「指輪欲しいなぁ‥‥」
ほろりと甘い声音は、アメリカの『兄弟』のデフォルトだ。
おっとりと甘い、どこかふわふわした音色。特段に声が澄んでいるというわけでもないのにアメリカの耳には不思議と届く、そんな声を兄弟は持っていた。
そう、この時も。
「なんで?」
「ひゃあ?!」
腕の中、ぎゅっとホールドした身体の震えをアメリカは全身で感じ取る。
あまりの大げさな驚きぶりに、背後から抱きついたアメリカのほうが驚いてしまった。けれど抱きついた腕は外さない。そのままのすりと顎先を相手の肩に乗せて、顔を傾ければ、驚きにか大きく見開かれた湖水色の瞳とカチリと視線が合った。
メイプルシュガーカラーの髪が、視界の端を微かににじませる。
「なんだいカナダ。キミ、ちょっと驚き過ぎだぞ」
「え、ア、アメリカ?」
「俺がフランスにでも見えるのかい?いい眼科医を紹介しようか」
「結構だよ!‥‥もう」
はふぅ、とまるで彼の身体から空気が抜けるようなため息と同時に、驚きに強張っていた緊張も抜けたらしい。逆に、背後に立つ兄弟へと身体を凭せ掛けてくるように寄せられた身体を、アメリカは苦もなく受け止めた。
体格は数値上、さして違わないはずなのだが、どういうわけか彼のほうが微妙にすっきりと、滑らかな身体のラインをしているとアメリカは思う。
腕の中にすっぽりと納まる温みは、妙に心地が良い。このままソファにでもダイブして大画面のハイビジョンテレビの電源をオンにし、フットボールやMBLの中継でも見たいくらいだ。手元にコーラとポップコーンがあれば最高である。
だがしかし、ここはアメリカの住み慣れたアパートメントでもなければ、やはり行き慣れたカナダの家のリビングでもなく。
「あれ?会議の再開はいつからだい?」
「君ねぇ、ちゃんと聞いておきなよ。ええと、‥‥あと10分くらいだね」
きょろきょろと辺りを見回して見つけた、何故だか妙に可愛いハト時計を見てカナダが応える。
ざわつく広いフロアには点在するテーブルに軽食が並べられており、世界会議のために集まった国達がおもいおもいの場所で談笑したり、食事を摂ったりしていた。会議の合間の長めの休憩なのだが、軽食に混ざってビールが置いてあるあたりに開催国らしさが窺える。厳格なわりに、彼にとってはビールはソフトドリンク扱いらしい。
「アメリカ、何か食べるかい?」
「あー、うん。‥‥ていうかさ、なんで?」
「は?」
己の身体をホールドしたままの腕をスーツ越しにとすとすと叩いて訊いてきた兄弟に、アメリカは生返事を返しながら、彼への第一声を繰り返した。
「は?じゃないよ。君が言ってたんだろう、指輪が欲しいって」
「え?‥‥って、あれ、聴こえてたのかい?」
まるで自分の声など誰にも聴こえないと思っていた、とでも言い出しそうなカナダの言葉に、アメリカは内心で眉をひそめる。
確かにカナダはどういうわけか妙に存在感が希薄で、時折どころか頻繁に忘れ去られたりもしているのだが。
けれど、アメリカには届くのだ。彼の、おっとりと甘い声が。
「勿論さ!君みたいなおっとりした声、他のどの国とも間違えようがないからね!それに俺が聞いてあげないと、君のおっとり声なんて誰にも届かなくって可哀想なんだぞ!」
パチンと星が飛びそうなウィンクを沿えて言い放てば、「そんなことないよ!」とポコポコ怒りながら反論してくる。
やはりその声もおっとりと甘く、アメリカに届いた。
「それよりさ、指輪だよ指輪。君、そういう趣味があったっけ?」
「いや、趣味って言うかさ。かっこいいじゃない?」
「何が?」
「ほら、」
そう言って兄弟が指し示した方を向けば、そこにはアメリカにも馴染みのある姿があった。
均整の取れた男性的なプロポーションに、シックなスーツ姿。きらめく金髪は、今アメリカの腕の中にいる兄弟と髪質が良く似ていることを知っている。
「フランスかい」
「うん。フランスさんとか、あとスペインさんだね。ときどきつけてるの。‥‥あ、ほら」
ほら、と言われて再び向けた視線の先には、妙に気の抜ける笑顔でフランスへと何事かを話しかけるスペインの姿があった。会議に参加するにはややくだけた装いだが、彼ののんびりした雰囲気にあったスタイル、と言えなくもない。
そして、カナダの指摘どおり彼らの指には。
「スペインさんにはゴールドが似合うよね。黒髪だし。フランスさんは逆に存在自体が派手だから、ちょっとくすんだ銀とかさ。この前遊びに行ったときに見せてもらったんだけど、たくさん持ってて僕驚いたよ」
「ふぅん」
腕の中から聴こえるおっとりとした喋りに、アメリカは生返事をしながら離れた場所で話している欧州の年長者を眺めていた。
彼らはアメリカにとっても現在での仲の良し悪しはともかく、馴染みの深い相手だ。アメリカがまだ幼い頃から今に至るまで、時に年長の兄のような支援者として時に敵対者として、常に関わっていた連中である。思えば彼らのファッションも(アメリカ自身も含め)ずいぶんと変わったわけだが、彼らはいつも、それなりの格好をしていた気がする。
「‥‥指輪ねぇ」
「うん」
此方に気がついたらしいフランスに、カナダがひらっと手を振って応じる。ソフトドリンクの入ったグラスを片手に、何故だか微妙な呆れを含んだ視線を寄越したカナダの父親めいた部分のあるフランスは、すっと緩く手をあげて応じてきた。
その指には、複数のリング。
(あの頃の彼の指にも、そう、リングはあった。)
(小指のものは、シグネットリングだと言われた遠い昔。)
(『いつかお前達にも作ってやろうな』なんて。幼い兄弟を膝にまとわりつかせながら、彼は笑っていた。)
(そうしていつか、好きな人が出来たなら。)
(『‥‥この指に、綺麗な指輪をするんだよ』なんて。)
(遥かに遠い、昔の記憶。)
(何も填められていなかった綺麗な薬指を、俺とカナダ二人で眺めていた記憶。)
「大人っぽくてさ、かっこいいよね。いいなぁ」
「そうかい?‥‥フランスや、スペインを見て君は、そう思ったっていうんだね?」
「え?‥‥うん、そうだよ?」
きょとんとした顔をして頷くカナダは、なるほど嘘じゃないのだろう。
けれどそれだけでもないなんてこと、もしかしたらカナダ自身も気がついていないのかもしれない。
「アメリカ?」
「いや、‥‥うん」
‥‥何を、言おうか。
うん、なら一緒に買いに行くんだぞ、おそろいのリングを仕立てようよ、ちょうどサマーフェアの時期じゃないか、きっといいのが見つかるよ、とか?
あるいは、指輪なんてつけないほうがいいよ、君んちのクマを抱いたときに毛にひっかかったらかわいそうだよ、とか。
それとも、指輪なんてつけないほうがいいよ、何もつけていない、君の指が好きだよ、とか。‥‥君のその指に、俺から以外の指輪を、つけないで、とか?
‥‥言えるわけがない。俺が言っていい言葉じゃない。
それを言う資格があるのは、『兄弟』ではなくて『恋人』だ。
(それは俺ではなくて、)
「アメリカ?‥‥アメリカ、どうかしたのかい?気分でも悪いのかい?」
おっとりと甘い声。アメリカの耳に必ず届く兄弟の、甘い甘い、其れ。
アメリカは腕の中の身体をぎゅっと強く抱き締める。抵抗などありはしない。何故なら自分は彼にとって大切で無二の兄弟だからだ。
いつだってカナダの声を聞いてきた。いつだって、カナダの姿を探してきた。
寄り添って立つ恋人へ、甘やかな笑顔を向けるカナダの姿をいつだって見つめてきた。
(だから君が本当に言いたい言葉も、俺には届いてるんだ)
「『指輪が欲しい』って言えばいいんだぞ、彼に」
「え?」
「二つ返事で買ってくれるだろ、絶対」
「‥‥へ?」
「勿論、この指に」
そっと手をとって、何も填められていない左薬指に、キスをする。
唇を掠らせるだけの其れでも、この兄弟には十分に意図が伝わったらしい。
「な‥‥ッ!」
「あはは、君、顔真っ赤だぞ!」
さぁっと瞬く間に真っ赤になった頬に、アメリカは快活に笑って再び兄弟を抱き締めた。もだもだと暴れる身体は腕の中にすっぽりと納まって心地良い。
「言えばいいのに。大丈夫だってば、彼はあれで結構に乙女思考だからね、きっと自分の名前とか『I LOVE YOU,FOREVER.』とか彫ったリングをくれるよ!ああ、くれたら勿論俺にも見せてくれよ、笑うから」
「笑うの?!」
「ああ、楽しみだなー彼がどんなリングくれるのか」
「やっ、だ、だから指輪が欲しいって、そういう意味じゃ‥‥ッ!」
「そういう意味だよ」
言葉からからかいを消した呟きに、暴れていたカナダの身体が静かになる。
大人しくなった兄弟の身体を、アメリカはなおいっそう抱き締めて、耳元に囁くように、言葉を継いだ。
「そういう意味だよ。君は、彼から指輪が欲しいんだ。‥‥フランスやスペインじゃないよ、彼がしてるリングを見て、君はそう思ったんだ。おかしいことでもなんでもないさ。だって、君たちは恋人同士なんだから」
「‥‥アメリカ、」
「そして俺は君の兄弟。君のおっとりとした声はね、僕に届くんだよ」
「‥‥口に出してなくても、かい?」
「口に出してなくても、さ。兄弟」
ドイツの号令で会議の再開が告げられる。
きびきびとした彼の声に、意識して快活に応じながらカナダの腕を引いてアメリカは議場へと向かった。
その途上、それはとても小さな、けれどアメリカには届くおっとりとした甘い声での「ありがとう」の声に、アメリカは一瞬目を瞑ってから。
長い長い、決して叶わない片恋相手へと、指輪の代わりに笑顔をささげた。
スマイルリング
the end.(2009.05.16)
幼かったあの日々 太陽のように輝いていた彼は言った
「いつか、お前達にも指輪を作ってやろうな」
それは彼のこどもの証 彼の子ども達への愛情の印
その約束は 果たされないまま道を分かち
そして 今
兄弟の指に光る たった一人への愛を語る指輪に
俺は静かに目を閉じたんだ
イギが作ってくれると幼いこども達にいったのは英国領印になるシールリング。
小指につけるリングのことをいうわけじゃなくて、シールリング(シグネットリング)っていう、指輪の種類です。
きっとイギがカナダさんにあげたのはポージィリングだよ(笑)