その日は兎に角ついていた。
バチッと目を開くと同時、窓から差し込む薄明かりを認識するより先に枕元に置いていた携帯のアラームを止める。
‥‥午前4時59分。予定時、1分前。
ふ、と息をつく。
今日は仕事が早番だから、もともと少し早めに起きるつもりだった。
実家で準備してから行くつもりだったし、なら、遅くとも5時半には此処を出ていないといけない。
リミットまでは30分。自分には珍しいほどの快適な目覚め。うん。シャワーにも身支度にも十分な時間だ。書置きとか、食事の用意も出来るかも?
だから、そっと、あたたかなベッドから滑り降りようと、して。
「‥‥ん、ぅ‥‥」
腰に絡み付いてきたずっしりと重くあたたかな腕に、思わず笑った。
張りのあるしなやかだけど細い腕がずっしりと重いのは、彼が、‥‥恋人が。本当に眠り込んでいるから。
もともと細身なひとだから、全体重をかけてこられようと平気な気もするんだけど。それでも、そう、普段彼の体重を感じないのは、彼が最新の注意を払ってくれているからで。
‥‥まぁ、体重を感じるシーンなんて、彼の指先とか声とか体温とか気持ちよさに夢中で、よくわかんない気もするけど。
って、朝から何を考えてるんだ、僕は!‥‥いや、朝だからか?
恋人を褥に残して立ち去るだなんて、ロマンス小説みたいだよね。
それも、最高に素敵で、最高に格好いい、恋人。
「ふ‥‥ぅ、ん、マシュー‥‥」
「‥‥もう」
そして、最高に可愛い恋人。アーサーさん。
「‥‥って、遅刻する!」
なーんてそうこうしてたら30分の余裕はあっという間にリミットギリギリ。僕のぼんやりグセは相変わらずだ。
そーっとそーっと腕を外させて、わたわたっと手早くシャワーを浴びて身支度して、‥‥朝ごはんは、ああもう勘弁してもらうとして!仕事道具、あとはなんだっけ、そう、書置き!
「『実家に帰ります』、今日は早番で‥‥は昨日言ったよね、ええと帰りの時間は‥‥あーまぁいっかこれだけでも!うん、よし!」
サラサラッと手近にあった紙に書き置いて、枕元へ。
未だぐっすり眠るアーサーさんは、ちょっぴり童顔なのも相俟ってやっぱりなんだか可愛い。昨日は、すごく優しかったし。‥‥んん、もっと激しくても大丈夫なのになぁ‥‥って、いやいや!朝だから!
「それじゃ行ってきますね!‥‥アーサーさん、大好き」
ちゅ、って音を立てるキス、とか。
こんな甘ったるいこと、アーサーさんが寝てるから出来ることだよね。ああ、起きてたら起きてたで、どんな顔するのかもちょっと見てみたいかな?
‥‥でも今は、仕事!時間も大丈夫だね、よし!
お気に入りのスニーカー、肩掛け鞄も軽やかに。朝焼けの街をランニングだ。
ああ、今日はきっと、素敵な日になる気がする!
そして、実際にその日はすごく、ついていた。
仕事にも間に合ったし。(まぁこれは当然か)
実家に戻ったら本田さんが遊びに来てて、美味しい朝食を食べさせてもらえたし。(日本食っていいなぁ、勿論アーサーさんのイングリッシュブレックファストもいいけどね)
取引業者さんが、美味しいって評判のメイプルパンケーキのテイクアウトを差し入れてくれた!(評判どおり美味しかった。今度アーサーさんにも買って帰ってあげよう)
行きつけのランチのお店の日替わりメニューがタマゴメインのヘルシーメニューになってた。(タマゴは健康にいいんだよね!)
アルフレッドが空気読んだ。(奇跡!奇跡!)
本田さんが、仕事のあと車でアーサーさんちまで送ってくれるっていってくれた。
「アーサーさんのお宅までは結構距離がおありでしょう、私もあちら方面に用がありますから、よろしければどうぞ」
「えへ、ありがとうございます!」
にっこり笑っていえば、にっこり笑って返してくれる。
本田さんは、とても優しいから大好きだ。
小柄でちょっと幼い顔立ちだからキュートって言ってもいいくらいなのに(アルはよく言ってるしね)、僕としてはどちらかというとエレガンスっていうか、結構、雰囲気のある、強い人だって思ってる。まぁ、そこが素敵なんだけど。
「ああ、マシューさんちょっと商店街に寄ってもいいですか?そういえば、福引が今日までなのを失念しておりました」
「はい、いいですよついでに僕も夕飯の食材を‥‥って、フクビキ?」
聞き慣れない単語にきょとん、としたら、ああ、とすぐに察した(ここが本田さんの凄いところだと思う!僕とかアルじゃ絶対『察する』なんて出来ないからね!)本田さんが、「フクビキ」について説明してくれた。
ようするに、「くじ」の一種らしい。一定要件(今回は、フクビキ補助券だって言ってた。一定金額お買い物をしたらもらえるのだそうだ)を満たしてする抽選で、出た「目」によって何か景品がもらえるんだって。
「何枚かありますから、マシューさんもやってみますか?」
「えええ?え、でもそれ本田さんのフクビキ券ですしっ」
‥‥と、アワアワしている間に本田さんは係りの人(なんか気の良さそうなおじさんだった。八百屋さんなんだって)に券を渡して、はいどうぞ、ってテーブルの前に押し出されてしまった。おろおろしていると、テーブル越しにいたおじさんがニッコニコに笑って、「はい、ここの取っ手を持って、ぐるってまわせばいいからね!ガラガラ〜って色付きの玉が出てきたら、できあがり!」って丁寧な説明までされちゃって。
「‥‥えっと、じゃあ」
「はい。がんばって、マシューさん!」
「お、兄ちゃん頑張れー!」
「あらあら、可愛い子ねぇ、頑張ってね」
おずおずと取っ手を握ったら、隣から本田さんの声援。‥‥と、何故だから見知らぬ人からの声援。面白いなぁ。
‥‥で、出た結果はといえば!
「‥‥はいっ、大当たり〜!!」
「え!」
「あずき色の玉は、5等、特大金ダライだぁ!」
「‥‥‥‥えー?」
どどーん、と持ってこられた景品に、思わずヘンな声が出てしまった。
金ダライ‥‥。たらいって、そういえば最近はコントでも見かけないくらいなんだけど‥‥ど、どう使おう、かな?
‥‥と、そんな困惑が隣りにいた本田さんにも目の前の八百屋のおじさんにも伝わっちゃったらしく(本田さんも八百屋のおじさんもすごいね!空気読むスキルが免許皆伝級だよ!)。
「‥‥っていっても、兄ちゃん金ダライはあんまり使いそうにないよなぁ」
「うーん、マシューさんにもアーサーさんにも、金ダライは‥‥」
「!」
そういって、困った顔で小首を傾げた本田さんと八百屋のおじさんはなんだかキュートで可愛くって、ついうっかり、
「え、すっごく使いますよ金ダライ、もうちょう活用ですよ!」
‥‥って答えてしまった。何言ってんだ僕‥‥。
でもまぁ、正しく空気読んだ本田さんと八百屋のおじさんは、そう言い切った僕をきょとんと見たあとで大きく笑って、じゃあおいちゃんから金ダライ使ってくれる兄ちゃんにお野菜のオマケ景品だ!っておじさんは野菜やタマゴをたくさんくれたし(今日はサラダとおでんにしよう、大根が美味しそうだ!おでんのタマゴも美味しいよね!)、本田さんはニコニコしながら、礼の美味しいって評判のメイプルパンケーキのお店に行ってくれて(車とはいえ遠回りなのに!)、僕とアーサーさんのためのパンケーキとメイプルシロップを買ってくれた。
「え、ええ、でも悪いですよっ」
「いいんですよ、爺からのプレゼントです。マシューさん、メイプルシロップお好きでしょう?」
そりゃ、とっても好きだけど!
それでもやっぱり困惑していると‥‥だっていつだって本田さんには甘えてばっかりだから、こんなに良くして貰っていいのかなって遠慮があって。でも、なんだか爽やかに笑った本田さんが、「先日アーサーさんにお会いしたとき、メイプルシロップで楽しみたいっておっしゃってましたから。ええ、まぁ軽い差し入れですよ、差し入れ。」って言うから、受け取っちゃったわけだけど。
‥‥っていうか、メイプルシロップ「を」楽しむじゃなくって、メイプルシロップ「で」楽しむってどういうことだろう?‥‥まぁいいかメイプルシロップ美味しいし。
そんなこんなで、結構な特大金ダライやお野菜やパンケーキや、結構な荷物を携えて、僕はアーサーさんのマンションへ帰って来た。
アーサーさんはまだ学校から帰ってなくて、手早く掃除した後で新鮮なお野菜で作ったサラダとおでんは美味しそうで。つまみ食いしたいな‥‥や、ガマンガマン。デザートにはパンケーキもあるしね!
あ、金ダライは‥‥置き場がないなぁ、まぁいっか玄関の棚にでも置いとこう。
うん、今日は最高についていた。
誰も彼もが優しくて、先に挙げたこと意外にもその他諸々!
うん、こういう日をハイパー・ラッキーディっていうのかもね。
なのに。
「ただいま」
「お帰りなさい」
「‥‥マシュー!!」
何故だかジャージ姿で帰ってきた(部活にでも出たのかな?)アーサーさんは、あわあわと慌てた様子で。‥‥ああ、ちょっとアーサーさんてばそんなバタバタしたら棚に置いたものが落ち‥‥、あ。
「あちゃー‥‥」
ゴガン!と素敵なほどに高らかな音が、アーサーさんの頭上で鳴り響いて。
「‥‥不幸だ。死にたい」
って。
‥‥‥‥ああもう、この人は。
死にたい、って。
今日に、最高についている今日に、恋人が死にたいっていう。
‥‥これって最高に、ついてないんじゃないのかなぁ?
おかしいな、今日は最高に、ついてる日なのに。
「アーサーさん」
床に倒れてる恋人に、そっと話しかける。
「もし今日アーサーさんが死んじゃうと、僕は世界で一番不幸なひとになってしまうんですよ」
‥‥ねぇアーサーさん聞いて、今日の僕は最高についてる日を過ごしたんですよ。
たくさんたくさん、優しくしてもらったんだ。
「最愛の人を亡くして、一生それを背負って生きて行くんです。きっとアーサーさん以上の人なんて世界中探したって居ないもの」
本田さんの朝ごはん。
メイプルパンケーキ。
タマゴのランチメニュー。
たくさんのお野菜。
金ダライ。
それらは全部、ずっしりと重い、優しさと幸せで出来ている。
‥‥そう、朝に感じた、恋人の、貴方の。腕と同じ、温かみと重さで。
「アーサーさんの不幸は、これよりずっと重たいんですか?」
「んなわけねぇだろ!」
幸せがずっしりと重く、金ダライの影でキスをした僕らの背中に圧し掛かる。
‥‥ほら、やっぱり今日は、最高についている日、だ!
the end.(2009.03.26)
家村さん、ありがとうございました!
深生サエ
>>BACK