アメリカには『兄弟』と呼べる相手が一人だけいる。
かつては『兄』であり『保護者』でもあった相手もいたけれど、それはもう昔の話だ。‥‥今は、どうだろうか。最も慕わしい同盟国であるとかそういう社会的な位置づけはさておいて、イギリス個人を指すならば一応『友人』という括りに入れてもいいかもしれない。もっとも彼のほうは、今でも保護者気分が抜けないようだが。
ほら、今だって。
アメリカは瀟洒な窓枠に肘を突いてコーラを飲みながら、目の前に広がる丹念に手入れをされた可愛らしいコティジガーデンを見下ろしていた。正確には、可愛い庭園内に怖い顔で仁王立ちしてなにやら喚いている、庭園と屋敷の主人である『元保護者』の『友人』と、その傍に困ったような笑みを浮かべて寄り添っている『兄弟』を、だ。
少し視線を上げれば、この国には珍しいほどの好天気。庭園の緑は美しく、丹精されたイングリッシュローズが濃いグリーンに光を灯すように咲き誇っている。
アメリカには特に園芸の趣味は無いが、綺麗なものを綺麗と認めるのは吝かではない。‥‥が、その美しく丹精した張本人が情緒もへったくれもなくがなっているのは、全く持っていただけないというものだ。
アメリカは呆れた表情を隠しもせず、コーラを飲みながら肩をすくめて首を振ってやった。
現在いる部屋から彼らの立つ場所までさほど高さも距離もないのだが、風向きの加減か、イギリスの怒鳴り声はアメリカの耳へは欠片も届かない。まぁ、届いたところで無視しただけだろうが。
「どうせ、窓枠に肘をつくなとか、コーラ飲むなこのメタボ!とかだろう」
何かと言うと兄貴面したがるイギリスの言いそうな台詞を口にしたのは特に意味も何もなかったのだが、実際口にすると聴こえてもいない元・兄の声が聴こえてくるようで、アメリカはげんなりとした気分で再びコーラを口に含む。はじける炭酸が口内を刺激して気持ちがいい。こんなに美味しいのに何故イギリスはあれこれ言うのだろう。この前など「そんなモンのどこが美味いんだ」と真顔で訊かれた。まったく、年寄りの(味覚も思考も、全てだ!)考えることは本当に解らない。
‥‥まぁ、歳が近いからといって考えていることが解るのか、といえばそれも怪しいわけだけれど。
アメリカには、『兄弟』がいる。たった一人。
彼とはほぼ同い歳で、顔だってそっくりといって差し支えない。存在感云々はともかく、未だに彼とアメリカの見分けがつかない‥‥というか、彼のことをアメリカと間違える連中はごまんといて、どこに行っても間違われる日常に「理不尽だ!」と怒る兄弟がそれこそ理不尽な八つ当たりをアメリカにするのも、これまた日常だ。この前なんか自宅のハンドソープの中身をメイプルシロップにすりかえられていた。理不尽だ。
「そうとも、理不尽だぞ。‥‥間違えた相手に、怒ればいいじゃないか」
例えば君が傍に立って宥めている、君の大切な彼とかに。
世界中でただ一人だけの『兄弟』だ。アメリカに良く似た面差し、同い歳の。
イギリスによって引き合わされてからこちら、幼い頃はいつだって一緒に遊んで一緒に眠ったし、時々ケンカもしたけれど夜になればやっぱり一緒に寄り添って眠った。彼が泣いていれば抱き締めて一緒に泣いたし、アメリカが不貞腐れていれば手を引いて一緒に屋敷まで帰ってくれた。
彼が『兄弟』であることは、この先ずっと変わらないだろう。‥‥変われないのだろう。
だって、アメリカが変わりたかった関係には、もう『元保護者』が、おさまってしまったのだから。
「理不尽だよ、兄弟。君の傍に居たのは、僕じゃないか」
声に出して言う。庭にいる彼らには‥‥カナダには、届かない。
同い歳、瓜二つの面差し。
誰よりも一緒に居た。誰よりも心を共有していた。
していると、思っていたのだ。
此方を指差して何事かを言っているイギリスへ、宥めるように少し笑ってカナダが何事かを言っている。カナダはイギリスのほうしか見ていない。イギリスは暫くの間此方を窺いながら何ごとかを言い募っていたようだけれど、一頻り怒り尽くしたからか、それともカナダの言葉に宥められたのか落ち着いたらしく、カナダのほうへと身体を向けると無造作に手を伸ばして、メイプルカラーの髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。カナダは笑ったようだった。柔らかく‥‥本当に優しく、甘く。微笑んだ。
世界中でただ一人だけに向けられる笑顔で。
大切な大切な、‥‥アメリカが成り得なかった、『恋人』へと。
窓枠から肘を外して、そのままずるずると壁伝いに窓の下へと身体を落とす。降り注ぐ光に慣れた視覚が、室内の光度に一瞬暗く重くぼやけたので、アメリカはそのまま目を閉じた。
窓の向こう、最後に見たイギリスへと顔を寄せる、たった一人の兄弟の甘い笑顔は、コーラと一緒に苦い涙ごと飲み干した。
窓の向こう
the end.(2008.10.30)
きみが手を繋ぐひとを選んだから
俺は伸ばした腕を下ろして
静かに窓を閉じたんだ