「‥‥んだよ、寝てんのか」
拡散していた意識がぼんやりとかき集められたような感覚。
あるいは、どこか深いところから泳ぎ上がってくるような、軽い浮遊感と酩酊感。
ともかく、そうして「意識」が「意識」として形を成した瞬間に滑り込んできたのは、聞き慣れた声のそんな台詞だった。
(寝てないぞ、起きてる)
言ったつもりの言葉は、けれど声になることはなかった。
開けたドアの蝶番の軋みだとか、開かれたドア向うの廊下の喧騒であるとか、そういうの。この寮に入って3年で数え切れないほど聞いてきた日常音はくっきりと認識できるのに、けれど、どこか遠いような。
「ったく、このところ隙あらば寝てんなコイツはよ‥‥」
(そんなことない、寝てるといえばお前のほうこそ居眠り多いじゃないか)
聞き慣れたルームメイトの普段どおりの気だるげな声に、そう意識は反論しているのに、やはり声にならないまま。‥‥つまりは、意識ははっきり覚醒しているものの、俺の身体は寝ているらしい。
いつの間に寝入ったのだろうかとぼんやりと考え、そう、確か自室で、彼を待っていて‥‥
「まぁそのうち起きんだろ。‥‥勝手に入っとけ」
「ふむ。では、邪魔する」
(不破くん、)
そう、俺は彼を待っていたのだ。
学校はとっくに夏期休暇に入っているけれど、運動部の俺達には毎日部活動があって。だから休みに入ってはじめての本当の休日に、遊びに来てくれると。めずらしく、彼から電話があって。
(不破くんいらっしゃい、待ってた)
言いたいのに、言って笑顔で迎えたいのに、言葉が出てこない。
身体はまだ睡眠中で、けれど意識だけが周囲の状況をゆるゆると把握する。
ドアの閉まる音、近づいてくる足音。一呼吸置いて、ビニールの音は何かを置いたのかな。それから、‥‥直ぐ傍に、彼の気配。
「‥‥寝ているのか」
(起きてる、起きてるよ。でも、ちょっと身体がまだ寝てるみたいで)
声が出ない。本当に、どういうわけか身体だけが寝てしまっているらしい。
いわゆる金縛りというやつなのだろうか、なんて考えて、不破くんが好きそうな話題だなと思う。彼ならオカルト方面ではなくて、筋肉と意識の乖離がどうのこうのとか、そんな捉え方するんだろう。きっと話してあげたら、その綺麗な目をきらきらさせて聞いてくれると思うのに。
「‥‥疲れてるのか?」
(疲れては‥‥どうだろう、な)
都大会を優勝で終え、今は直ぐ先に迫った全国大会に向けての調整真っ只中。まだ詳しい日程は未定だけれど近日中には都選抜の顔合わせもあるだろうし、全国大会をどんな成績で終えるにせよ、それが終われば高等部のほうにも顔を出しておかないといけない。別のカテゴリのセレクションもたしか8月末にあったし。‥‥まぁ、疲れていないといえば、それは嘘になるだろう。
(でも、会いたかった)
そう、会いたかった。君に。
会って、いろんなことを話したかった。なんでもいい、サッカーでも好きな芸能人の話でも昨日見た空の話でも桜上水での部活のことでも、なんでも。
知り合ってまだ日が浅い、俺達を繋げるものならどんな些細なことでも。
ただ、君と話がしたかった、会いたかった。
(‥‥だって、今日は)
「誕生日、か」
呟かれて落ちる、彼の声。
(ああ、知っていてくれたんだ)
俺達は、知り合ってそう長い年月を経たわけじゃない。
わりと知らないことはたくさんあって、だからいろんな話をしたくて、‥‥ああでも、知っていてくれた。誕生日、知って、会いに来てくれた。
(嬉しい、すごく嬉しい、幸せ、ありがとう不破くん)
声にならない声が、身体の中に反響する。
身体の中をそんな言葉が跳ね回って痛いほどなのに、‥‥ああもう、何で寝てるんだ俺。早く起きろ俺。
早く起きて、この気持ちを、彼に、‥‥
「‥‥まだ起きるなよ、」
ふわりと、気配が動いた。一呼吸置いて、すぐ傍、‥‥唇に、やわらかな。
周りの空気が動いた。立ち上がる気配、ビニールの音と、離れていく足音、ドアの開く音。
「三上。起きそうにないので今日は帰る」
「‥‥あ?何だよアイツ寝っぱなしかよ。バカじゃねーの。‥‥何?」
「土産だ、お前のも入ってるから飲め」
「そりゃどーも。っつーかテメェは本当タメ口で喋りやがんな‥‥」
土産が入っているらしいビニールを置く音、それからドアの閉まる音。少しずつ離れていく聞き慣れた声。
残されたのは、静かな室内と、俺と、‥‥キスの感触。
(‥‥起きるなと、彼は言ったけれど)
かき集められてはいたものの、ぼんやりとしたままだった意識を、集中する。
集中して、寝ていたままの身体の輪郭を作りあげていく。早く、早く起きろ俺。
起きて、立ち上がってドアを開けて走って、そして彼に。
この気持ちを。この、想いを。
(起きろ、俺)
さあ覚醒まで、あと3秒。
title/『kiss awoke me.』