「プロイセンさん!」
軽やかに弾む呼び声に、プロイセンは赤の際立つ瞳で手摺り越しの階下を見下ろした。
二階分の吹き抜けに作られている玄関先、壁に沿うように設けられた階段と二階のぐるりをコの字に巡る開放廊下からは、軽く視線を向けるだけで訪問者が何者かであるかが容易に判るようになっている。
‥‥まぁコイツの場合、視認なんて必要ねーんだけどよ。
おっとりふんわり、そんな形容がしっくり馴染む口調。音楽めいた余韻をした甘い響きは、あるいは愛と芸術の国を気取る最初の育て親の影響なのだろうか。
そんな声で自分の名を呼ぶ知り合いは、今のところたった一人しかいない。
「よう、カナダ」
軽く口の端を引き上げて笑うプロイセンに、ホールから此方を見上げていたカナダがメイプルシュガーの色をした髪をふんわりと揺らして笑った。その笑顔すらふんわりほわりと甘い無邪気なもので、いくら年下だとはいえ些か無防備に過ぎる笑顔に、さすがのプロイセンも苦笑したものだ。
くつくつと笑う屋敷の住人に、未だ玄関先に佇んだままの訪問者はといえば、青灰色の目を不思議そうに瞬かせたあと、腕の中に抱いているもふもふとした家族に視線を遣って、何事かを呟いていた。それに合わせてぬいぐるみめいた白い毛玉がもそりと頭を仰のかせる。続いて響いた「カナダだよ!」の甘い声に、またいつもの遣り取りをしていたのかと、やはり苦笑しながら思ったものだ。
「いいぜ、上がって来いよ」
言葉を投げながら、プロイセンは指先だけをひらりと振って、訪問客を手招いた。
その声と仕草に、尚も腕の中に抱えたシロクマと何事か言葉を交わしていたカナダが、パッと顔をあげる。その面にあるのはやはりふんわりと無邪気な笑顔で、ここまでくると見ているほうにまでそのふんわり感が移ってしまいそうだとさえ思った。
キキュ、とラバーソールのスニーカーが絨毯の途切れた石の床部分に一度だけ鳴く。みれば今日の彼はスーツでも況して軍仕様のジャケットでもなく、フードつきのパーカーにジーンズという、どこにでもいそうな若者の格好をしていた。プロイセンもまた今日は出かける用も仕事もなく、シャツにコットンパンツという寛いだ格好である。
「こんにちは、プロイセンさん」
「あーはいはい、こんにちは」
階段をおっとりと上がってきての(実にスローペースだった)、どこか育ちのよさを滲ませた律儀な挨拶に、手摺りに肘をついて彼を待っていたプロイセンも笑いをかみ殺して挨拶の言葉を返した。続けて肩を軽く抱き、唇を彼の両頬へと掠らせる。
親しい相手に限られる挨拶の其れに、ほにゃりとカナダが笑って腕の中のシロクマをきゅっと抱き締めたのになんとなく気分がよくなり、プロイセンは最後に額にもキスを贈ってから、さほど身長差もない相手の頭をわしわしと撫でたものだ。
「えへへぇ。‥‥はい、クマ吉さんも挨拶してくださーい」
「ン、誰?」
「カナダだよ!」
「そんで俺様はプロイセンだ。覚えとけー」
お定まりの遣り取りに自己紹介を滑り込ませて、プロイセンはカナダの腕の中のもふもふとした相手に手を伸ばした。白い身体に触れるか触れないかの距離で手を一旦止めてその真っ黒な目を窺ったが、此方を見上げてくる目に特別嫌がる様子もなさそうなので、そのままもふもふしい頭を飼い主にしたのと同様に撫でてやる。
わしわし、もふもふもふ。実に良い触り心地だ。
「なんだ、今日は仕事じゃねーんだな?」
「はい」
その感触を楽しみながらの問いかけに頷くカナダへそっか、と軽い口調で返しつつ、プロイセンは辺りへと視線を走らせた。
ここはプロイセンの自宅なので、今眼前に佇むカナダとその家族を除けば当然他人がいるはずもなく、静かなものだ。
だがしかし、他人ではない住人は、いるはずなのだが。
「‥‥ん?ヴェストのヤツ、なにやってんだ」
あ、居たんですねと、ほんのり安堵を滲ませた甘い声を横に聴きつつ、プロイセンは手摺りから身を乗り出して階下を窺う。
階下にあるのは先に言ったとおりの玄関ホールと、そこから1階の各部屋へと続く廊下やドアだ。プロイセンの記憶では、複数あるドアのうち台所へと続くドアの向こうに、この家の現在の家主の姿があった筈なのだが。
(っつーか、真っ先に出迎えるべきだろうがよ、まったく‥‥)
声に出さない言葉は、姿を見せない弟へ。
別に、訪問客は家主が出迎えるべきだ、などとどこかのマナーブックに載っていそうなことを考えてのことではない。
だがしかし、彼は、カナダは。弟が、出迎えるべき相手だろう。
プロイセンはチラリと傍に佇む知り合いを見遣る。
腕にもふもふとした家族を抱えその白い毛を撫でている指先は、どことなくそわそわと落ち着かない。それは決して、今プロイセンと一緒にいることが原因ではない。‥‥のだと思う。うん、多分。
己の思考に、なんとも微妙な付け足しをしたプロイセンは、静まりかえったままの階下へと視線を向けながら、カナダに大人しく抱き締められているシロクマの頭を、再度わしわしと撫でたものだった。
そもそも、カナダとプロイセンの付き合い‥‥というか、初対面はずっと以前である。おそらくカナダのほうは覚えていないのだろう、ずっと昔。
「可愛いだろう」
そう言った悪友の声は、普段から音楽めいた響きをした其れに、更に甘さや愛しさをぶちこんだ、どうしようもないほどに蕩けた声だったと、思い返すたびにため息をつきそうになる。‥‥400年ほど前のことだろうか。
あの頃はまだ自分たちも若くて(そう、今のカナダの外見よりずっとだ!)、けれど当時の習いとして戦いに明け暮れていたころだ。
剣で戦い、策略で落とし。戦争、殖民、政略婚、今思えば元気過ぎだろうと喉元過ぎて暢気過ぎる感想すらこぼれそうな時代。
そんな中、悪友が新たに弟として宣言したとか言う子どもを、見せられたのだ。
とても、小さい子どもだった。
当時はプロイセンも若く、幼かった。けれどその小さな小さなこどもは、もっと小さかった。
ふわふわとしたメイプルシュガー色の髪。
ふっくらした頬は薔薇色で、閉じられた瞼に沿ってハニーゴールドの睫がびっしりと縁取っている。
フランスのお手製なのだろう(アイツはそういうところが妙に手が込んでいる)リボンつきの白いふわふわのドレスを着て、フランスの腕の中にもこもこの白い毛玉を抱えて丸まっていた。
小さくておっとりしている、というのがプロイセンの当時の感想だ。
そもそも欧州に生まれていれば、どれほど身体がちびっこかろうと誰も彼もかなり自己主張が激しくなければやっていけない。自分もそうだった。小さく弱ければ、それこそあの可愛いイタリアのように食われてしまうのに。
「‥‥ちびっけぇな」
そこが可愛いんだってば!浮かれきった声でそう力説する悪友は結構にウザイ上気持ち悪かったのだが、その腕の中すよすよと眠っている子どもにとって兄とも父親とも言えるフランスの腕は、居心地が良いものだったのだろう。
小さく無垢で無邪気に、小さな手には小さな白い毛玉を抱えて、眠っていた子どもの瞼が、ふるりと震えて。
「‥‥だぁれ?」
新大陸の湖の色だと、思った瞳。
「‥‥‥‥プロイセンだ、覚えとけ」
小さな頭を優しく撫でた記憶。
一緒に見上げてくる白いもこもこの毛玉も、指先でつつくように撫でて。
おっとりと無邪気な笑い声に、甘い声だなと当時も思ったのだった。
「プロイセンさん」
甘い響きのある声に、階下に落としていた視線を声の持ち主へと向ける。
そわそわと落ち着かない、今はどこか不安さえ宿した湖水色の瞳に、プロイセンはその腕の中に抱かれたシロクマを撫でていた手を一度引くと、ガシガシと己の銀髪を掻き混ぜた。
その仕草にカナダの視線がちろりと銀髪の上をさまよったのだがそれには気がつかず、プロイセンはため息ともなんともつかない声を零す。
「あー、っと、‥‥悪ィな。ヴェストのヤツ本当何やってんだか」
「え?ああ、いえ、それは‥‥急に来た、僕が悪いんだし」
「それはねーよ」
困惑した、聴き様によっては寂しげにさえ聴こえるカナダの言葉を、プロイセンはきっぱりと否定した。そうとも、それはない。それだけは、ないのだ。
彼が、カナダが約束の有無に関わらずこの屋敷を訪れることを、厭う住人は自分も含めここには居ない。
‥‥だって、何故なら。
「‥‥ま、代わりに俺様が相手してやっからよ。ってか、探しに行こうぜ、家には居るんだから」
「はぁ」
「おう。ほら、お前もな」
「ン、誰?」
「だからプロイセンだっつの」
スタスタとカナダの横をすり抜け様、白い毛玉と飼い主の頭を軽く掻き混ぜてプロイセンは階段を降りていく。目線だけでついてくるように言えば、掻き混ぜられたシュガーカラーの髪をぼんやりと触っていたカナダが、はっと気がついたように追いかけてきた。とたとたとた、相変わらずのおっとりのんびりした足取りではあったが、とりあえず追いついてくる足音にプロイセンは階下へと視線を戻すと、慣れた自宅の階段を軽い足取りで降りていく。
「あの、プロイセンさん」
「どうせ台所でなにか作ってんだろ。あいつ菓子作んの意外と好きだし」
「え?そうなんですか?」
「おう、お前も絶対食ったことあるぜ。クランツとか、クーヘン‥‥あー、ケーキ?食ったことあんだろ。どうせオーストリアが作ったとかなんとか言って食わせてるんだろうけど」
「えええ?」
「あれだろ、恋人への手料理に、ムッキムキのデッケェ自分がちっせぇ甘ーい手作り菓子っつーのは恥ずかしいとか思ってんじゃねーの?はは、可愛いよな」
「‥‥ッ、」
トトン、と僅かに乱れた背後の足音に、プロイセンはニヨリと笑って階段下から弟の恋人を振り仰ぎ見た。
記憶よりもすっきりとした白い頬は、けれど今は記憶どおりの薔薇色に頬どころか耳の縁まで染めて、羞恥にか潤んだ湖水色の瞳は少し色を変えて、アメジストのよう。
カナダの腕の中の白い家族はすっかりと大きくもっふもふに、けれど大人しく抱き締められているのだけは変わらないな、と思う。
「‥‥ううう、プロイセンさぁん‥‥」
「あー?なに、どうしたよ?」
階段を降りきってからおっとりとした足音が隣に来るまで待ち、白い家族を相変わらずぎゅうぎゅうと抱き締めているカナダの頭を撫で、そして腕の中のシロクマも撫でる。
ふわふわとした触り心地は、さて昔と変わっているのだろうか?
階下に降りてはみたものの、相変わらず弟であり家主の姿は見当たらない。‥‥本当に何をしているのだと、さすがに呆れてきたプロイセンは、もふもふと白い毛玉を撫でながら、不意にニヨリ、と笑って。
「そんじゃ、まぁ呼び出してみっか!」
「プロ‥‥うひゃ?!」
「ヴェーストー!早くこねーとカナダにちゅーすんぞー!」
「それは駄目だあッ!!!」
廊下を走る音、ドアの開く音、そして抱き寄せていた弟の恋人が、腕の中から消え去る音。
一体何の手品かという速さで展開した光景に、プロイセンは青ざめつつも赤くなった弟の険しい顔と、そのムキムキの、ついでに片手にはオーブン用のミトンをつけたままの腕の中でまったく事態についていけずにぼんやりとしている弟の恋人を見やって、爆笑した。
「あははははは、はぁっは、げほッ!っは、ひゃっははは!!!」
「ええい、笑いすぎだ兄さん!!」
「ふひゃ、ひいぃ、腹いてー‥‥!!」
「兄さん!」
「あ、クーヘンだ」
ぽつりと呟かれたカナダの言葉がさらにおかしみを誘う。
なるほど右手にはオーブン用のミトン、そしてつけていない左手には、ステンレス性のバットに、甘い焼き菓子がのっている。‥‥それで腕の中には恋人を抱きかかえているのだから、我が弟ながら器用と言うかなんというか。
「なに、やっぱ菓子作ってたのかよ。ていうか先に出迎えに来いっつの。カナダ待ってただろー」
「い、いやしかし、恋人をもてなすときにはきちんとした菓子や茶を用意すべきだとものの本に書いて‥‥あ、いや」
「ドイツさん、これおいしそうですね。貰っていいんですか?」
弟を詰る声と、兄へと言い訳する声と、恋人へと菓子をねだる声と。
なんとも言いがたい言葉が同時多発的に玄関ホールに響いていたのだが、やはりそこは恋人の声に反応したドイツを褒めるべきかもしれない。
「あ、ああ!いいとも、というか、‥‥その、君のところにこれから行こうかと、思って作っていたのであって、」
「僕の為にですか?」
「‥‥あ、ああ。いや‥‥そうだ」
嬉しいです、と呟くおっとり甘い声を、プロイセンはその場にうずくまって笑いながら聞く。‥‥可愛い声だ。音楽めいた響き、おっとりほんわりと、甘い甘い、恋人のためだけの声。
悪友の腕の中、無邪気に眠っていた小さな小さな、あの子どもが。
長い長い時間を経て、まさか自分の弟の恋人になるだなんて!
「‥‥そーりゃフランスも荒れまくるっつー話だよなぁ」
プロイセンはぽそりと呟いてから、そろそろと行動を開始する。
若い恋人達のほうへは視線は遣らず、ただ、放り出されたのか自主避難か、床に座り込んで眠そうに目をこすっているシロクマの傍へとそっと足を運んだ。
そのもふもふな白い姿とつぶらな瞳からはいまいち感情が読めないが、飼い主の腕が自分ではない相手に取られたことは、別段気にしてはいないようだ。
もふもふの白い前肢が自身の毛並みを整えるようにちょいちょいと動き、くぁ、とあくびをしている姿はそういえばウチでも有名になったシロクマにちょっと似ている気がして、妙に和む。
そういえば弟はあのシロクマが大好きだったのだが(俺の部屋にある幸福を呼ぶパンダに呆れる弟の部屋に例のシロクマのぬいぐるみがあることを俺は知ってるぜ!)、プロイセン自身もふわふわもふもふが嫌いではない。
‥‥そう、一応、このシロクマとも、小さい頃に面識があるのだし。
プロイセンは眠そうに頭を揺らしているシロクマの耳の後ろを軽くくすぐる。
人の手に気がついたように頭を上げたシロクマに、小さな小さな声で話しかけた。
「おう、たぶん台所にまだクーヘンあると思うからよ、それ食いに行こうぜ」
「ン、誰?」
「だぁからプロイセン様だっつの!覚えろよ、もー‥‥」
ブツブツと言いつつ台所へと静かに足先を向ければ、もふもふの白い姿は何も言わずについてきた。パタパタパタ、と軽やかな羽ばたき音にふと其方を見遣れば、白い毛の上にもふっとタンポポ色の小鳥がちょこりと乗っている。‥‥ん?俺の頭の上に居たのか?
そろそろと気配を消して、先ほど弟が大音響を立てて開け放ったままの扉へと向かう。もそもそと後ろについてくるシロクマの気配を感じつつ、プロイセンはこっそりと一度だけ、振り返った。
甘い菓子を食べる前からご馳走様といいたくなる恋人達の甘い甘い光景に。
プロイセンはやれやれと肩をすくめて、可愛い動物達を引き連れて甘い匂いのする台所へと向かった。
限定系カノープス
the end.(2009.06.28)
カノープス:りゅうこつ座α星 有名な船乗り 水先案内人
プーちゃんはヴェストのところと甘いお菓子のところにしか案内してくれません(・∀・)
独加祭り‥‥?ポテトサンドだよ、ポテトサンド!
サンドしてるかどうかわかんないけど、サンドだよ!
結局クマ二郎さんは放り出されたのか自力脱出か、どっちだ(笑)
プーちゃんにはにょカナちゃんのおっぱいと同じくらい夢が詰まっていると思います(´∀`)