欲しいものがあった。
彼を見ていた。彼を見つめていた。‥‥欲しいものが、あった。









「僕ね、欲しいものがたくさんあったんです」

彼はとても、静かな声の持ち主だった。
山深い森の湖水よりも透き通って、風のない夜の木の葉よりも密やかな、声。

「欲しいものがたくさん、あった」
「‥‥例えば?」

促しに、緩く伏せられていた瞳が少しだけあげられる。
透明な、視線。それは己の言葉が何者にも届くと考えていなかったような、酷く、酷く静かなもので、だから自分も、酷く、酷く静かに言葉を、紡ぐ。

「例えば、なにが欲しかった」

紡ぐ静かな言葉は、反響し腕の中を水のように満たして、彼に、届く。
手のひらで絡めるように包み込んだ頭、猫の毛のような柔らかく巻いた髪が、指先を掠めてふるりと揺れる。
腕の中から見上げてくる湖水色の瞳が、揺れる。

「初めて抱き上げてくれた父親の腕。彼はとても綺麗で優しくて、勿論下心があることだって知っていたけれどそれでも優しく抱き上げてくれたから、傍に居て欲しかった」
「そうか」
「僕を弟と呼んでくれた兄の手。皮肉屋で傲慢で威張ってばかりのひとだったけれど僕の手を引いてくれたから、傍に居て欲しかった」
「そうか」
「兄が会わせてくれた兄弟の声。自分勝手で気分屋の甘えたがりだけれど僕の名前を呼んでくれたから、傍に居て欲しかった」
「そうか」
「美味しいお菓子が欲しかった。眠るときにはベッドに一緒に居て、子守唄を歌ってくれて、本を読んで。あてのない散歩。花を摘んだら、笑って受け取って、頬と額にキスを」
「そうか」
「傍に居て、抱き上げて、キスをしてもらいたかった、抱き上げて欲しかった、手を繋いで欲しかった、名前を呼んで、抱き締めて、」
「そうか」
「‥‥愛して、欲しかった」

静かな、静かな声。

「でもそれは全部、叶わなかった」

湖水よりも透き通り、木の葉擦れよりも密やかで、静かな、静かな。

「抱き上げてくれた腕は僕を捨てたし、手を引いてくれた手は僕を見てくれなかったし、僕のことを呼んでくれた声は僕を置いて駆け去って、銃を突きつけてきた」
「‥‥ああ」
「僕が欲しいものは、いつだって手に入らない。フランスさんもイギリスさんもアメリカも、みんな僕を置いていった、み、んな、僕を捨てて、あんなに、欲しかったのに‥‥っ」
「カナダ」
「だ、から!」

震える声。静かに、透き通るほど儚い、叶わなかった過去に、立ちすくんで。




「だから僕は、貴方に愛して欲しい、というのが、怖い‥‥っ!」




哀しいほどに静かな涙を零す彼を、力の限り抱き締める。




自分には、彼が欲しかったたくさんのものを、全ては捧げてやれない。
何故と言って、自分は彼を抱き上げた父ではない。彼の手を引いた兄ではない。彼の名を呼んだ兄弟ではない。
時をさかのぼり、幼かった彼を、静かな静かな声で愛して欲しがっていた頃の彼の元に駆け寄り、抱き上げ手を繋ぎ名を呼んでやることは、出来ない。
けれど。‥‥だからこそ。

「俺は君を、抱き締めよう」

腕の中の身体が、大きく震えた。

「君のことを、抱き締める。俺は力が強いから、きっと君は痛いといって嫌がるだろうな。それから、君の指が痺れてしまうくらい手を繋ごう。仕事にならないといって怒るといい。それから、そう、君が煩がるほどに名前を呼ぶ。俺は口下手だからな機知にとんだ話など出来ないから、名前ばかりを、たくさん。静けさが吹っ飛んで眠れないほどに、たくさんだ。そうだ、安眠妨害だといって君は不機嫌になってしまうに違いない」
「‥‥あ、」

震える身体に、言葉を紡ぐ。
透き通る湖面を波立たせ、夜の木の葉は暁の紅で薙ぎ払え。

「愛して欲しい、なんて言わなくていい」
「ド、イツさ、」




「欲しがらなくても。君が欲しいものは、既に君にあげている。‥‥愛してる。これからも君を、愛していく。カナダ」
「‥‥、ぅー‥‥ッ!」









静けさを破って、諦めを蹴散らして。この愛を、刻み付けてやる。









子どものように大声で泣きじゃくる彼を、強く強く抱き締める。
たくさんのものを欲しがって、けれど欲しいと叫べず泣けなかったかつての子どもを抱き締める。
自分は彼の、父親でも兄でも兄弟でもない。なれないし、なるつもりもない。
なれるのは、否、なりたいのは、‥‥欲しいのは、ただ一つ、ただ一人。

「好きなんだ。カナダ。‥‥俺を君の、恋人にして欲しい」

彼はとても静かな、静かな声の持ち主だった。
山深い森の湖水よりも透き通って、風のない夜の木の葉擦れよりも密やかだった声の、今は声を限りに泣く彼が。‥‥そう、泣き止んで、そっと静かに、静かに、頷いてくれたときに。

「ドイツ、さん」

己もまた、静かに、静かに。少しだけ、涙を零すだろう。









(俺もずっと、欲しかったんだ。君に、愛して欲しかったんだ。)









 そして、フィナーレ





the end.(2011.03.17)

そうして彼らは欲しかったものを手に入れて幕を閉じ
それから恋人達はやわらかで甘い物語の幕を開ける