ファーストキスは甘酸っぱいレモン味なんていうけれど、俺のファーストキスはほんのり苦い紅茶味だった。
相手は言わずもがな、イギリスだ。‥‥まあ、これは親からのキスってことでカウントしなくてもいいのかもしれないけどさ。キスできるくらいに自我がしっかりした頃に傍に居たのがイギリスで、当時のあの人は俺をウンザリするくらい可愛がってくれてたし俺も彼のことが大好きだったから、当然の帰結ともいえる。

それにしたって、やっぱり。




「ファーストキスが苦いってどういうことだい‥‥」
「なにワケわからないこと呟いてるんだい、キミ」

自分とそっくりの、けれど少しだけ澄んだ声に俺はテーブルに伏せていた顔をのろのろと上げた。少しだけ視界がぶれる。ぶれた視界に映るのは、テーブルといわず床といわず散乱したビールやリキュールやウィスキーのビン。当然中身はキチンと消費済み。‥‥誰の胃にかって?それはもちろん俺と、

「カナダー‥‥」
「だからなんだいってば。‥‥あ、これ飲んでいいかい?いいよね」

そう言うなり、白い指が俺の目の前から封を切っていないビンを攫ってく。中身は金色を沈めた琥珀の液体、正体は俺が上司から貰ったとっておきのバーボン。‥‥うん、いいんだけどさ、飲む為に持ってきたんだし。俺がyesともnoとも、一言たり返す前に慣れた手つきで開封しちゃうのも、別にいいんだけど。

「‥‥キミ、それ氷入ってないんだけど」
「ストレートで飲むのが好みなんだよ、いいだろ」
「‥‥‥‥。」

そりゃあ、酒の飲み方なんて個々人の好みの問題で、他人が口を出すことじゃないってことくらいは俺だって解ってるぞ?けれどね、このいつもはのんびり屋で大人しい俺の兄弟が軽やかにビンを傾けてバーボンを注ぎ込んでいるのはストレート用のショットグラスなんて可愛いもんじゃない。

「‥‥うん、さすが君の上司。美味しいね。カナディアンも好きだけどたまにはバーボンもいいなぁ」
「‥‥ビンごとあげるよ」
「本当かい?それじゃ遠慮なく」

酒嗄れした声で一言言えば、言葉どおりに遠慮なくバーボンを自分の脇へと置く。その前にもう一度、手にしたマグカップに中身を注ぐことも忘れない。
あのマグカップ、彼がいつもメイプルティーだなんだと甘ったるいお茶をたっぷり入れて飲んでるやつだよな。うん、確かにそうだ。甘くて可愛い飲み物を飲んでる姿を幾度も見かけたことがあった。
‥‥そしてそののんびりとお茶を飲むカナダと並び合って座って、一見凛々しく紳士然とした態度でその実見てられないほどに甘い色を湛えた視線をちらちらと隣りにおくっていた『彼』の姿だって、ゲンナリしつつこれまた幾度も見かけたことがあった。

そして今、カナダは足元に俺を座らせて、ていうか俺が床に座り込んでるだけなんだけど(そのほうがテーブルが近いからね)、ソファに深く腰掛けて、のんびりとマグカップを傾けている。中身は甘いお茶なんじゃないわけだけど。

カナダとは、時々こうして酒を飲む。
別に特別なことじゃない。家も近いし、国家としても個人としてもそれなりに仲良くやっている相手だからね。何より俺達は、正真正銘の兄弟だ。イギリスやフランスも兄弟といえば兄弟だけれども、どちらかといえば親だとか元・保護者、元・宗主国の面が強いし、たまに飲んでも5割の確率でお説教が始まったりする。まあそんな愚痴めいたお説教なんて聞いちゃいないけどね。
カナダ相手だとそれがない。ただ淡々と飲んで、下らないことを話して、酔ったらそのまま二人で寝てしまう。それだけ。遠慮なんてする間柄じゃない。
だから、今日俺がとっておきのバーボンを携えて兄弟の家を訪ねたのだってなんの不思議もない日常の一コマ。なんでもない、いつものこと。

「カナダー」
「ッと、ちょっとアメリカ、零すだろ。‥‥眠いなら、ホラこっち」
「うん‥‥」

腕を引っ張られて誘導されるまま、ソファに深く座った彼の膝を枕がわりに借りるのだって、やっぱり、なんでもない、いつものこと。

「アメリカ、酔ったのかい?」
「んー‥‥いや、平気だぞ」

もそもそとそう応えれば、ああそう、と素っ気無い台詞が降ってくる。
視線だけ動かして仰ぎ見る視界には、膝を貸した俺の存在なんて丸無視でバーボン入りマグカップを傾けるカナダ。
‥‥もしもここにいるのが俺じゃなくて『彼』だったら、きっとオロオロして世話を焼くんだろうな。

「んー‥‥」
「アメリカ?」

俺は床に座って頭だけカナダの膝に預けていたのだけれど、ちょっとだけにじり寄るように膝を進めて伸び上がり、彼の腰に腕を回して抱きついた。頬にあたるコットンのパーカーが、カナダの体温を移してほんのりと温かい。
スン、と鼻を鳴らして息をする。いつもどおりのどこかシロップみたいに甘い兄弟の匂いに、痺れるようなアルコールの苦く甘い匂いが混ざっていた。

「なんだい、酔ったのかい?‥‥何か飲む?」
「ああ‥‥うん、いや、大丈夫」

抱きついたまま、仰のくようにして兄弟を見る。
自分と似ているような似ていないような、同じ青色だけれど同じじゃない瞳が俺を見下ろしていた。凄く近い距離。少し首を伸ばせばキスだって出来るくらいに。しないけど。

「紅茶ならあるよ、昨日イギリスさんが水出し紅茶たくさん作っていってくれたから」
「ファーストキス味の酔い覚ましなんてゴメンだよ」
「は?」

至近距離の瞳がぱちぱちと瞬く。
ほんの少しだけ開けられた唇はふんわり濡れて、その奥に白い歯と、ジェリービーンズみたいな赤い舌。甘い味がしそうな。
甘いキスが、出来そうな。
しないけど。

‥‥出来ないけど。

「アメリカ、さっきからワケわかんない発言が多いよ。今日は本当に酔ってるんだね、珍しい」
「‥‥そうかな」
「もう寝るかい?」
「いいよ、カナダ、まだ君飲み足りないんだろ」
「別に一人で飲んでもいいけど」
「ヘイ兄弟、寂しいこと言うなよ、付き合うさ」

仰ぎ見たまま至近距離で交わす兄弟との会話は、いつもどおりの軽やかな口調。
なんの不思議もない日常の一コマ。そして、

「サンキュー兄弟。もうちょっと付き合ってくれ」




軽やかな応えと、痺れるように苦く甘い、バーボンの味のするキス。




ぱすりと音を立ててカナダの腹に頭を寄せる。半ば彼の膝に身体を乗せるように凭せ掛けて腰にまわした腕にやんわりと力を入れたら、クシャクシャと髪をかき混ぜられる。
コクリと小さく喉がなる音がして、バーボンの香りが遅れて降ってきた。
鼻をくすぐるアルコールが目の奥を痺れさせるみたいに苦くて、いっそう腕に力を込めたら「苦しいよ兄弟」と苦笑する、耳に甘くて心に苦い、声がした。









俺のファーストキスの味はほんのり苦い紅茶味。
そして片想いの相手とのキスは、痺れるように苦く甘いバーボンの味。

カナダの唇からほんのり『彼』の紅茶の香りがしたのは、気がつかないふりをした。









  ニューヨークには届かない










the end.(2008.10.09)

片想いのひとの恋人は、自分のファーストキスの相手