南に大きく切り取った窓から、午後の光が零れるように差し込んでいる。
ブラウンに近いローズカラーの絨毯がその光を掬い上げて、あたかも息をしているごとく優しい灯火となって高い天井の隅までも暖かく彩っていた。
勿論、室内の中央に設えられたソファセットも、だ。
四つの脚と縁全体に繊細な彫刻が施された卓の上には、よく使い込まれた木製の裁縫箱と一緒に、色彩豊かな刺繍糸があふれんばかりに並べられ、尚いっそう室内を華やかにしているように思えた。

(勿論、一番華やかなのは、彼だけれど。)

ひっそりと心の中で呟きながら、そっと色彩あふれる卓の前に据えられたソファの端に、そっと腰を下ろした。
細かな薔薇の刺繍がびっしりといれられたソファの中央には、その華やかな家主が凛然と腰掛けて手仕事をしていた。
濃い紺青をしたブロード地に木製の枠をかけ、緩く組んだ膝上に置くような高さで細かな針を刺している。針の先には勿論とりどりの刺繍糸だ。針を刺す順序は明確に決められているのか、さし掛けたまま休めている針がいくつか布にクリッピングされていた。
ピンと張った布上はさながら糸が描き出す絵画のキャンパス。
正確で迷いのない手さばきで、一針一針、縫いこまれていく。
針を持つ、白い指先。
伸びた背筋はそのまま、視線はひたり、布の上。
‥‥横に座った僕には、視線さえ寄越さない。

「‥‥イギリスさん」
「んー‥‥?」

呼び声には、文字どおりの生返事が返ってきた。
カナダはため息をついて、ソファに身を沈めたものだ。

そもそも、自宅に遊びに来いと言ったのはイギリスのほうである。
今日のロンドンは過ごしやすいからとか、いい茶葉が手に入った、とか。電話のラインの向こう側、少しぶっきらぼうな話し方が彼の照れ隠しなのだということは、もう解っている。
第一、それに喜んで頷いてこうして訪問している時点で、自分の負けな気がしなくもない、わけで。

‥‥まぁ、負けでもいいのだけれど。
だって、好きだから。

ずっと、好きだった。小さい頃からずっと寄り添ってきた、兄を。
煌く星のほうに美しかった最初の保護者の、ぼろぼろになった手で彼の屋敷へと手を引かれていかれ、その強く鮮やかな翠緑の瞳を見てから、少しひんやりとした皮手袋の手を握って以来。

「イギリスさんてば」
「‥‥もうちょっと」

そう言った彼はといえば、やはり視線は木枠の内側に固定されて。
確かにその鮮やかな熟練の手さばきは観賞に値するものであると、カナダは思う。思えば、自分がずっと小さい頃からこうして彼の刺繍を筆頭としたこまごまとした手芸をする姿を傍らで見てきたのだ。世界を相手に戦っているその強い背中と、同じくらいに。

「さっきから何度も聴きましたよ、もうちょっと」
「もうちょっとだって、すぐ済むから」

そういう彼の声は、昔と変わらず凛としているのに、どこか違って聴こえる。

だって昔は一言名前を呼べば、すぐに全てを放り出して自分達‥‥自分と、アメリカのもとへ走ってくるような人だった。
どうかしたのか。どこか怪我したのか。腹が減ったのか、それとも、それとも。
心配げな顔。ふるふると首を振って抱きつけば、ほっと息をついていたひと。大切な父親、優しい兄。

ふ、とため息をつきながら腕に抱えた本を膝上で開いた。
それは、刺繍に熱中し始めたイギリスの書籍棚から勝手に失敬してきたものだ。慣れた軽いペーパーバック、彼の家のひとが書いた有名なファンタジー小説。そういえば続編を読んでいなかったのだと不意に思い出したのだ。‥‥まぁ、手持ち無沙汰だったから、無理やり理由付けしただけなのだが。
パラパラと本を捲りながら、最後にちらり、傍らのイギリスへと目をやった。
相変わらず、鮮やかな手さばきで刺繍を仕上げていく白い手。
それは昔、自分達を抱きしめてくれた大きな手。
もう、自分とさして変わらない大きさだ。‥‥こんなにも小さな手で、守ってくれていた。親として。兄として。

強くて凛然として。けれど、今のイギリスさんときたら。

「ねぇってば」
「もうちょっとだから、ちょっとだけ」

我が侭めいた言いわけ。幼い子供みたいなそれ。
一心不乱に針を使うその指は、昔自分を抱き上げてくれた其れと同じなのに。

今は。

「‥‥もう、じゃあちょっとだけですからね」
「ん。」

そっとソファの上、少しだけにじり寄って肩を触れさせれば、視線は自分の手元なくせ、すり、と頭を擦り寄られてこられた。言葉じゃない、ごめんな、って。少しかたい金髪。‥‥ああ、もう!

(そういうところ、本当に可愛い人だって恋人になってから気がついた!)

昔と変わらない、優しい手。優しいひと。
可愛い可愛い、僕の恋人。




仕方がないから待ってあげる。
だってこんなに可愛い人だ、我が侭だって聞いてあげたくなるよ!









雲に愛されたこの国の空より零れる光を、最大限取り込むよう設計した窓から、やや赤みをはらんだ陽光が柔らかに流れ込んでいる。
先日張り替えたばかりのローズブラウンの絨毯に陽光が深く切れ込むように光を零して、この地に古くから住まう小さき者たちの生命の色にも似た温もりで室内を暖めてくれていた。
勿論、室内で寛ぐ俺達も、だ。
最後の一針を挿し終えて見渡した室内が、僅か明度を落としているのに一呼吸ぶん置いてから気がつく。アフタヌーンティの時間は過ぎただろうか。
余計な折り目がつかないよう膝上に掛けるように載せていた生地は、霜夜を思わせる紺青。深い夜闇に祈りと慈しみを捧げるイメージで刺してきた刺繍も、これでひと段落だ。
深い紺青は、遥か北の凍てつく大地の色。空気さえも凍らせる厳しい彼の地。

(それでいて何もかもを包み込む暖かさは、まるでアイツのようで。)

心がとろりと甘くなるくすぐったさに苦笑しつつ、刺繍用の木枠を掛けた布地を膝上に置いて軽く肩をほぐした。信頼の置ける家具職人と綿密なやり取りをした上で誂えたソファは、長時間の座位にも腰を始めとする身体に負担がかからない優れたものだ。とはいえ、さすがに細かな仕事をこなせば筋肉もこわばる。
しかしながら、温もりの届く範囲に丸まるようにして腰掛けている恋人に、心はほんわりと蕩けるわけだが。
緩く己の肩に触れるか触れないかの位置に居るカナダの視線は、ソファ上に足先まで引き上げてたたんだ膝の上の、本へ。何を読んでいるのかと視線だけで窺えば、数年前から全世界を風靡した、うちの作家のファンタジー小説の最新刊だ。
ふわふわしたシュガーカラーの髪の隙間からのぞく視線は真剣そのもの、薄く開いた淡い色の唇が呼吸に合わせて僅かに開いている。

「‥‥カナダ」
「んー‥‥はぁい‥‥」

呼び声に返ってきたのは、おっとりぼやけた生返事。
イギリスは甘そうな唇を眺めながら、心持ち触れ合う肩へと重心を移した。

そもそも、今日自宅に来るようにと命令に近い招待をしたのは自分である。
今時分のこの国は空気が澄んでいて過ごしやすいし、先日懇意にしている茶葉鑑定士からいい茶葉を分けてもらったし。
理由なんて十でも二十でも思いつける。
けれど本当の理由なんて。‥‥ただ会いたかっただけだと。電話越しの彼にも、きっとばれていた。
どれだけ居丈高く言ったところで、それじゃ伺いますね、おっとりと返された了承に、心の底から安堵と歓喜が溢れた時点で、自分の負けなのだ。

‥‥ま、別にいいけどな、負けでも。
だって、好きなのだ。

いつの間にか、好きになっていた。小さな身体で、寄り添い続けてくれたこどもを。
腐れ縁の手から強引に奪い取った、涙を浮かべつつも運命を呑み込んで立とうとする湖水色の瞳に目を見張ってから、小さくふっくらとあたたかな指先が己の其れに触れてきてから、こちら。

「カナダ」
「‥‥もうちょっとだけ」

すげなく呟いたカナダの視線はといえば、ペーパーバックに釘付けで。
なるほど白く滑らかな頬のラインやおっとりとした雰囲気は、確かに静かに座して読書にいそしむに相応しい、上品でおとなしやかなカナダの容貌に似合いだとイギリスは思う。そういえば、昔から何かにつけ外に出てアクティブに遊びたがったもう一人の弟に較べると、自分の身の丈ほどもあるシロクマの子供とおっとりとじゃれていたり、気がつけば俺の足元に座って本を読んでいたりするような子供だった。

「ちょっとってどれくらいだ」
「ちょっとは、ちょっとですってば」

そういうカナダの声は、今も昔も変わらずおっとりとしたものではあるが、どこか違って聴こえる。

小さい頃は、名前を呼べばきらきらした目ですっ飛んで‥‥いや、本当はおっとりとほてほて歩いてくるべきところをもう一人の兄弟に腕を引かれて、とびついてきていたのに。
お腹が空いたといっては足元にちまちまとまとわりつき、怖い夢を見たといってはスンスン泣いて抱きついてくる子供だった。
愛らしい笑顔。抱き上げてやれば、舞い落ちる雪の欠片のようにふわりと笑っていたこども。可愛い可愛い、大切なこども、俺の弟。

ふんわりと体温が伝わってくる肩側にじわじわと重心を動かしつつ、膝上に載せていた生地を手早くたたむ。
そもそもこの刺繍入りのクロスは、彼にプレゼントする為に針を刺していたのだ。静謐な神さびた彼の大地を思わせる紺青。手芸店でこの布を見つけた時、即座に彼の姿を思い出した。‥‥我が事ながら随分だと思わなくもなかったのだが。
刺した刺繍糸が引きつらないよう注意しつつたたみながら、チラリと傍らのカナダへと視線をやる。
相変わらず、真剣そのものの眼差しで手元の本へと視線を落としている。
ぱらり、白い指先がページを捲った。
それは遥か昔、己の服の裾を握った小さな指先では、もうない。
ほっそりとはしているものの華奢ではない、青年の手。
もう、自分とさして変わらない大きさだろう。
遥か昔、抱き上げれば甘い匂いのした柔らかな身体。小さな小さな、ふっくりとした手。可愛いこども。大切な弟。

従順でおとなしく。けれど、今のコイツときたら!

「カナダ、なぁ」
「もう、今いいところなんですってば」

伸ばした腕で頭を撫でたら、ふるふるっと振って手を払われた。
可愛い仕草。ああ、昔はただひたすら従順なだけだったのに。
他愛のないわがまま、そのくせ触れさせた肩にすりすりと擦り寄ってきたりして。甘ったれた、甘い身体。‥‥ああ、まったく!

(そういうところも、本当に可愛いヤツだなって、恋人になってから気がついた!)

昔と変わらない、素直な手。甘えたなこども。
可愛い可愛い、俺の恋人。

‥‥‥‥でもな、カナダ?

「‥‥え、ちょっとイギリスさん?!待って、本返し‥‥っ」
「待てない」

待ってなんて言われても、待ってなんてやれないな。
仕方がないだろう、だって俺の恋人はこんなに可愛いんだ!




抱きしめてキスをする直前、何故だか呆れたようなため息が聞こえた気もするけれど。
そこは気にせずに、今は可愛い恋人に甘いキスを捧げよう。
だって、ほら。




「‥‥‥‥もう、待てないなんて、僕の台詞です、よ?」




仕方がないだろう、恋人達の時間は、いつだって甘くて可愛い!









 相聞時間





the end.(2009.02.21)

某a様主催のオールナイトイギイギ(第二回)に投下したもの。
イギーの部分はほぼ全部書き直しました。
メリカを(エチャで)アンアン言わせつつ書いてました(笑)