電話なんていらない。
メールなんてしたくない。




「要らないよ」




パチパチと瞬きをして、言葉を吟味するように首をかしげる。
緩く握った拳はのどの辺りに、親指で顎の先を撫ぜて。
視線は瞬いた後少し伏せて、やや斜め下に。

以上が不破の、考察時のポーズ基本形。
今日も律儀に、基本を守っている。

違うのは、もう片方の手に握られた真新しい携帯端末と、傾げた頭が傍に座る自分の肩口に当たって、ほわほわと髪が揺れたことだ。

「‥‥そうか、機械オンチか。そういえば三上がそのようなことを言っていたな。渋沢、それならば案ずるな。これは京介に頼んで企画設計段階で一枚噛ませてもらった機種だからな、誰でも使える便利設計に仕上がっている筈だ。コンセプトは『簡単便利!年配者へのプレゼントにも最適!』だ。じーさんか仙人並の機械オンチと三上は言っていたが、‥‥ん?仙人は年配者とはかぎらんか‥‥いやしかしな。使い易さを押し出した機種であることは間違いないし、そうなるとこの機種を選んだのは選択としては最良のものだったな、よし」
「いや別に携帯電話の使い方くらいなら解るよ、持ってないけど。ていうか三上帰ったらシメる」
「む?」
「ああ気にしないで不破くん、独り言だから」

見上げてきた目線に(内心で三上をシメる算段をつけつつ)にこりと笑えば、そうか、と淡々とした表情にほんの少しだけ柔らかい色が混ざる。

「ふむ‥‥ならば電磁波の影響を気にしているのか?確かに通信機器類が発する電磁波の危険性については近年注目されつつあるが。そういえば電磁波の生体に対する長期照射についての興味深い論文が先日発表されて‥‥」
「ああ、それもあんまり気にしてないし。それにこれまでの人生で充分すぎるほどに電波に曝されてると思うしね、今更気にしないよ」

こちらを見上げてくる頭をやんわりと抱き寄せる。
抵抗も無く引き寄せられた頭は、肩の辺りに懐くように擦り寄ってきた。ふわふわとした髪が襟足をくすぐる。
そのまま身体ごと抱き取るように、胡坐をかいた膝の上に強引に横抱きにすると、体勢を整える為かスルリと首に腕をかけられた。軽い荷重に逆らわず、引き寄せられた先にある仰のいたせいか顕わになった白い額に、くちびるを掠らせ‥‥ようとしたら、顎下にゴツリと硬い感触がして、頭ごと押しのけられた。

「不破くん」
「じゃあ何故要らないのだ」

恋人の距離にある不破の、珍しく不満げな表情に、思わず苦笑した。




携帯電話を持たないかと、不破に言われた。
要らないよと、俺は答えた。




両親からは、武蔵森に入学するときに買ってもいいという許可は得ていた。
けれど、結局3年の今に至るまで買わないままだった。

必要が、なかったからだ。

自宅には数えるほどしか電話なんてしない。する用も時間もない。
自宅からくる電話は(これもあまりないけれど)寮監室に掛かってくるから、呼び出されれば行けばいいだけだし。兄から電話がこないからと、小さな弟妹がぎこちない字で書いた手紙がくるのも、可愛くて面白かったのもある。
全寮制の学校内の友人に電話をかけるなんて、面倒と言うよりバカらしい。
選抜だとか、外部招集の電話は藤代に頼めるし。
確かに、遠方の友人にはたまに電話でもいいから話したいなと思うことがあるけれど、それも数ヶ月に一度会うときに「久しぶり!」とかけられる声がなんだか好きで。結局電話もしないし、メールもしない。

「必要ないんだよ」
「だが俺には必要だ。渋沢と話していたい」

間髪要れずに反論してきた不破を、やんわりと抱きしめる。
サッカーを始めるまでは運動らしい運動を本格的にやってはいなかったのだろう、筋肉はしっかりとついているがどこか細い身体は、抱き寄せれば抵抗無く身体を預けてきた。
背中にまわされた手が、シャツを掴んだ。指先が背中をまさぐるように動く。
首元に頭を持たせかけた至近距離から、よく澄んだ、けれど小さな声が聞こえる。

「‥‥お前と話したい。渋沢の話が聞きたい」
「不破くん」
「下らん我が侭と言うなら全くそのとおりで反論の余地もない。すまない。けれど、お前の声が聞きたいのだ」
「不破、」
「電話が嫌いというならそんなには連絡しないことにする。しかし」




「俺が声じゃ我慢できなくなるんだよ」




声を遮って、抱く腕に力を込めた。




声が聞きたいと不破は言う。
けれど自分は、それでは足りないのだ。

肩にもたれかかる頭の重みが心地よいことを知っている。
ふわふわとした髪が襟元をくすぐる感触に笑いたい。
笑いかければ、誰にも見せない表情で目元を緩ませる、その色が見たい。
声も聞きたいけれど、隣りに居たいし触れたいし抱き締めたい。
抱き締めた身体の骨ばった感触や、少し低い体温やうなじに落ちる息を味わいたい、触れた先から熱を上げる素肌や薄い唇や甘い声が欲しい。

メールの文字も、電話越しの声も、足りない。
不破が、足りない。
下らない我が侭なんて、全く持って俺のほうだ。

「ごめんね。その代わりに出来る限り会いに来るし会ってる間にいろんな話するから‥‥ん?不破くん?どうかした?」
「いや‥‥もういい、もう喋るな」

黙り込んでしまった不破の顔を見ようと身体を離しかけると、逆に思いきり抱きついてこられ、そんなことを言われた。
声が聞きたいとねだった口で喋るなと言われてしまい少々困ったのだが、襟から覗いたうなじが赤く染まっていたので、薄く笑ってそれ以上は何も言わないことにした。

「‥‥‥‥不破。いいかな?」
「ッ、」

赤く染まったうなじを舐めて。
言えないような、事をすることにした。




電話なんていらない。
メールなんてしたくない。




だって電話やメールじゃ、こんな不破は見れないから。





title/『プラナス・ペルシカ』
end.(2007.01.05)

Pranas persica:桃の学名 枝垂桃の花言葉『私はあなたのとりこです』