冬の太陽が沈もうとしている。








西に面した窓から遠くぼやけた高層ビルの縁、まるで置き忘れられたように覗く夕陽はいかにも弱々しく、点ったばかりの街灯にさえ今にも負けてしまいそうな不安定なまでの淡さで、ビルの高層を縁飾っていた。

冬至をいくらも越さない日の、昼の時間はあまりに短く、そして儚い。

ふと過ぎった、そんな感傷めいた考えを振り払うように渋沢はひとつ頭を振ってから、手元の課題プリントに最後の数式を書き加えて、シャーペンを投げた。
カツリと軽い音がして、プリントの上をシャーペンが転がっていく。
基本的に武蔵森は休暇中の課題が少ない学校だが、さすがに受験を控えた(とはいえ、その半数以上は付属校へと内部進学するのだが)3年生ともなるとそうもいかないらしい。
渋沢は机の中にしまわれた課題の数々を思い出し、少しだけ憂鬱な気分になった。ため息めいた長い息を吐き、それから目を閉じる。五感のひとつを封じることで、その他の感覚が鋭敏さを増す気がした。
寮室のドア向うのごく小さなざわめき、黄昏に沈みゆく窓の外の静けさ。‥‥近づいてくる、聞き慣れた素直な足音。
渋沢は目を閉じたまま、薄く笑った。

「渋沢」

ノックをせずこの部屋へと入るのは、部屋の住人である渋沢とその同室者である天邪鬼な親友と、‥‥そしてこの、素直な恋人だけ。

「いらっしゃい、不破くん」
「こんばんは、だ、渋沢」

キャスターつきの椅子をくるりと回転させて出迎えれば、たどたどしいが妙に丁寧なお辞儀つきの、いつもながらの挨拶が返ってきて、渋沢はそのことに再び微笑する。

「三上は、もう行ったかい?」
「ああ。俺と入れ違いで出た。‥‥玄関先で、さっさと来いと怒られた」
「はは、今日は中西が先に帰ってるから、早く帰りたかったんだろう。仲がいいから、あの幼馴染みは」
「幼馴染みか。そう、か‥‥」

そんな相づちを打った不破は、どこか遠くを見ているような視線で何事かを考え込んでいる。おそらく玄関先で、渋沢の代わりに寮への無許可潜入をサポートした同室者とのやりとりを思い出しているのだろう。
考察時の無意識の癖らしい、視線を飛ばしながら親指で緩く唇をなぞる不破を、渋沢はじっと見つめていた。
不破の背後にある閉じられたドアの向こうの喧騒は、普段の松葉寮では考えられないほどの微かなものである。
長期休暇は自宅帰省が武蔵森中等部の寮原則であるから、数日前の二学期終業式後からこちら、次々とチームメイト達が足取り軽やかに帰宅するのを、渋沢は微笑みと共に見送ってきた。

『三上、頼みがあるんだが』
『‥‥なに』

そう言って振り返った、同室者も、見送った。

『不破が泊まりに来るから、侵入、手伝ってやってくれ』
『‥‥‥‥、わかった』

息をつめたその肩が一瞬震えたのは、見ない振りで。








「不破くん、こっちおいで」

そう言って手招くと、あらぬ方向へと飛ばしていた不破の視線がゆっくりと渋沢を捉え、そのまま傍へと、静かに歩いてくる。
その姿を、渋沢はじっと見つめていた。
すぐ傍まできた不破を、ひたりと見上げる。真っ直ぐに返される視線は、今日もやはり潔い。

不破はとても素直で一途で、ある意味非常に潔い。
一度成された事象は容易に翻さない意志の強さと、結果として現れた状況を無条件に受け入れる、潔いまでの、それは従順さ。

そのアンバランスな均衡に、渋沢は惹かれた。

窓から差し込む光は既に淡く、部屋の隅を夜が侵食し始めている。
輪郭を曖昧にする薄闇の部屋の中で、傍へと近づいてくる不破だけが、妙に浮き上がって見えて、渋沢は腕を伸ばすとその身体ごと囲い込むように、抱き締めた。
上背はそれなりにあるものの、渋沢に較べると段違いに細い身体はすんなりとその腕の中に抱き込まれる。ふと、冷たい空気が渋沢の頬をかすめた。
それは、夕暮れ近い冬空を歩いてきた不破の身体に纏わりつく、冬の空気だ。

窓の向うに遠く見た短く儚い、消えゆく命運の光の気配だ。

「不破」
「っな、に、‥‥渋沢っ」

抱きしめていた身体を、強引にベッドの上へと引き摺り倒した。反射的に抗う身体を、押さえ込むように圧し掛かる。

「止め、」
「いいだろう?恋人なんだから。初めてじゃないし、これまでもしてきたよね?」
「そ、れはそうだが、」
「ああそれとも、この部屋が駄目なのかな。そういえば、ここではしたことなかったよね」
「渋沢」
「三上が、いるから。しなかったよね」
「ッ、」

息を飲み震えた身体を抱きしめた。
薄闇に沈んだ部屋の中、その表情は見えなかった。見たくなかった。

「‥‥三上はいないよ。帰ってくれって、頼んだんだ。不破を泊めたいから、帰ってくれって。だってそうだろう?見せるわけにいかないしね、こんなこと」
「渋沢、」
「君が抱かれてるところなんて、アイツもみたくないだろうし」
「渋沢‥‥ッ!」

掠れた呼び声を、口づけることで無理やりふさいだ。不破は拒まない。不破は、渋沢の恋人なのだ。彼は、拒まない。‥‥拒めない。








意志の強さと潔さ、アンバランスな均衡に惹かれて、渋沢は手を伸ばした。 手を伸ばして、その目に、彼が見ようとしている方向に目隠しをして、絡め落とした。








「ンン、あ‥‥っ」
「不破、」

突き上げただけ、絡みつく熱は酷く気持ちがいい。
縋る指も、熱の上がった息も快楽に潤んだ目も、今は自分のものだ。
息の上がった顎先に舌を這わせる。
ふるりと震えた不破が、頬をシーツに擦り付けるように横を向いた。
その視線の先にあった、今日は主を迎えることのない寝台に、不破が強く目を瞑ったのを見た。零れた涙を、見た。
舐め取った涙は熱く冷たく、舌に乗ってすぐに消えた。








ふと上げた視線の先、窓の外の冬の太陽は、今はもう完全に沈んでいた。





title/『冬の太陽』
end.(2006.12.26)

三上と不破の間にはなにもない。親友の恋人で、恋人の親友。でも。 誰がいちばん可哀想なのか。

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