カナダの家を訪ねた時、イギリスは高い確率でため息を落とす。
「また、アイツは‥‥」
するりと抵抗なく開いた玄関に、零れる言葉はため息交じりだ。
カナダは、玄関に鍵を掛けない。無論不在時には施錠するが、基本的に在宅時には鍵を開けたままでいるのだ。
無用心だから施錠しろ、と事あるごとに言っているのだが、カナダはといえばほんわりとした笑顔で大丈夫ですよ、と言うばかり。
施錠しないのにも理由はいろいろあって、例えば例の同居人、もとい同居熊が出かけやすいようにであるとか(まあ、あの白いもふもふした手で鍵を開けてドアノブを廻すのは難しい作業だろう)、隣国の唐突な来訪とチャイム連打にうんざりしたくないからとか(‥‥あのせっかち具合は一体誰に似たんだ。俺か?いやしかし‥‥)。他にもいくつか理由をおっとり口調で延々3時間ほど聴かされたのだが、イギリスは軽くこめかみを押えながら、わかった、と頷いて遮ったものだ。‥‥あれは遮らなければどれだけ続いたのだろうか。
今日も今日とて、イギリスはため息をつく。まあ、郊外も郊外、ようするに田舎に建てられた、丘の中腹に緑へ埋もれるように建つ家にわざわざ好んで遠征する悪人など、たくさんはいないだろう。‥‥ヒゲワインは大西洋上で撃ち落とせばいいし。なにより、玄関を開けたらリビングにシロクマが居るような家で悠々悪事を働ける度胸(?)のある悪党もそうはいまい。どうしても熊とファイトしたいなら別だが。
‥‥でもなぁ、やっぱり鍵は‥‥。
「カナダ?どこだ」
ダイニングのテーブルに土産として持参した紅茶と菓子を置くと、イギリスは改めて辺りを見回し何処へともなく声をかけてみた。
邸内は、静かだ。
しばし、いや、カナダのおっとり加減にあわせて結構な時間返る声がないかと待ったのだが、特に返答らしい物音は聞こえない。
イギリスは玄関先に続いてため息を落とすと、ダイニングを出て邸内を歩きはじめた。
ダイニング、キッチン、広々としたリビング、バスルーム。幾つかの私室、ゲストルーム、プレイルーム、執務室。窓の外には、広々とした緑滴る庭。
カナダの家は、結構に広い。
そのわりに、屋敷、だとか豪邸、だとかそういう表現が何故だか微妙にそぐわないのは、此処が「カナダの家」だからだろう。
おっとりで、のんびりで。
陰が薄いだの空気だのと言われるカナダ。実際問題、公務中はイギリスでさえ「‥‥なんか足りなくないか?でも何が足りねぇんだ?」と本気で思うこともしばしばなのだが、プライベートで接するならば、彼はとても良い雰囲気の持ち主なのだ。このところ韓国や中国がやたらとここに来たがっているという話も頷ける。
おっとりで、のんびりで。
『イギリスさん』
可愛らしい笑顔、呼び声。
なにより、自分にとても懐いてくれている。
「カナダ」
俺が育てた、俺の弟。のんびりでおっとりで、可愛い恋人。
「‥‥‥‥何をやってるんだ、お前は」
一頻り邸内を歩き回って、最後に辿り着いたのが庭へと抜ける広いテラスだ。
午後の光をたっぷりと浴びた石敷きのテラス、その先には緑。鮮やかなグリーンリーフがコケ類や花木と一緒に植えられている。緑に埋もれるように実っているベリー、野苺。イギリスが整えた薔薇垣もある。畑風に整えられている場所はハーブだろうか。
このまま裏の丘へと続いている庭の、ずっと向こうに白いもふもふっとしたものが見える。小さいのから大きいのまで複数が、おっとりトコトコ歩いたり、のんびりコロコロ寝転んだり。
真っ白なもふもふがおっとりのんびり動くさまは、遠目にはなかなかに愛らしい光景である。あくまで、遠目には。
「‥‥いくら悪党でも、あれだけの数のクマと戦いたくねーよなぁ」
開けられたままの鍵を思い、それからあのクマの集団を見て、イギリスはこれまたため息交じりの言葉を落とした。‥‥なるほど、カナダのほんわりとした笑顔の大丈夫ですよ、にも頷けるというものだ。
そのうちの一頭がこちらをちらりと見た気がして、イギリスは若干躊躇いながらも軽く手を振ってみた。それは暫し此方をじっとみたあとでコトと首をかしげ、また戻してから、もふもふとした腕をツイと上げた。
‥‥それは、イギリスへと手を振り返したわけではなく。
「ああうん、わかってるから」
苦笑交じりの声は人間であれば聴こえないだろう距離だが、彼には聴こえたらしい。さすがクマ。『其れ』を指し示していたもふもふしい腕を下ろし、再びおっとりとした動きで草の上に座り込むと、腕に抱えていた袋から(‥‥カナダが買い与えたのだろうか)チップスをとりだし、ぽそぽそと食べ始めた。なかなかに愛らしい光景である。クマだが。
そして、そんな愛らしいクマが指し示した、これまた愛らしい存在へと、イギリスは視線をやり、深々とため息を落とした。
石をタイル上に填め込んだテラスは縁を階段状に切り取って、起伏のある丘の地形に合わせてある。光を吸い込むような白い石は軟質で平らかにされており、陽射しをたっぷりと受けている其れは触れたならきっとぽかぽかと暖かいことだろう。それは、わかる。解るのだが。
「だからって、そのまま寝転がって寝るヤツがあるか、ッたく‥‥」
呟きながら、イギリスはゆっくりと歩を進めた。コツリコツリと、革靴の底が石敷きに相応しい硬い音を奏でる。‥‥けれど、どこかのんびりと、おっとりと聴こえるのは何故だろうか。
「答えはカナダの家だから。‥‥ああもう」
文字どおりの自問自答、最後にやはりため息を落として、イギリスはゆっくりと、テラスに横たわって眠るカナダの傍へと座り込んだ。ふ、と一つ息をついてから、改めてその姿を見遣る。
淡色のコットンパンツにすこしよれたシャツと、カーディガン。手元にガーデニング用の厚い手袋が置いてあるところを見ると草むしりでもするつもりだったのかもしれない。横向きに、すんなりと伸びた四肢を緩くたたんで、背中を少し丸めて。日差しを浴びて瞬くような金髪は、自分ではなくフランス譲りのふわふわとした感触であることを知っている。眼鏡を掛けたままのところを見ると、眠るつもりはなかったのだろう。白い肌。日に焼けたら辛いだろうに。というか、良く晴れて温かいとはいえ、すでに秋も深いこの地で屋外での昼寝はいただけない。
「全く‥‥」
先ほどからイギリスが零す言葉はすべて、ため息交じりの呆れ口調だ。
‥‥けれどそこに、したたるような甘さが含まれているのもまた、本当で。
すよすよと眠るカナダを暫し見つめていたイギリスは、ふと気がついて着ていたジャケットを脱いだ。
きっちりとプレスされたシャツ、ベスト、ネクタイ。ジャケットにスラックス、全て長年馴染みにしている仕立て屋で揃えたものだ。‥‥最近少し太ったことに仕立て職人がニヨ、と笑っていた。くそ、ダイエットするべきか。
そんな埒もない事を考えつつ、脱いだジャケットを眠るカナダの上へとそっと掛ける。温かい日差しの中でもやはり多少は寒かったらしい。肩から上半身を覆うように広げられたイギリスの上着に収まりきらなかった首や頭を入れたいのか、もそもそと身動ぎして顎を埋めようとする。それに合わせて床に散っていた金髪が、ふわふわと動いてきらめいた。
まるで子どものような他愛ない可愛い仕草に、イギリスはうっすらと口元に笑みを刷く。‥‥ああ、そうだな、カナダは自分に較べればずっと若い。コイツは、まだまだ子どもなのだ。
すぐ傍に腰掛けた体勢から、ゆっくりと手をカナダの顔へと伸ばす。そっと指先にブリッジを引っ掛けるようにして眼鏡をはずしてやれば、ううん、と寝言のようなぼんやりとした声がした。
そのまま指を滑らせて、ふわふわとした触り心地の良い髪へと指先を潜らせる。そのまま髪を撫でてやろうとして。
「‥‥‥‥本当にもう、お前は」
すり、とてのひらへ寄せられた頬の滑らかな感触に、思わず手が震えた。
カナダは、子どもの頃からちっとも変わらない。
彼が幼い頃の自分には、アメリカという絶対的な愛情の対象がいた。ある意味盲目的と言ってもいいほどに、小さな可愛いアメリカを愛していた。他の全てを後回しにしてしまうほどに。
一緒に居たはずの小さなカナダと過ごした日々の記憶は、イギリスの中にはほんの僅かしか残っていない。アメリカよりもずっと長く一緒に居た筈なのに。
‥‥ああ、そうだ少しだけ覚えている、眠るお前をこうして撫でていた、小さな身体を擦り寄らせてきたから、寒いのかと抱き締めて。
「‥‥‥‥カナダ」
手を伸ばす。
ゆっくりと添い伏して、首元から腕を差し入れ、そのまま抱き寄せて、抱きこんだ。
陽射しを浴びていた身体はとても温かい。‥‥小さな身体もそういえば、とても温かかった。それに驚いたのだ。
小さくてあたたかい、大切にしなければいけなかった存在。
それでも、カナダはイギリスに懐いていた。懐いてくれた。
俺を選んで、愛して、くれた。
「ありがとな」
ゆっくりと、息を吐く。やんわりと抱き締めて、ため息のように言葉を落とす。
『イギリスさん』
可愛らしい笑顔、呼び声。
自分にとても懐いてくれている。愛してくれている。
のんびりで、おっとりで。
ため息がつきたくなるくらい無防備なお前。
施錠されない、無用心な扉。
けれど開け放った心で、俺を迎え入れてくれた。
「愛してる、カナダ」
‥‥けれどやっぱり、玄関の鍵はかけておいてくれ、心配だから。
起きたらまたため息交じりのお説教を試みよう、そう思いながら暖かな陽射しの下、あたたかな恋人の身体を抱き締めて。
本日何度目かのため息の代わり、甘い想いを込めたくちづけを落とした。
つられるように眠りに落ちた、イギリスのシャツの裾がそっと握られる。
僕もです、なんて小さな小さな甘い声に、遠く寝転んでチップスを食べていたクマ二郎の耳がふるりと揺れたけれどそれ以上のアクションはなく、眠そうに目を擦って、そのまま飼い主とその恋人ともども、眠りに落ちた。
A Day In The Lover's Life
the end.(2008.11.15)
「‥‥カナダ、何度も言うが玄関に鍵を掛けろ」
「大丈夫ですよ」
「無用心だろう、何かあったらどうするんだ」
「何かって?」
「え、そりゃ、えーっと」
「うたた寝してたら優しい恋人が添い寝してくれたり可愛いこと言ってくれたり、とかですか?」
「‥‥ッえ、あ、!?ちょ、お前起きて‥‥ッ!?」