SWEET DREAMS







 そういえば、なんてよくあること。





 こんこん、マホガニーの豪奢な扉は彼の書斎へと続く入り口。両開きで開くのは彼の本宅、昔僕の家に作っていたときは小さなドアに簡素なドアノブがついていた。その他にも、ロンドンのシティハウスは立て付けが悪くてしっかり閉めてもいつの間にか薄く隙間を空けてきぃきぃと風に揺れるものだから、よく気になりませんねと逆に落ち着かなくなった僕が聞いたら、もう慣れた、ここに住んでるやつはこういうやつなんだと首を傾げたくなるようなことを平然と言われてしまったり。(あれ、ここ、ってイギリスさんひとりの家…だよね?)
 そのどれにもついている真ん中の、ノッカーを控えめに鳴らして返事を待つ時間が僕はすごく、好きだ。
 少しして返ってくる、どうぞ、よく通る声がいつもより少しよそゆきの声を、している彼の声が。誰が入ってくるかわからないからだろうけれど、トーンの少し落ちた、あわてたそぶりもないほんの少しかたい、声。それに僕はいつも、ふわりとこっそり笑って背筋をぴんとはってから、失礼しますとドアを開けるのだけれど。



 ………。
 ………………。
 ………………………………。



 うん、のんびり、おっとりドアの前でそわそわしながら待ったけれどいつもならすぐ返ってくる声が、いつまで経っても返ってこなくて、あれ?とさすがにのんびりするのは嫌いじゃない僕でもドアの前でずっと構えているのも疲れたから、首をかしげてそろそろと扉に手を掛けた。マナー違反だ、と本当は厳しい彼に怒られてしまってもしょうがないけれど、だって彼に何かあったんじゃ!?

「………イギリス、さん?」

 ひょこ、とまずは細く開いた扉の隙間から、顔だけのぞかせて。小さく呼びかけても聞こえないぐらい小さかったから意味はなかったかもしれない。あれ、でもさっきまで確かに彼はここに、いたのに。日当たりのいいこの部屋の、窓に背を向けて何百年も使い込んでいそうな机と椅子。ちょうどドアを開けての真正面に、むっつりと顔をしかめながら座っていた、のに。

 さぁ、っと僕に向かって廊下へ吹き抜けていった風はこもっていた部屋の空気と混ざってすこしだけ、ぬるかった。あとは、嗅ぎなれた煙草のにおい。そうだ、あまりにもこの部屋の中がもくもくと煙たかったからさっき来たときこっそり窓を開けていって、その甲斐あって部屋の中はもう霧は晴れている。はた、と部屋の奥、大きな窓にかかったレースのカーテンはすぐそばにある椅子に主人がいないことを怒るみたいに吹き込んできた風に、おおきくはためいてぱしりと椅子の背を小さく叩いた。



 あれ、イギリスさん、どこにいったんだろう?








 ワーカホリックな彼にはそれほど珍しくはないけれど、キャンセルに続くキャンセルで4度目の約束を国際電話越しの「悪い」の一言で反故にされた僕は、まぁ怒ることもできたけれどそれより会いたかったから、僕だけ予定のぽっかり空いた週末、彼のところにやってきていた。
 彼の家に着いて挨拶ついでに部屋の換気と灰皿に山盛りになった吸殻の回収、ついでにちょっとお話ぐらいしてくれないかなと思ったら彼は唐突に「終わった…。」なんてつぶやいて。

「あ、イギリスさんお仕事終わったんですか?」

「あー………しばらく新聞も読みたくねぇ…」

「さっきキッチン覗いたら、シンクでジャガイモが芽、出してましたよ?しばらく料理もしてなかったでしょう、ご飯、食べてましたか?今からなにか、軽く食べます?」

「…紅茶、飲みてぇな…。」

「分かりました、いれてくるので待っててくださいね。」

 うーん、いまいち会話が成り立ってるみたいで成り立ってなかったのは僕の気のせいかな。机に向かって俯いて、目頭を抓むみたいに押さえてぱしぱしと瞬きを繰り返していた彼の顔色もあまりよくなくて、大丈夫かなぁ、なんて思いながらキッチンでとりあえずリクエストにこたえて紅茶と、ここに来る前に少し買ってきたパンと野菜で簡単に食べれそうなサンドイッチだけ作ってからからカートを引いて戻ってきたのが、ついさっき。








 実はこの扉は異次元につながっていて、僕はそれに気づかず開ける扉を間違えてしまってイギリスさんのいない世界に迷い込んでしまったのかもしれない、なんて最近読んだ彼のところの児童小説を思い出して途方にくれそうになる前に、彼は案外わかりやすいところに、いた。
 部屋の真ん中、応接用においてある大理石のテーブルに向かうアンティークのソファの上。ドアを少し開けただけだとちょうど影になって見えなかったところ、に彼は深々と凭れている。それを見つけて、僕はドアから頭だけを出すのをやめて、そろ、と一歩、部屋に踏み込む。そうっと、静かに。

(…いつの間に、移動したんだろう。)

 息を潜めて、いい加減茶葉から渋みが滲み出してきたかもしれない紅茶を載せたカートは廊下に置いたまま、そろそろと自分だけ、部屋に滑り込んでドアを閉めたのは彼が、遠目から見ても分かる、普段鮮やかに輝くエメラルドをまぶたの奥に隠して深く穏やかな呼吸を繰り返していたからだ。
 き、き、ふかふかのじゅうたんの上を革靴で歩くと昔から、彼が手入れを繰り返し住んでいる彼に愛された古い家は、それだけで小さく悲鳴を上げる。彼が歩くと、そんな音はしないのに。今日ぐらいは、彼に免じて静かにしてくれたっていいじゃないか、彼の元、かがみこもうと片膝をついた瞬間ぎっとひときわ大きな音が立ってびくっと思わず身体が跳ねるほど驚いた。

(よく、寝てるなぁ。)

 ソファの端っこ、背もたれに背中をすべて預けてふかふかのソファで安心しきったようにすやすやとこぼれる寝息。しばらく見ないうちにすこし、やつれたみたいだ。僕が忙しくて家を荒らすと飛んでくるのに、自分のことにはひどいくらい無頓着なのだ。珍しくタイもしめずに着崩したシャツのボタンは一番上が外れていて、白い喉もとが呼吸に合わせて微かに動く。こんなにひとが近づいても、まして物音を立ててもぴくりとも動かない彼はとてもとても、珍しい。
 だから、よっぽど疲れていたんだなと思うと恨めしそうに眉根を寄せて睨むことはできても、渋すぎてもう飲めなくなった紅茶やどんどん乾いていってしまうサンドイッチも許せてしまう。

「………んー…」

 かたん、開けっ放しの窓が強めの風に少しだけ、木枠を揺らす。吹き込む風は、少しずつ、秋の気配を運んできて夕暮れの時間はもう冷たい。
 こて、と背もたれの角にちょうど乗せていた頭が揺らいで、むずがるような声が聞こえた。あぁ、寒いのかな。顔を上げると眉根を寄せて、見かけの年齢よりずっと幼く見える顔立ちは瞳を閉じてそうしていると本当に、口に出したら怒られるだろうけれど僕より幼く見えるぐらいだった。せっかくよく寝てるから、起こしたくはないけどそろそろ窓を閉めて毛布か何か持ってきてあげないと体を冷やして風邪を、ひくかもしれない。そう思ってそろりと立ち上がろうと彼の顔から視線を下げると彼の膝の上、特に意識されてそこにあったわけじゃない右手が目に入った。グレーのスラックスによく映える、しろい手だ。人差し指、かさついた指先が少し黒いインクで汚れているのが正式な書類だってまだパソコンを使わず全部綺麗な筆記体でつくりあげてしまう彼らしくてそれだけで、とてもとても愛おしくなって。

 だから。








てを、つなぎたいな、なんて。



(そう言えばだって、つないだこと、なかった)








 触れ合う彼の体温なら、それこそずっと昔から、知っている。染み一つないましろい手袋に包まれたおおきな手のひらに抱き上げられたり、撫でられるやさしい感触、覚えている。おぼえている。深い記憶の底に残っているもう少しおおきなてのひらみたいに料理のいいにおいやあまいにおいはしなかったけど、ぎゅうとしがみついた彼のあたたかさ。アメリカと二人一緒に抱き上げられてうれしくて、きゃっきゃとはしゃいでもびくとも、絶対ぼくたちを落としたりなんかしなかった。
 それでも、その頃はなんとなく、きょうだいに気兼ねして数歩先を歩く彼に手を伸ばすことができなかった。彼から差し伸べられてもなんだか恥ずかしくて、きょうだいのように思い切り甘えていいのか分からずいいですとふるふる頭を振って両手を背中に隠して彼にすこしかなしそうな顔をよく、させていた。
 それからいろいろあったけれど僕もどうにかここまで成長して、気持ちを伝えて、それを奇跡的に受け入れてもらった後。その頃にはもう手をつないで堂々と街中を歩くなんて僕のところでも彼のところでもできなくなって。…手のひらだけじゃない、その唇や、合わせた素肌の体温さえ知っているのに、今更。でも。

(…もう、おおきさなら変わらない、な。)

 僕も彼のそれも、骨張ってはいるもののあまりがっしりしっかりした作りではなくて、すらり、薄く青い血管が透けて指先に続く甲はひょっとするとちょっとつついただけでぽきりと簡単に壊れてしまうかも。それぐらい、きれいだった。自分のなんだかひょろりと生白くて細長いそれとくらべてみたら、とても。

 覚えている、与えてくれた、体温。するり、静かにそうっと絡め取った指先につたわったものはいつの間にか僕のものよりほかほかと暖かかった。昔は、小さな僕より少し低い温度だった気がするのに。

(…もうすぐ、冬だからかなぁ)

 窓の外、彼のところもそろそろ緑が減って、地面にははらはらと落ちた夕日色の枯れ葉を踏みしめながらここまできたのも覚えている。僕のところはもうすぐ、真っ白い世界になって、その次の季節、春の、彼の瞳のような鮮やかな緑をただ静かに待つ季節になる。しんと胸の奥まで凍えてしまいそうな季節が、昔はあまり好きではなかったけれど。








 きゅう、力をこめてつないだ手は、暖かい。一方的だったとしても、振りほどかれないことがうれしい。移されるぬくもりが、ここちよい。ふ、と思わず微笑んでしまう。



「好きです、イギリスさん…あったかい」



 にこにこ、ほとんど無意識でつぶやいた言葉通り幸せな気分はその数秒後、繋がれた手を思い切り強く引かれてどこかへ吹っ飛んだ。






「ふわぁっ!!」

「…っあー…もう、お前なぁ!」

 どさ、とバランスを崩した身体は真正面から受けるはずのダメージをどこかに吸い込まれて、ぎゅう、背中を押されて倒れこんだソファとは違うやわらかいものに頭も胸も押し付けられる。メガネのフレームが頬に当たって少しだけ痛かった。けれどそれより、耳元でひそりと聞こえた呻るような低い声に、びく、と身体が震える。

「イギリスさん!起きたんですか!?」

「寝てねぇよ、お前だって分かってたから部屋入ってきても目瞑って好きにさせてただろ。」

 多少疲れてたから、ノックに返事できなかったけどな。
 やっと分かった、今僕がいるのは彼の腕の中で、もごもごと暴れてみても腕の力は全然緩んではくれなくて。そんな、と恥ずかしくて彼の胸元に熱くなったほっぺたをぐいぐいこすりつけると、く、と彼の胸と僕の胸の間に挟まれた左手が何かに引かれた。
 くつくつくつ、聞こえる笑い声に顔を上げる。見つめられる、きらきらひかる、深いふかいエメラルド。

「これ、なんかの遊びか?」

「あ、…えっと………」

 勝手に、いやだったかな、なんて離そうとしたら彼の方から強く絡められて解けなかった。少し怯えた僕に彼は、ん?と、まるで伸ばされた手を拒絶した昔の僕に向けたように、困ったように笑って見せたから、だから。

「………イギリスさんと、手、つないだこと…そういえばないな、って思って。」



 繋ぎたくなったんです。








 差し伸べられた手を取るだけじゃなく、肩を並べて、隣に、いてもいいという証。
 好きです、そばにいさせて、もう後ろで守られるだけじゃなくてできたら、隣に。








「…あの、ごめんなさい、勝手に、あの、もう、離しても…」

 表情の固まった彼に、どうしていいかわからなくなって逃げるように身を捩ると、背中に回った腕がまたぎゅうと強くなった。繋ぐ手の、ちからも。

「………いや、構わない。構わないっつーか構うけど、とりあえず…」

 く、と今度は背中のパーカーを抓んで引かれて、彼との間に少し隙間ができて。
 んな、可愛いことばっかりすんな。小さく早口でつむがれた言葉は驚いてぽかんと開いた僕の唇に吹きかけられたと思うほど近い距離だった。重心が定まらなくなった身体がぐらりと後ろに傾いで、重なった唇は煙草の、苦い味。

「ん、…っん、ふ」

 そう、いえば、紅茶。
 廊下に放置したままですっかり渋みも出切ってぬるくて、飲めたものじゃないだろうなぁ、くらくらするような激しいキスをされて苦い味がなれた彼の味になる頃開放されて、ほうっと息をつきながらそんなことを思い出した。紅茶味のキスをしたのは、いったいどれだけ前だったっけ?いつもいつもこのワーカホリックな彼は、自分の体調も省みずどれだけ僕を放っておいて。
 そんな僕の考えていたことに気づいたみたいに、今回はもう、ビンタの一発ぐらい覚悟してたんだけどな、そう、ぽそりと気まずそうにつぶやいた彼がなんだかおかしくて。
 お互いの体温が上がってふやけるぐらいに熱くなった僕の手が、我慢できなくなるぐらい冷たくなるほど放っておかれたらしに来ます、と笑って見せた。








 そういえば、なんてよくあること。
 そんな、お話?











「っつーか手なんてよく繋いでんだろ。」
「へ?うそ!?」
「嘘じゃねぇよ、覚えてねぇのか?お前ヤってる時激しくすると「こわい、おちちゃう」って手伸ばして泣きついてくるし指と指の間擦ってやるとすげぇ締ま…」
「うわあああぁっ、めいぷるめいぷるっ!!」

 聞きたくない、と顔を真っ赤にして彼の口を塞ごうと伸ばした両手は、いとも簡単に綺麗な指先に絡めとられて離さない、と力がこもる。
 そしてその手が離れないまま、によりととびきりいい顔で笑って見せた彼にぽすりとソファに押し倒されて彼の言ったことを体感させられる羽目になったのはまた別の、話。












〈fin〉




『WILL』の 藤原昂 様よりいただきました!
私の「英加増えればいいのに」という呪い願望に応えてくださる形での まさかの 英 加 !!
なんというお優しい女神様か‥‥ッ!

藤原様、本当にありがとうございました!!

藤原様のサイトはコチラ→『WILL』