部屋の天井だ。‥‥不破の部屋の天井を見慣れるほど見上げたのは、家族を除けば自分がおそらく初めてだろう。ふとそのことに思い当たり、渋沢は思わずニヤけたが、次の瞬間に耳に届いたキーボード操作音に、再び微かなため息をついた。

玄関先で出迎えてくれた不破が、彼にしては珍しいほどに焦っていたのを思い出す。

『すまない、すこし立て込んでいて』
『もう少しでカタがつくのだが‥‥少し、待っていてくれたら』
『‥‥すまない』

そう言って、自分にしか解らないくらいの僅か、縋るような目を向けられたら、あとはもうにっこりと笑って「待ってるから」と、いうしかないというかなんというか。

そういうわけで、渋沢はじっと待っていた。
有名すぎるほどに有名で且つウルトラ級に有能なハトコ経由のアルバイトか何かだというのは、過去の経験から容易に推測できた。チラリとみたディスプレイで踊る英文やグラフにあながち間違いではないだろう、と確信する。
玄関から私室へと足早に戻る不破を見送り、勝手知ったるなんとやらでキッチンで2人分のお茶を淹れると、PCやたくさんの機器を載せた机に向かいディスプレイから一時も目を離さず凄まじいばかりの速さでキーボードを打っていく不破の邪魔にならぬよう、その足元近くの床にじかに座り込んで、積み上げてあった雑誌を手に取った。

それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。

今はもうすっかり冷めてしまった2つの湯飲みを、渋沢はチラリと見遣る。
頭上ではキーボードを叩く音が止む気配はこれっぽっちもない。
胡坐をかいた膝の上にのせ、既に編集者のコメントまで読みつくした雑誌をパラパラとめくり、コツコツコツ、と指先で雑誌の縁を叩く。キーボードを叩く音よりは耳障りの良い音かな、とぼんやり考えた。
不破を独占する、キーボードの音よりは。

「不破くん」

返答はない。聞こえてないのだから、返答の来る筈も無いというのは解っているので、今更なんということもない。こんな日に遊びに来た自分が悪いのである。もしくは、不運だったとしか言い様がない。‥‥とはいえやはり、だがしかし。

「あー‥‥構いたい話したい触りたい撫でたい抱きしめたーいーキスしたーいー何かもういろいろしたーいー‥‥ていうか終わったらしよう、するから。もう本当するから」

やはり返答は無い。
聞こえていないのだから、と妙な開き直り気分の渋沢は、いっそ自棄気味にやや不穏なことを呟き続けた。
その間も止むことなく響き渡るキーボードの操作音に、一頻り呟いた渋沢はため息をつき、がっくりと膝の上に乗せたままの雑誌に顔を伏せる。









おかげで真っ赤な顔でやや涙目になった不破を見逃したことは、この日一番の彼の不運だった、かもしれない。





title/『Luck be a boy!』
end.(2006.11.21)

タイトルは Guys and Dolls から。クラップスのおまじない。
不破は孔明的記憶力+処理能力。全部インプットして後から解析。だから聞こえてるよ!
これはある方に可愛い挿絵を貰ったお話でした(´ω`*)


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