喩えるならば、それは水のようだと。

瑞々しい緑の合間をさやさやと柔らかに零れ落ちる小川。
絶え間なく滾々と溢れ出る清水。
やがて美しい場所へと辿り着く。

純粋で、透明で、煌めいて、綺麗。
この世界の美しいもの。この世界の優しみ全て。

美しいものは大好きだ。大切にしなきゃいけない。
優しいのも大好きだ。優しさに触れてあの子は笑うから。
だから、見つめてる。ただじっと、見つめてる。
見つめている、だけ。




触れられなくても、かまわない。










「なんで、なんでそんな強がるんですか‥‥ッ、僕の前でまで!」

凛然と澄んだ、叩きつけるような強さだと思った。
透明で伸びやかな声。少年と青年の狭境期特有の揺らぎを持って、けれど今は普段のふわふわとした甘さはない。
俺の胸倉を掴んで震える、拳にも。

‥‥ああ、哀しいのかい?それともどこか痛いのかな。
可愛い子、哀しまないで。痛みなら俺が全て持って行ってあげる。
俺なら大丈夫だから。
哀しみも痛みも、俺は平気だから。

泣かないで。

「‥‥っ泣きません、だってフランスさん泣かないのに、泣けないのに‥‥っ、なら、僕だって泣かない!」

震えた声で、それでも強い強い声で。‥‥ああ、なんて綺麗な声だろう。
そうだ、この子は昔からこういう子だった。
美しくて優しくて。小さな身体に、世界中の綺麗なものを詰め込んで笑ってくれた。俺の大切な、大切な、可愛い子ども。
何に代えても守るべき、愛しい子。

「ありがとう、カナは優しいね」

震える拳を見て思った。貫くような瞳を見て、笑った。
‥‥そう、優しい子。美しい、俺の大切な。

「そうじゃなくて‥‥ッ、優しくなんてないです、違う」
「いいや、優しい」

だから、お前は行けばいい。
俺に構わずに行きなさい。俺を置いて、行きなさい。
綺麗な世界へ。美しい場所へ。そこで幸せにおなり。
そこはお前の為の場所だ。お前の、‥‥お前たち、俺が出会った美しい全ての存在たちの為の場所。
俺はそれを笑って見送るから。これまでもそうしてきたんだから。

痛みや哀しみは俺が此処で、全部引き受けてあげる。
大丈夫、俺は平気なんだよ。
もう、何が痛くて何が哀しいのかなんて、解らないんだ。




カナダの拳の、震えが止まった。









喩えるならば、それは水のようだと。

純粋で透明で、光を宿して美しく、祈りにも似た。
それは美しいもの、優しいもの。全て。

それは世界に無数にあって、俺の周りにも溢れている。
零れ溢れる純粋な水は、小さな流れとなりいつしか大河となって遥かな場所へと辿り着く。ああそれはなんて美しい。
美しいものは大好きだ。だから其れを俺はじっと見ている、見ていた。

見ているしか出来なかった。

自分の傍を往き過ぎる、自分とは決して交わらない其れを、見送り続けた。




触れられなくてもかまわない。




否。




この汚れた手で、触れてはいけない。









「‥‥僕は、平気です」
「‥‥‥‥え?」

戸惑った。‥‥何故だろう、何かが違う気がする。

可愛い子、俺の大切なカナダ。大切に大切に育てて、離れてからも大切におもっていて、遠目にでもその姿を見れた日は心が浮き立ったし笑っている姿を見たときは本当に嬉しかった。

この子は、幸せになるべき存在だ。

だから駄目なのに。
だから、俺の傍じゃなくて、そう、この子が幸せになるべき場所へ俺は笑って‥‥そうだ、これまで何千、何万と見送ってきた大切なものたちと同じように、見送らないといけないのに。

「平気です」
「‥‥何、が?」

問い返してはいけなかった。
俺の傍に居れば居るほど、この子は行けなくなる。
俺が触れられないあの水から、この子を引き離してしまう。

なのに。

「‥‥ありのままの貴方がみたいんです」

見送り続けた、美しい水。綺麗な場所へつながる水。
それは零れ溢れる純粋な、水のような、‥‥

「僕は平気だ、フランスさんが笑ってても怒ってても泣いてたって僕は平気なんだ、貴方の傍に居る、傍に居たい」
「カナ、」




「僕は、貴方が好きなんです、‥‥好きなんです」









喩えていうなら、それは水、‥‥それは、愛。









「‥‥‥‥‥‥‥‥え?」
「え、じゃありません。好きです。フランスさんが好き、大好きです」
「いや、ちょっと、待って」
「待ちません、ていうかこれまで十分待ちました」

‥‥何かが違う気がする。と、さっきも同じことを思った筈だが、それともまた何か違う。‥‥え、ちょっと、何かって何だ、え?あれ?

だって。見送る筈だったのに。触れられない、筈なのに。




‥‥あ。‥‥何か、溢れた。今、すごく。




ざぁっと音を立てて顔が赤くなったのを自覚する。
たぶん、いや絶対耳まで赤い。ちょっと、何だこれ待て待て、待てって。

溢れた。零れた。それがジワジワと、いやザバーッと?溢れて、流れて。‥‥流れ込んできて。

それは胸倉を掴んだ拳だとか、若者特有の(或いは特権の?)恐れ知らずな真っ直ぐすぎる視線だとか、綺麗な綺麗な顔だとか声だとか、いや、全部から。
全部、カナダから。

「好きです。‥‥返事を」

小川を流れるかそけき音のような。
急流を下る水飛沫のような。
大地を潤し満たす茫漠たる大河のような。

美しい水、水のような愛、‥‥この胸に初めて満ちる、愛。









「好き」









愛を湛えて零れ落ちる、涙。









「‥‥やっと言ってくれた」









「好きでした」

うん。

「ずっと好きだった、貴方だけ、貴方ばかり、好きでした」

うん。‥‥うん、俺もだよ。




好きだよ、ずっと好きだった。そうだ出会ってからずっと愛してた。
あの水に、愛に触れたくてたまらなかったよ。
過ぎていく愛をずっと捉まえたかったよ。


カナダ、カナダ、カナダ。




「‥‥臆病でごめんね」
「そういうところも好きです」









喩えるならば、それは水のようだと。

瑞々しい緑の合間をさやさやと柔らかに零れ落ちる小川。
絶え間なく滾々と溢れ出る清水。
やがて美しい場所へと辿り着く。

純粋で、透明で、煌めいて、綺麗。
この世界の美しいもの。この世界の優しみ全て。

通り過ぎるものだと思っていた。触れてはいけないものだと諦めていた。

けれど、俺はお前に愛されていたんだね。お前に、守られていたんだね。





お前がくれたこの水を、俺は生涯大切に守り抜くよ。