「ありゃ」
背後に響いたルームメイトのどこか間の抜けた声に、何気なく振り返った。‥‥のが、運の尽きだったのかもしれない。
後々、近藤はぼんやりと思ったものだった。
「どしたの、中西」
「んー‥‥にゃ、あ、やっぱダメだわ」
「は?」
どうにも会話が成り立たないのは、ある意味3年間共に過して気心が知れすぎているからかもしれないのだが、時々は困るものだ。
狭い寮の私室にちょうど左右対称に配置された勉強机に向かっていた彼らは、そのとき背中合わせだったわけで、いかな気心が知れようとも声情報のみで全てを知ることが出来よう筈もない。近藤は床を軽く蹴ってキャスターの付いた椅子ごと後ろへ、つまり中西が向かっている机のほうへと移動した。カロカロカロとキャスターが呑気な音をたてる。3年間過した室内移動はやはり3年分の成果というべきか、椅子は近藤を乗せて転がると、ルームメイトのちょうど横にピタリと止まった。近藤はなんとなくいい気分になり、ニマリと口元だけで笑ったものだ。
そうしてひとしきり小さな達成感にも似た何かを堪能した後、そのままヒョイと横を向く。其処には当然中西の姿があったわけだが。
「‥‥何やってんの、お前」
「ん?あれ、近藤」
此処に至って漸く隣にいるルームメイトに気がついたとでも言い出しそうな中西が、近藤のほうへと顔を向けた。その顔はいつもながらのどこか気だるげな、ぼんやりとした表情を浮かべていたわけだが、この時はプラスアルファな風味が入っていた。
いつもよりほんの少し引き下げられた口元。
いつもよりほんの少し眉間へと寄せられた眉。
ようするに、ちょっと困り顔、というヤツである。
その顔に、近藤はまるでつきあうように眉を寄せた。
もっとも近藤が眉を寄せた理由は、いつも飄々としている中西の困り顔のせいだけではなく、むしろその中西が先ほどまで見つめていた視線の先のものにあったわけだが。
「なにそれ、ビーズ?」
「あー‥‥似たようなもんかねぇ」
「ストラップでも作んのか‥‥って、それにしちゃ数が多いよな。それにどれも同じ粒だし」
「うん、これね、数珠なんだけど」
「は、」
近藤はその言葉に、なんとなくパチパチと瞬きをした。
それも尤もと言うもので、数珠といえばそれは正しく「数珠繋ぎ」という言葉が示すとおり、一連となっているべきものだ。
決して、中西の目の前におかれているように、一粒一粒がバラけた状態であっていいものではない。
「切れた」
中西は一言、淡々とその状態説明をした。
そこで近藤も、一言で最大の疑問を口にする。
「何で」
「さぁ、それは数珠に訊いてみないとわかんないねぇ」
ひょいと肩をすくめて少し笑った中西の言葉に、そりゃそうだと近藤も笑う。
確かに、好き好んで数珠を自ら切る人間もそうはいないだろう。
「それにしても中西、数珠なんて持ってたんだ?」
「あれ、知んなかったっけ?結構いつも腕に巻いてたりしたんだけど」
「へー」
その言葉に、近藤はダークブラウンのニットから覗いている中西の手首へと視線を遣った。腱と関節の浮いた固そうな手首には、なにも巻かれていない。
中西が数珠という、特殊、とまでは言わないものの誰もが携帯しているものではないものを持っていたことには、大して驚かなかった。
それは中西だからどうこう、というのではなく、ここ松葉寮においてそういったいわば「縁起物」は珍しくないからだ。
科学万能の現代、スポーツ界にも根性論から理論と科学的考証重視の風潮が広がっている今にあって尚、勝負事の最後の決め手は運であると考えるものは多い。クラシカルなお守りをユニフォームの内側に縫い付けているものや、試合の朝のメニューにこだわるようなジンクスまで、結構そこら中に転がっている。数珠と言うのもそれを思えば、なくはないだろう。
‥‥しかし。
「なんていうかまた、縁起悪ィなぁ」
「んー?んー‥‥」
曖昧に唸っている中西はどうやら珠の数を数えているようだ。やだなぁ足んないかも、と小さく呟く中西を尻目に、近藤は机の上に散らばった透明な粒をひとつ摘み上げた。
指先に埋まりそうなほどに細かいが、数珠用の珠らしく中央に穴があけられ、完全な球体ではなく、宝石のような見事なカットが施されている。
「へぇ、綺麗なもんだな」
「そぉ?」
近藤はそれを目の高さまで持ち上げ、シゲシゲと眺めた。小さな多面体に差し込む光が乱反射して、なかなか綺麗である。数珠というなら、なんとなくご利益もありそうだ。
が、それは現在見事にバラバラである。
近藤は指先のかけらを光に翳して見ながら、何気なく言葉を投げた。
「にしても、普通切れねぇだろ、こういうの」
「普通じゃなかったのかもねぇ」
思いきり取り落とした。
「‥‥ッは?!」
「あ、バカ近藤落とすなよ、ちっちゃいから直ぐに見失うんだから、もー‥‥」
「え、あ、悪ィ‥‥じゃなくて!」
「机の下かな‥‥近藤ちょっと足あげて」
「中西って!おい!!」
「なに。‥‥あ、あったあった」
よっこいせ、と歳には見合わないが妙に雰囲気にあっている掛け声と一緒に机の下から這い出てきた中西に、近藤は噛み付くように言う。
「ふ、普通じゃないって、何が!」
「えー‥‥?そりゃお前、数珠だしねぇ。アレとかソレとか、アレとかじゃない?」
中西の声は普段どおりの大変呑気な調子だ。‥‥だからこそなんだか一層、アレな感じだ、と近藤はぐるぐるとした脳内で考えた。アレとはドレだと我ながら思うのだが、だってもう、アレなのだ。(混乱中)
いかにもご利益のありそうな数珠が。
そうそう切れるものでもない数珠が。
唐突になんの前触れもなく切れたのだ。
しかも持ち主は中西だ。‥‥中西が持ち主、というあたりがもっともアレだ。(やっぱり混乱中)
近藤はどっこいしょーとこれまた呑気な声で椅子に座りなおした中西におもむろに向き直ると、その両肩をガシリと掴んだ。
「直ぐに繋ぎ直せ」
「えー?でも紐がないしねぇ」
「俺がネギからテグス(釣り用)貰ってくるから。直ぐ繋げ」
「まぁそれはいいけど、あ、でも駄目だ粒が足んないんだった」
「え、数って決まってんの?」
「そう、108つ。‥‥あ、近藤それあげよっか?」
「は?!」
唐突に話が飛んだことに近藤は思わず声を上げた。
中西はといえば相変わらず飄々とした雰囲気のまま、机の上に散らばっていた小さな欠片を手のひらでこそげて集めている。それらは机の端に集められ、ゆるく丸めた片方のてのひらに落とされた。シャラシャラと綺麗な音がした。‥‥ご利益がありそうだ。
じゃなくて!
「何で俺!」
「え、だってさっき綺麗なもんだなとか言ってたし。ご利益あるよー、切れたけど。」
「いや結構です要りませんから!」
「何で敬語なのさ。てか、繋いだら結構綺麗よ」
「粒が足りないっつったのオメーだろ!」
「えー?そこはほら、根性とか気合いとかでカバー、みたいな?」
「ワケわかんねぇよ!ていうか何をカバー?」
「そりゃお前、数珠だし。アレとかソレとかをー祓うアレな感じっていうかー」
「ますます要りませんからぁ!!」
むしろ祓うというなら今このとき目の前の男を祓ってくれ!‥‥と近藤が混乱しきった脳内で願ったところ、どこかのアレに届いたらしい。救いの主はドアからやってきた。
「おー近藤、この前貸したDVD‥‥って、何やってんのお前ら」
「あれぇ、アキー」
「っ三上!!」
目の前に突きつけられたルームメイトの手から仰け反るようにして逃れていた近藤の視線が、ドアを開いて胡乱げな目でこちらを見ている親友を捉えた。
そして即座にルームメイトへと視線を転じると、訪ねてきた幼馴染みにヒラヒラと空の手を振っている中西のもう片方の手、小粒珠が盛られた手首をとり、
「三上、中西がこれやるってさ!」
親友を人身御供(?)にした。
「は?」
「えー、近藤要らないの?」
「要りません!」
「だーからさっきから何言ってんだよ、って中西、それ何」
勝手知ったる気軽さで、親友と幼馴染みの部屋へとそのままスタスタと入室した三上は、どうやら話題の中心となっているらしき存在へと目を遣った。
そこには透明な小粒が一盛り。
それをしばらく眺めていた三上であったが、不意に眉を顰めると中西の頭を小突いた。
「バカお前、そればーちゃんがくれた数珠だろ。何、切れたのか?」
「うん、そー。粒も幾つかなくしちゃってさぁ、直すのも面倒だなーって思ってたらそしたら近藤が綺麗だなーとかいうもんだから、あげようかなって話に」
「だから俺は要らねぇって!」
中西の言葉を遮る勢いの近藤の声に、お前もうるさいとばかりに三上が眉を顰めたまま視線を流す。
「そんな遠慮しなくてもいいのに」
「違いますー!」
「あーもー両方うるさい。中西も面倒がってねーでちゃんと直せよ、ソレ結構高ェぞ」
「えー、面倒。それに粒足んないよ。あ、三上要る?足りない粒は愛情でカバーして」
「‥‥ったくもう、貸せよ、ホラ」
そう言うや、三上は中西の手のひらから小粒をザラリと浚い上げた。そのまま無造作にポケットの中に流し込む。
「貰ってくれんの?」
「違う。直してやるだけだよ、ったく。モノは大切に!」
「ハーイ。ありがとねー愛してるアキー」
「寝言は寝てから言え戯言は寝てからもほざくな。‥‥近藤、貸してたDVD、そのまま笠井に回してやって。じゃな」
「あ、ああ」
パタリ、と閉じられたドアを近藤は呆然と眺める。隣りでは中西がヒラヒラとやはり手を振っていた。
それをなんとなく眺めた後、近藤は呟いた。
「‥‥俺には気合いと根性で、三上には愛情か?」
「寝言でも戯言でもないのにねぇ?」
ニコニコと笑う中西に、近藤はため息をついた。
ご利益ありげな数珠で祓われるアレとかソレとかより、同室の人間のほうがよっぽどアレだ、とぼんやり思いながら。
因みにその数日後、中西の腕には数珠が巻かれていた。
ピタリと腕にフィットしているそれは数珠と言うよりブレスレットに近い。透明な小粒(水晶だと後から聞いた)は肌色に馴染んで、一見なにもつけていないようだ。だからこれまで気が付かなかったのかも、と近藤は思う。
そして今日気がついたのは、そこに別の色が混じっていたから。
「それ、何?」
「んー?翡翠だってさ。綺麗っしょ?」
「へー」
ニコリと笑う中西に、無難な相づちを返す。
きっとこの次糸が切れたとしても、もう中西はあげる、とは言わないだろう。
「大丈夫ー、三上の愛情で強化されちゃってるからね、もう切れないんじゃない?」
「あー、はいはい」
近藤の適当すぎる相づちにも中西は笑っただけだった。
笑うルームメイトの腕では、水晶と翡翠の108の珠が光を弾いて綺麗に光っている。
title/『愛情サイズ』
end.(03.09/2006)
数珠を前触れなく切ったのは私です。ビクッてしました。
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