「例えば、会議の時に締めるネクタイとかだよ」

最近購入したばかりで気に入りの、スリーシーターのソファを占領しているふくれっつらの兄弟の言葉に、カナダはため息を飲み込んで、代わりに薄めに入れたコーヒーを飲む。
普段どおりにメイプルシロップを入れて飲むときは少し濃いめに入れたほうが甘みと香ばしさが拮抗していいのだけれど、さっきキッチンの棚を覗いたら好物の甘味が詰まった瓶がなんと3つしか入っていなかったので、今日は何も入っていないコーヒーなのだ。
それに、カナダ基準では薄めのコーヒーは、彼の兄弟の標準だ。
けれどその兄弟の前に置いた彼専用の星条旗があしらわれたマグの中身はすっかりと存在を忘れ去られていた。せっかく淹れたのに、と思わなくもなかったが、カナダはやはり言葉をその薄めのコーヒーと一緒に飲み干したものだ。

「彼の基準で言うと、そうだな、端的に言うとあまり派手でないのがいい。ストライプかドット、スーツの色と調和していて、もちろんタイピンとチーフも疎かにはできないさ、派手すぎずかといって地味すぎず、会議の格にあわせた装い‥‥だってさ。」
「ふぅん」

薄めのコーヒーは結構いい出来だった。兄弟に供したのとは別の、華やかな模様をあしらったマグを落とさないようにしっかりと両手で持つ。‥‥これはカナダの癖のようなもので、これを見るたびに「小さい頃を思い出すね」なんて、恋人は笑う。
そもそも、その恋人が『父親』であった頃に「カップを落としたら駄目だよ?」と諭されたからだ、というのは果して気がついているのかいないのか。長く生きている人だから、覚えていないのかもしれない。カナダにとっては、世界で一番最初に教わったこと、みたいな認識なのだけれど。

「あとは、そうだね靴だとか、シャツだとかもだね。服装全般さ、それも毎日ぶん!」
「そのへんはスーツ発祥の地だから仕方がないんじゃないの?どうしても知ってるものっていうのは、判定が厳しくなるものだよ」

ソファの上で大げさに肩をすくめて首を振る、文字どおりのアメリカンな仕草をしてのけた兄弟に、カナダはやや控えめに、けれど彼と同じ仕草を返す。
今では国民性も国家のあり方も何もかも違う自分たちではあるが、確かに兄弟であったし、兄弟であるのだ。

「他にもあるぞ!そう、イントネーションだとか、そんなの同じ英語なんだから殆ど変わらないだろうに逐一言ってきてさ!あとは、ええと、DIYよりガーデニングのほうがいいだとかコーラ飲み過ぎるなとかケーキは光らないとか、この前は整髪料の匂いについてまで言われた!」
「そりゃ、まぁ‥‥。近づいたら、そこは気になるところだから‥‥」
「‥‥ッ、でも次に俺のアパートに来たとき、『これ使えよ』って見たこともない英国産の整髪料を渡されたんだぞ?!しかも半年分くらいあった!」
「へー‥‥」

華やかな模様入りのマグを傾けながら、そういえばこのマグと一緒に贈られたワインの香りがするバスソルトがそろそろ切れそうだったっけ、とおっとり考える。まあ、あの恋人のことだから何も言わなくても次に来たとき、自分が知らないうちにソルトポットの中がいっぱいになってそうだけれど。‥‥僕があれを気に入っていつも使ってるというのは知られているだろう。抱き締められたときに「おにーさんの匂いがする」とか言って笑ってたことがあったから。
きっと、こんなことをばらしたら目の前の兄弟はふくれっつらをしかめっ面にシフトチェンジするだろうけど。

カナダは薄めのコーヒーを飲みきったマグを、机の上にコトリと置く。華やかな白百合の柄の、使い慣れたマグ。馬鹿馬鹿しいほどにその花はあの恋人に似合っているから、自分の手元にあることが当たり前だから、最早ありきたりの感想すら出てこない。
代わりに出たのは、目の前でふくれっつらをした兄弟への、言葉。

「‥‥で?キミはその、イギリスさん好みの服だとかイントネーションだとか整髪料とかコロンとか薔薇の品種とか色のついてないケーキだとかが、嫌なのかい?」
「‥‥‥‥そうじゃ、ないけどさ」

口ごもる兄弟は、普段どおりの格好だ。シャツにフライトジャケット、ポケットのたくさんついたパンツに足元はがっちりとしたアーミーブーツ。そこにはネクタイもスーツも革靴もないし、言葉だって普段どおりのアメリカ英語。普段どおりの、兄弟の姿。其れが自分だと思っている、彼の姿。

けれど、少しだけ揺れているのはきっと、彼が恋をしているからだ。カナダと同じように。
恋人に、少しでも好かれたいと、恋人の好みでいたいと。
けれど、恋人の好みに合わせて自分を変えるのが、納得いかない。そういうことだ。

カナダはため息をつく。
ため息をつきながら、揺れる兄弟へと言葉をかける。

「僕は、フランスさんが選んで僕にくれる服やマグカップやバスソルトも、好きだけどな」
「主体性は、どこにあるんだい」
「フランスさんが僕の為に選んでくれたものが好き、っていうのが僕の主体性さ。全ては僕の判断だよ」
「‥‥不満には思わないのかい」
「思わない。それで彼が安心するなら、僕はそれでいい。」

いつだって遥か昔のお別れを引き摺る恋人を、彼の選んだものを身にまとい身の回りに置くことで安心させて上げられるなら、それでいい。マシューは思う。自分は彼を安心させたいし、‥‥彼を、幸せにしたいのだ。笑って欲しいだけだ。
いつか信じてくれたら、いいだけ。
その日まで、その日からも、一緒に居たいだけ。

「っていうのはまぁ、僕の見解だけれどね。だからキミがちがう意見を持っていたとしても、僕はそれを否定しやしないさ」
「‥‥‥‥‥‥。」

いよいよ黙り込んでしまった兄弟に、カナダは苦笑する。
‥‥そうとも、彼は確かに同時期に生まれ、よく似た面差しで、現在は兄弟の恋人でもある人のもとで共に育ったのだけれど、別個の存在であることは確かなのだ。

自分と、兄弟は違う。
カナダと、アメリカは違う。

「‥‥イギリス、は。」
「うん」
「‥‥‥‥キミみたいに、自分の好みを、取り入れてくれるほうが好きなんだろうか」

自分と、兄弟は違う。
『フランスの恋人のカナダ』と、『イギリスの恋人のアメリカ』は違う。




‥‥まったくこの兄弟は、自分がどれほど嘗ての母親で現在の恋人であるあの人に、特別扱いを受けているのか全く解っちゃいない!




カナダはすっくと立ち上がると、未だソファに沈み込む兄弟を真正面から見下ろした。こうしてみると面差しは確かに似ているとは思うけれど、まったく違う顔をしていると、自分では思う。
そう、カナダとアメリカは違う。そんなことこの兄弟にだってわかっているだろうに、それでも揺らぐのは彼が恋をしているから。
ひとつ、深くため息をついたカナダは、それこそ先の兄弟の如くアメリカンな大仰な仕草で肩をすくめて、宣言した。

「僕の意見をいうなら、キミはそのままのキミで今すぐイギリスさんちに行って、いつもどおりにあのちょっとアレな味のスコーンを完食して、スコーンはいつもどおりにどうしようもない味だけれどキミのことが好きな俺もかなりどうしようもないと思うんだっていえばいいだけだと思うよ!」




キミの想い人が好きなのは、アメリカ。
ねぇ兄弟、キミが彼のことを長い、長い間好きだったのと同じくらい、彼も君のことを長い、長い間好きだったんだよ、わかっているかい?
キミが『アメリカ』であることが彼の好みの最たるものだって、解ってる?




勢い良く立ち上がった兄弟と、カナダは視線を合わせて笑いあう。ちょうど同じくらいの高さだ。自分のほうがかなりスリムだとは思うし、良く似た面差しだといつも言われる顔は自分達としてはかなり違うと、言いたいところだけれども。

けれど、恋をしている瞳は、きっと自分達二人、同じ。

「‥‥うん、それじゃ、アレな味のスコーンを食べに行ってくるよ」
「餞別はメイプルシロップが3瓶でいいかい?」
「勿論さ兄弟、アレなスコーンにたっぷりかけなくちゃいけないから、たくさんくれると嬉しいぞ!」









そうして快活ないつもどおりの足取りで自宅を後にした兄弟の後姿を見送って、カナダは星条旗のマグを片付けてから自分の白百合のマグにコーヒーのおかわりを注いだ。
そろそろ揃いのマグを出して用意しておかなくてはいけない時間だろう、カナダ気に入りのバスソルトを持った恋人はきっと、猛スピードで掛けていったアメリカと、サトウカエデの並木道ですれ違った頃だろうから。









 恋愛オブジェクション





the end.(2010.07.26)

米英+仏加
恋人に対しては自信満々な態度をとって見せる19歳が兄弟に対してだけ
可愛い不安定な恋心を明かしていたらそれは可愛いと思うわけです
自分のスタイルなんて、自由自在なんだよ。