いつだって考えてる。何ができるかな。
俺は君に、何をしてあげられる?




無造作にまわしたドアノブはいつだって驚くほどに軽々と回せてしまうものだから、いつも驚くより、いっそ呆れてしまう。
少し前の話になるけど、このドアがあんまりに常時開放なものだから本当は壊れてるんじゃないのかなって、こっそり調べたことがある。うん、まぁ当たり前に壊れてなかったけどね。つまり、このドアの鍵がいつだって開けっ放しなのは、あの、いつだっておっとりのんびりなこの家の主、俺の兄弟の意向なんだなってことを、知らずにはいれないわけだけど。

「それにしたって、無用心すぎるんだぞ」

俺はやっぱりいつもの台詞を呟きながら(これがいつもなあたり、本当にどうしたらいいんだろうね!)、静まり返った家の中へと躊躇いなく足を踏み入れる。勝手知ったる兄弟の家ってね。‥‥馴染んだ彼の家独特の匂いに、いつだってこっそりほっとしているのは、内緒だ。

「カナダー。カナダ、遊びに来たんだぞ!!」

羽織ってきたフライトジャケットをバサリと脱いでから片手に纏めて、大きな声で呼びながら静かな家の中を歩き回る。
因みに、こんな風に訪ねてるってイギリスに言ったら「マナーがなってねぇ!ったく、親の顔が見てェよ‥‥!」と怒られたし、その横で日本はカカオ99%のチョコレートを食べたときみたいな、なんだか微妙な笑顔をしたものさ。ま、空気を読まずに「なら鏡を見ればいいんだぞ!」なんて笑い飛ばしてやったけれど。‥‥言っておくけど、俺だってなにも好き好んでこんな不躾な訪問をしてるわけじゃないんだぞ?
ちゃんと、理由だってあるんだ。

俺の兄弟、カナダは、とてものんびり屋だ。本当、びっくりするくらいにね!まったく、やることなすことおっとりのんびり、いつだかなんて「クマ吉さんのまつげ可愛い!って思ってたら日が暮れてたんだよ!びっくりだよね!」ってさ。‥‥いやそれは俺がびっくりするところだろう。まぁ、彼らしいといえば彼らしいから、軽く笑ってそう言ったものだけど。
だから、こうして大声で呼んでても、気づかれてなかったり、気がついててもおっとりのんびりどこかからぽってぽって歩いて来てて(ハリウッドもびっくりの自然なスローモーションだぞ!)まだ俺のところまでたどり着いてない、なんてことも珍しくない。あんまりに存在感が薄すぎて傍に居ても気づかなかったこともあったっけ‥‥。いやあの時は本気でびっくりしたんだけど‥‥。いや、まぁ、それはともかく。

つまり、こんな風にズカズカと人の家に上がりこんで大声出してるのは、カナダのためだっていうこと。
のんびりでおっとりでぼんやりで、そんなカナダに気がついて貰う為にしてるってこと。‥‥ああ、いっそ健気だと思わないかい!

「カーナダーぁ。いるんだろー?何処だい?」

リビング、応接室、キッチン、プレイルーム、寝室。
結構に広い家の中を歩き回って、最後にたどり着いたのは執務室だ。
此処はさすがに、いくら俺でも気軽に入るわけにはいかない。
だから、ここでも大声で彼を呼ぶ。

「カナダー!いるかい?」
「いる」

もの凄く短い返答。‥‥ああ、これは結構、煮詰まってる?

「開けてもいいかい?」
「いい」

そろっと回したドアノブは、やっぱり玄関先のそれと同じくらいにごく簡単に回ったけれど、大きく開ける事はしない。‥‥だって、此処はカナダの身体の中、そのものだからね。いくら兄弟でも、立ち入っちゃいけない部分があることくらい、俺だって知ってるさ。
‥‥まぁ、其れを差し引いても、入る気にはならないけどさ。

「なんだい、君、まだ煙草止めてないのかい。良くないって、俺前にも言ったぞ?」
「カラメルの甘味料ソーダ割りなんてものを水みたく飲んでる君に言われたくない」
「‥‥‥‥。」

痛いところをつかれた。そりゃ確かに言われてみれば、彼の煙草癖並に俺はコーラを飲んでるかもしれないけど?けど!けど、煙草のほうがずっと弊害が多い気がするんだけどな!こんな、空気さえ煙で霞んでしまう部屋の中にいたら、それじゃなくてもうっすらしてる君がますます霞んでしまうんだぞ!
‥‥まぁ、そんなことは、言わないけど。
うん、口数が少なくなってる。ついでに俺に対して容赦がなくなってる。つまりは、彼はそれだけ、忙しいってことだ。忙しいと煙草の本数が増えるの、俺に対して物言いが怖くなるの、昔から変わってない。
そう、昔から、俺たちは傍にいた。

「勝手にしててよ」
「うん、わかったぞ」

こんな風にカナダが素っ気無いのも、俺だから。
いつだって人当たりの良い彼の、そんなちょっと傍若無人っていうか我が侭っていうか、ともかくそんな態度を見せるのも、俺だからだって、解ってる。




勝手にしててよの言葉どおり、俺は気ままに室内を闊歩しとりあえずキッチンへと向かった。

「コーラないかなー‥‥って、あれ」

一人暮らしには不要なんじゃないかなって思う大容量の冷蔵庫を開ければ、そこにあったのは求めていたコーラではなくて。

「‥‥なんだ、フランス来てたのか」

淡いオレンジのライトに燦然と(まさに!)輝く数々の料理は、遠い昔から彼を甘やかしまくっている父親の作品だと、一目でわかった。
カナダはアレで意外におおざっぱで、食事にしても食べられればいいや的な部分がある。いつだったか、フランスが「俺の、俺の力不足でッ、あの味オンチ島国なんかと暮らすハメになったからぁ‥‥ッ!」なんて言いつつさめざめ泣いていたことがあったっけ。ああ、うん。まぁ確かにその辺はイギリスの影響があるのかもしれないけれど。
けれど俺が思うに、あれはどちらかというともともとの性格だよな?
おっとりのんびりおおらか、を言い換えれば、大雑把、になるんじゃないかなぁ。
そんなことを考えつつ、冷蔵庫にみっしりと詰まったタッパーの中からお菓子を一つ摘まんでから冷蔵庫を閉じる。

そう、カナダは意外に大雑把だ。
おっとりのんびり、ぽわぽわしてるからなんだかいつの間にかこっちまでぽわぽわしちゃって誤魔化されるんだけれど、うん‥‥結構、いろんな意味で、大雑把だと思う。
例えば「明日は一日まるっと掃除するんだぞ!」なんて言ってたくせに2、3日後に訪ねてみてもまるで変わった様子がなくって、‥‥あ、これがさっきも言ったクマ吉のまつげ事件なんだけどさ。事件だよ、いっそ。どうやったら一日中まつげなんて眺めてられるんだい?!とんだミステリーだ!‥‥で、結局掃除は?って訊いたら、「また今度でいいや」とか、あっさり投げてしまうし。だからわりと彼の家は、汚いわけじゃないけど妙に雑然としてたりするわけだけど。

「って、あれ?」

‥‥。雑然としてるはずの邸内が、やけに整然と、端然と、ぴかぴかなのに今更のように気がついた(俺も結構に大雑把だね!さすが兄弟だよ!)。
これは、彼の仕業か。

「‥‥料理以外は、完璧なんだよなぁ」

男の家にはあんまりにも可愛らしすぎる、なのにしっくり馴染んでいる精緻な薔薇の刺繍入りのテーブルクロスを撫でながら、俺はため息をつく。
イギリスの世話好きは今に始まったことじゃないし、料理以外の家事は得意なひとだ。実際俺も未だに気がつけば家の中が綺麗になってたりする。
(一度問い質したら「おおお俺じゃないぞ!い、家付きの妖精がやったんだろ!?」なんて言われた。‥‥ああうん、あの人は確かに妖精だよ、そのうちトラップ仕掛けて捕まえて、英国政府か日本に高値で売り払ってやりたい!)
まして、カナダはイギリスにとっては未だ連邦という身内なわけで、だからこうしてこの家に出入りして、掃除だ洗濯だガーデニングだと精を出していたとしても、不思議じゃない。ないけれど。

俺はくるりと辺りを見回す。
心尽くしの料理が詰まった冷蔵庫、ぴかぴかに磨き上げられた室内。

「‥‥‥‥。」

身体を投げるようにしてソファに腰を下ろす。大きな音が、静かな部屋に響いて消えた。腕に抱えていたままのジャケットを傍らに投げて、息をついた。

「静か、だな」

呟いて、実感する。そう、静かだ。今は俺とカナダしかこの家にいない。けれど。

カナダはあれで、意外に社交家だ。いや、これは語弊があるかな?カナダ自身がそれと意気込んでそうしているわけじゃ、あんまりないから。
いっそ、影が薄いわりに友人が多いというべきか。
そうだよ、彼ときたら世界2位の国土、豊かな天然資源をしまいこんだ大地を有し、果ては世界の主要先進8カ国の一角をしめているというのに、バカバカしいくらいに影が薄い!‥‥うちの上司なんて、重要な演説のとき一番支援してくれた彼の名前を挙げ忘れる、だなんて冗談みたいなミスをやらかしたくらいに、薄い。薄味すぎてスープってより単なるお湯じゃないのかい?って言いたくなるくらいに、薄い。
けれど、彼を好いている国は、本当に多いんだよな。
イギリスの家が毎年やってる好感度調査では常にトップクラスをひた走ってるし、安住の地を求めて渡ってくる移民は引きもきらない。俺もこの家で中国や、‥‥ええと、誰だっけ韓国、香港?と、鉢合わせたこともあるしさ。カナダが慣習の違いに戸惑いながらも、楽しそうに中華料理を頬張ってたのを、覚えてる。おっとりのんびり、彼らにフランス訛りの英語を教えていたのを、知ってる。
この前山盛りのピロシキが夕食だった日には、ロシアさんが作ったの送ってくれたんだ、甘いのがあるだなんて僕知らなかったよ美味しいよね、なんてぽやぽやおっとり言っていたっけ。

みんなが、彼を好きなんだ。
みんなが、彼を気に入ってる。

料理を冷蔵庫に詰め込んだり、部屋をぴかぴかに掃除してみたり、新しい料理を作ってあげたり英語を習ったり、美味しいプレゼントを贈ってきたりする。




恋人の家の中に、俺以外の、誰かの痕跡。
それが許せないほどに、子どもではないけれど。




「‥‥何が、できるかな」

呟いて、考える。
そうだ、さて、自分がカナダにしてあげられることは、一体何だ?
困ったことに、俺が出来ることは大概カナダも出来てしまうんだ。精々がこなすスピードの問題で、だから、「わぁ、すごいアメリカ!」なんて言葉、ついぞ耳にした覚えがない。

「『わぁ、すごいフランスさん!』とか『すごいです、イギリスさん』とかなら、何度もあるんだけどな‥‥」

‥‥。しまった、自分で言って滅入ってしまったぞ。
料理‥‥腕前なんて似たり寄ったりだ。そもそもさっき見たとおり、冷蔵庫の中には彼を甘やかすのが大好きな美食大国作成のお菓子だの惣菜だのが、入り込む余地もないくらいにぎっしり詰まってるし。中華料理、韓国料理、ロシア料理。どれも敵うわけないじゃないか、文字通りの本場なんだから!
掃除?いや、無理無理、無理だから。ああ、勿論俺だって掃除くらい出来るぞ?芝刈りとか、電動クリーナーでカーペットをクリーニングとかさ。
でもなぁ‥‥俺も大概おおざっぱだし(だから兄弟から仕方がないんだってば!)、それに俺が片付けてあげよう、なんて思う頃には時間も距離も無視してやってくる自称妖精さんだったりブリタニアナントカだったりする彼が、完璧なまでにピカピカにして帰っちゃうしさ。
仕事を手伝う、とか。あの姿を見たら手伝いたくなるのは心情なんだけど‥‥うん、やってできないことはないのだ。隣国だし。伊達に長い間一緒に過ごしているわけじゃない。ないのだが、それ自体が問題だ。それじゃなくても経済的植民地だのブランチプラント化だのと危惧する声が消えない以上、「俺」がそれを越えてしまうわけにはいかない。




ねぇカナダ。何ができるかな。俺は君に、何をしてあげられる?




「あれ、アメリカ居たんだ?コーヒー飲むかい?」




ぽわぽわとした声に、俺の思った以上に思索の海に沈んでいた思考回路が、急速浮上する。ピカピカにかたづいた室内、妙に可愛らしいテーブルクロスやカーテンに無理なく溶け込んでキッチンへと向かう後姿は、紛れもなく俺の兄弟のものだ。仕事も終わったのか、先ほどまでのぶっきらぼうな刺々しさはすっかりと身を潜めて普段のぽやぽやした話し口調だ。

「カナダ」
「うん?なに。あ、コーヒーにメイプルシロップいれるかい?」
「あ、うん」

おっとりのんびりした動作でコーヒーメーカーにフィルターや豆をセットしていく姿を、ソファに掛けたままぼんやりと眺めた。‥‥しまった、コーヒーくらい、淹れてあげればよかった。

「はい、アメリカ」
「ありがとう」

ゆっくりと差し出される俺専用のマグカップを受け取れば、ほんのりと笑ったカナダがまるで体重なんて感じさせない動きで俺の隣りにぽすん、と腰をおろした。片側が緩やかに沈む感覚が、彼が俺の傍に居るんだって教えてくれる。
ぼんやりとした彼の手元には、俺と色違いのマグカップだ。
少し苦い煙草の匂い、けれどそれにも負けない、彼本来の甘い匂い。

「忙しいのかい?」
「ああ、うん、ちょっとね。でもそれも、一応は区切りがついたから‥‥」
「ふぅん」

香ばしい琥珀色に混ざって薫る、染み込むように甘いメイプルシロップの匂いと味を確かめながら、ゆっくりとコーヒーを傾ける。
煙に焼かれたせいか少し掠れた声は頼りないくらいにぽわわんとしていて、それどころかマグカップを包む指先さえ、危なっかしい。‥‥君ね、熱いコーヒーが入ったカップを手に持ったまま舟をこぐとか、どれだけ器用なんだい。
俺はそっと彼の指先からカップを取り上げて、ソファのサイドテーブルにコトリと置いた。まだ一口ぶんも減っていないコーヒーは妙に所在無げに、とぷんとその表面を揺らす。

テーブルからは甘い、メイプルシロップの匂い。
そして俺の肩口に、甘い、君の匂い。

「‥‥眠いのかい?」
「んー‥‥」

小さな子どもがむずがっているような、いとけない唸り声と、肩に頬にもしょもしょと押しつけられるメイプルシュガーカラーの髪が、くすぐったい。

ねぇカナダ、俺は君に何をしてあげられる?

本当は、訊いてみればいい。
俺には何が出来る?フランスみたいに料理は出来ないし、イギリスみたいに掃除もできない。なぁ、俺に何ができるの、って。
眠そうな、カナダ。今なら、‥‥今なら、訊けるかな。

だから俺は、出来る限りの優しい声で、出来る限りの優しい思いで、言った。

「なぁ、君、カナダ。何かして欲しいことはあるかい?俺が、君に出来ることは、何だろうか」

返事は、なかった。
柔らかそうな唇から零れるのは規則的な息。カナダは殆ど寝ている。
あの根の詰め具合だ、のんびり屋の彼には相当な頑張りだったのだろう。すっかり疲れ果ててしまっていて、だから、返答がないのも当たり前というか、答えろっていうほうが無理なんだ、わかってる。‥‥ため息のようなものが落ちるのは、仕方がないって、それくらいは許されるかな。
ひとつ、深呼吸する。甘い彼の匂いが鼻腔をくすぐって、それだけでほんの少し幸せになれる自分は随分と安上がりだ。

気分が落ち着く彼の家の匂い、‥‥愛しさがこみ上げる、カナダの匂い。

もうひとつ息を吸って吐いて、気分を切り替えた。何はともあれ、彼をこのまま眠らせるのは忍びない。ケットも何も掛けてないから寒いだろうし結局温かいコーヒーだって飲まないままだ。疲れてるんだ、こんなソファや人の肩じゃなくて、柔らかなベッドで寝たほうがいいに決まってる。この家の中の片付き具合を見るに、寝室のメイクも完璧だろうし。
だからそう言おうと、ベッドに行きなよって、言うつもりで、彼の頭に口を寄せたところで。









「‥‥そばに、居て。アメリカの、そばに居たい」









いつも考えていたんだ。いつだって考えているんだ。
何が出来るかな。
ねぇ、君。料理も掃除も敵わない。俺は君に、何をしてあげられる?









「‥‥うん。うん、傍に居るぞ。ずっと」

出来る限りの優しい声で、出来る限りの優しい想いで、俺は身体を寄せてくる恋人に、告げた。
へふぅ、なんて妙に気の抜ける寝息なんだか寝言なんだか判別のつかない声を最後に、彼は本格的に寝入ってしまった。俺はそろそろと、普段のカナダのおっとり具合の百倍くらいにおっとりとした、スローモーションで、彼の頭と身体を支えながら、俺の膝へと彼の頭を落ち着けた。起きる気配はない。
すぴょすぴょと、おっとりとのんびりで、とびきり愛しい可愛い寝息が、俺の膝上でぽわぽわと跳ねている。

ああ、俺は料理も掃除も、なにもかも誰にも敵わないかもしれないけれど。

「傍にいるよ、カナダ」

ねぇ、それだけは。それだけは、俺だけができること。
傍にいるよ。ずっと、ずっとだよ。約束だ。









そのまま寝入ってしまったカナダの小さなくしゃみに、俺は彼に膝を貸したままどうにかして床に投げ落としてしまったフライトジャケットを取ろうと、こっそりひっそり奮闘することになったのだけれど。

料理や掃除をこなすより、よっぽど苦労したっていうのは、言い過ぎかな?









 恋するフィロソフィア





the end.(2009.09.17)

philosopher:哲学者 哲人 賢者 悟りを開いた人 困難な時でも冷静なひと
5万リクのときに書くはずだった米加です。わりと尽くし系メリカ
ひっそり英日だったりもする