薄暗い建物の中を、僕は早足で歩いていく。
素っ気無いオフホワイトとシルバーグレイの、長い長い廊下。
人影はあんまりなくってすれ違う皆どこか無口で、けれど空気がさわさわと揺らいでる。壁の向こう側から遠く電子音。正確無比の計器類、世界のテクノロジーの結集、チカチカとまるでイルミネーションみたいな其れをぼんやりと思い浮かべる。丈夫過ぎるくらいに丈夫なブーツは、けれど少しも音を立てない。グローブにゴーグル、様々な付属品の付いたエアフォース仕様のジャケットはずっしりとしているのに何故か軽くさえ感じて、前へ前へ。早足で。
薄暗い廊下は歩く方向へ向けてセンサーライトが次々に灯る、きっと後ろから見れば光の矢印だね。
その先端に僕を乗せて輝く軌跡、どこまでも駆けていく。
‥‥ああ、違うか。
「マシュー!」
輝く軌跡、誰より輝く彼の元へ、駆けていく。
「アル」
建物を出ると同時、強い風が辺りを薙ぎ払う勢いで巻いた。
渦を描いて未明の空へと還っていく大気は、熱せられたオイルとエンジンの焼ける匂いを従えて踊る。
それにつられてステップを踏むメイプルカラーの僕の髪を無造作に押えつけてきた兄弟の手に、うっかりとたたらを踏みかけて、けれどなんとか持ち堪えた。さすがにここでコケたり彼の腕に縋るのは、みっともないからね。周り、といっても凄く近くに居るわけじゃないけれど、既に唸りを上げて熱を上げていく機体の調整をしているエンジニアや、無駄のない軽やかな足取りの誘導手が夜闇の中に誘導燈瞬く発着場を行き来しているんだから。
コケる代わりに僕は頭の上に載せられた、グローブに包まれた兄弟の手を下から持ち上げるようにして外させる。そのまま腕ごと上へと掲げたタイミングで、軽く拳を一度、打ち合わせた。
目を合わせれば、暗闇の中でも澄んだスカイブルーがきゅっと細められる。
どこかイタズラっぽい表情に、僕は眉を片方だけあげて呆れてみせた。
「ヘイ、アルフレーッド?僕は確かに君に、飛行機のチケットを取ってくれと頼んだけれど、飛行機を借りてくれとは言ってない気がするんだけどな?」
「ハッハァ、大切な兄弟の為にチャーターしたのさ!豪勢だろう?」
「うーん、僕としては有能なパイロットと美人のキャビンアテンダントもレンタルしてくれたら良かったんだけどなぁ」
「美人のCAは無理だけど、有能なパイロットならここに居るだろう?」
「自分で言ってりゃ世話ないね。‥‥僕、後席?」
「ああ。まぁ、ゆっくりしててくれよ。ウェルカムドリンクは出ないけどね」
そういって快活に笑ってウィンクまでしてのけた兄弟に、僕は緩くため息をついて応じたものさ。
凍てつく冬の空気が街を席捲する頃、ニューイヤーに一緒にイギリスのところに行こうよ!と言い出したのはアメリカだ。
これ、つまり『新年にロンドンへ行く』というのは別に特別なことじゃなくって、ほぼ毎年のこと。どっちが先に誘い文句を繰り出すかは、まちまちだけれども。何だかんだ言って、アメリカもあの、腕を振り払って飛び出した兄のことが大好きなんだ。
ま、随分と意気込んで僕に誘いの電話をかけてきたのには、今年のロンドンでのニューイヤーパーティにフランスさんが、っていうか彼が作った美味しい料理が来る、っていうのもあるかもだけどね。
で、じゃあ飛行機おさえといてね、と頼んだのが、今年の僕。
‥‥うん、てっきり、1日のファーストフライトを抑えてくれるものだとばかり思っていたのだけれど。や、普通そう考えるだろう?民間の航空会社で、ようするに、旅客機で。トランク持って、お出かけ用の服で、ゆったりしたシートに座っておしゃべりとドリンクを楽しみながら「Welcome to UK.」って機長のアナウンスを待つって、普通思うだろう?
「31日の夜に来てくれよ!」と寄越されたメールに記された集合場所が、まさかの空軍基地だった、なんて。それで僕が驚かないほうがおかしいってものさ。
因みに、荷物はどうするんだい!って滞在中の服や小物を納めたトランクを足元に置いて慌てて電話した僕に、返ってきた言葉といったら「あっちで買い揃えればいいさ。ていうかイギリスに買ってもらおうよ。日本に聞いたんだけどね、彼の家では『オトシダマ』っていう制度があって、年長者からお小遣いがもらえるらしいんだぞ!」。‥‥なんていうか、もう返す言葉がなくなって呆然としているうちに「じゃあ遅れるなよ!」って切れちゃったラインに、深〜いため息をついた僕を察して欲しいってもんだ。
いっとくけど、別に僕がのんびりしすぎて電話切られたわけじゃないからね。断じて!
「君、わざわざ複座の機体用意させたのかい?もう、上司にワガママいうのもほどほどにしときなよ」
「ええ?こんなのワガママのうちに入らないだろ、機体はもともとウチにあったんだし。ただ、ちょっと夜間離陸と夜間飛行の許可貰って、ちょっと国境越える許可貰って、ちょっと1月半ばまでバカンス貰うね!って頼んだだけさ」
「君んちの『ちょっと』はきっとメートルとヤード・ポンドくらいのギャップがあるんだろうね‥‥」
僕はフライト前の様々な許可証にサインを書き込みつつ、欠片も悪びれない兄弟の様子にポーズじゃなく呆れてみせた。ヒョイと目線を上げれば、書類をクリップボードに束ねて渡してくれた壮年の(といっても僕よりはよっぽど実年齢は若くて、よっぽど外見は年上っていうやつだけど)エンジニアが苦笑していた。‥‥ああ、アメリカ国民に幸いあれ!
「いいじゃないか、旅客機よりもよっぽど早く着けるんだぞ。のんびり屋の君だとあくび一つしてる間に着いちゃう感覚かなぁ」
「そんなわけないだろ!」
「それにこっちの方が景色がいい。‥‥ああ、準備が出来たようだ」
そう言うや僕の返答を待たずに、アメリカ‥‥今日は人がたくさんいるから、アルフレッドって呼んでるけど、僕の兄弟はスタスタスタッと回転数の上がった綺麗な声を響かせている戦闘機のほうへ歩いていった。足元に立って彼を待っていたのだろう整備士と何事かを話したあと、一緒に機体の最終チェックを始めた。‥‥張り詰めた、真剣な表情だ。
そんな兄弟を、眺めるともなしに眺めていた僕は、ようやっとすべて書き終わった申請書類一式を律儀に隣りで待っていてくれたエンジニアの彼に手渡しながら、つい「いつもああだったらいいのに‥‥」と零したものだ。
その言葉は独り言だったのだけれど、どうやらきっちり耳に届いていたらしいエンジニアは、書類を筆記具とまとめて受け取ってくれながら「まぁ、彼はあれくらいのほうがいいですよ、ミスター」と笑った。
「そうかい?アルは気まぐれだからなぁ、彼の上司が疲れ切ってお説教してるのを何度見たことか」
「アハハ。けれど、それがいいのですよ。そうでなくては、楽しくありません。楽しんだものが勝ちですから」
「マシュー!さあ、行こう!」
呼び声に、視線を上げる。
唸りを上げる戦闘機の前、フライトジャケットの裾を翻して、此方へと手を伸べて。
きらきらと光のように全開の笑顔。僕の兄弟、世界の頂点に輝く国。‥‥アメリカ。
僕は、笑った。だって、あんな笑顔見せられたら、笑うしかないじゃないか。
きっと隣に立つエンジニアの彼も笑っている。彼だけじゃない、アメリカが笑えば、彼の愛する国全土で、彼の愛する国民が笑う。
楽しんでいこうと、楽しんで生きようと。笑う。
ああ、それはなんて素敵なことだろう!
「そうだね、その考えは、とても素敵だ。‥‥貴方の幸運を祈ります。良い一年を」
「ええミスター。素敵なバカンスをお過ごし下さい。できれば期日どおりにアルを連れて帰ってくだされば、なお。Good Luck.」
その横をすり抜けざまかけられた祈りの文句に、僕はひらっと指先を一度振って。それから、太陽みたいに笑う彼の元へと駆けだした。
「‥‥?マシュー、楽しそうだね。彼と何を話してたんだい?」
「うん?んー‥‥君が大好きだよ、ってことかな?」
「へ?」
ヘルメットを渡されながら問われた言葉に、僕はにっこりと笑って返してから、少しだけ身を寄せて、その頬に啄ばむようにキスをした。
至近距離のスカイブルーが軽く見開かれ‥‥それから、世界を魅了する素敵な笑顔を浮かべた彼に、ふわりと気分が高揚する。
「アルフレッド。‥‥アメリカ、」
「‥‥そうだね。僕も、君が大好きだぞ、カナダ。‥‥行こう!」
エンジンが唸りを上げる。
瞬く誘導灯、ヘッドセットマイクをつけた誘導手とエンジニアが大きく手をあげている。
計器類の電子音、狭く硬い座席から伝わる振動、マイク越しに聞こえる前席のカウント。次第に強くなるGに、くっと腹の底に力を込める。
夜の闇を切り裂いて走る、光の奇跡。
離陸して暫くした頃に、風防の向こう、凍てつく大気が夜色から淡い光をはらみ始める。
深い深い夜闇から、滲むように溢れるように、暁の熱、祝福の光。
『カナダ、太陽が生まれるよ!』
太陽のように輝く君と、今年最初の太陽の誕生を祝福する。
「うん。happy new year、アメリカ。今年もよろしく」
『ああ、今年も楽しくやろうな、兄弟!』
そう言って太陽のように快活に笑う声をマイク越しの声に、僕はやっぱり笑ったんだ。
Good luck。 僕に、兄弟に、国民に、すべての愛しきものたちに。
君の瞳に似たブルースカイを光のように駆け抜けながら、僕はただ、祈ったんだ。
ブルースカイ/ライジングサン
the end.(2009.01.02)
仲良し兄弟。
ロンドンではおっさん達がケンカしながら(主に料理のことで)
可愛い弟達を待ってます。
戦闘機の連続飛行距離なんて気ニシナイ!!(笑)