あ、駄目だ、と思ったときには遅かった。

ザシャ、って。すごく尖った、掠れた音。
おかしいなぁってときどき思う。だって、空から降ってきたときにはあんなにふわふわで真っ白だった水の欠片が、なんだって地上に降り立った途端、こんなにゴワゴワで、尖ってて、硬く、頑なになっちゃうなんて。
ずっと、ふわふわだったらいいのに。
ずっと、優しければいいのに。
‥‥なんて、まぁそれは現実逃避で、要するに、アイスバーンになっちゃった道で、素ッ転んだわけだ。痛い。
否。‥‥多分、痛い。

「だって、もうよくわかんないし」

呟いた声も、掠れてる。尖ってはないけれど、だって尖るほどの体力が、今の僕には、ないからね。
うん、これは、仕方がないんだけどさ。
だって、全世界、そうだし。いまさら、僕だけがこう、ってわけじゃないし。だからといって痛みが軽減するわけじゃないんだけど、自分だけじゃない、っていうのは、実のところ、結構、救われる。我ながら底意地が悪いなぁとは思うけれど。

だって、だって。‥‥だって、僕だけがこんなだったら、きっと誰も、気がついてくれない。

僕の隣には、いつだってキラキラな、兄弟がいて。
彼が輝いていれば、きっと世界はそれでオッケーだし。(実際、これまではそうだったわけだから。)
‥‥まあ、今回はそのキラキラな兄弟が派手にコケたせいで、皆して転んじゃったみたいなもんなんだけどさ。
だから、僕がこうして、痛いなぁなんて、道で素ッ転んでるのも、不思議じゃないし、もしかしたら世界のどこかには、僕と同じように暗い暗い道端で、素ッ転んでいるひとが、いるかもしれない。痛いなぁって、思ってるひとがいるのかもしれない。‥‥それに、救われる。

ああ、なんて意地が悪い僕!

「寒いなぁ‥‥」

呟いてから、当たり前か、なんてぼんやり思う。
だって、今はまだまだ冬のど真ん中だ。世界には3月はもう春、なんて国もあるらしいけれど、僕のところではまだまだ、寒い寒い、冬。
そういえば、この前N.Y.では寒波がきて吹雪だったって、ニュースでやってたね。ああ兄弟、風邪を引いていないかい?君はうっかりだからね、ちょっと心配だよ。

「寒いし、痛い」

呟く。
すっかりと日の暮れた道は暗く、冷たい。ここが自国であるというだけで怖さは欠片もないのだけれど、でも、冷たくて暗いと、少しくらい、気分は滅入る。‥‥これ、また株価がさがったとかじゃないよね。頼むよ、もう。

「痛いよ、」

転んだら、痛い。多分。
だから皆、転びたくなくて必死で、僕だってそれなりに頑張ってたけれど、やっぱりこけちゃって。
きっと世界のどこかで、僕と同じように転んでる人がいるのだろうけれど、でも、でも、いまこの場では、僕だけで。
真っ暗な道端で、ひとり。




「‥‥『寂しくなんて、ないんだからな、ばかぁ』」




‥‥あ、ちょっと、笑えた。
これは、あの人の口癖。ずっと年上なくせに、なんだか可愛いあのひとの。
きっと、きっとさ、あの人が、こうして僕みたいに暗い道端で素ッ転んだら、いうんじゃないかな。『痛くなんてない』とか、『寂しくなんてない』、とか。そういうひとだもの。
いつだって、なにかを堪えてるひとだった。‥‥いや、対外的にはやりたい放題だったけれどね。うん。
でも、堪えてるひとだった。
長い、長い年月を生きて、いろんなものを手に入れて、いろんなものを失って。‥‥彼が、世界で一番愛していた、アメリカを失った時だって。
きっと、痛かった。
きっと、寂しかった。
きっと、いつだって、寂しがってた。

一言だって、言わなかったけれど。

「‥‥痛くなんて、ないよ」

だから、僕も、言ってみる。

「痛くなんてない」

‥‥そうだとも。痛くなんて、ないさ。
だって、冷たいけれど、暗いけれど、この先に、歩くべき場所はちゃんとある。それは本当に険しいし、道とは呼べないかもしれないし、たくさんたくさん、いろんな人が、僕の中のいろんなものが、苦しいって言ったり、辛いって泣いたりするかもしれないけど、でも。

立ち止まるわけには、いかないんだ。僕は。

そろそろと、立ち上がる。‥‥うん、大丈夫。ほら、立てた。
パサパサとコートの裾を払って、転んだ拍子に盛大に投げ出しちゃった(ああ‥‥濡れちゃったよなぁ、上司がこれ明日朝イチで出せ!って言ってたんだけどなぁ‥‥)書類を拾い上げた。枚数はそろってる、筈。‥‥まぁ、帰ってなけりゃまた拾いにこよう。

だから、また歩き出す。なんでもないフリをして。
うん、なんとかなるよ。だってまだ歩けてるじゃないか。
世界のどこかで素ッ転んだ誰かだって、きっと立って歩いてる。
僕の兄弟だって、歩いてる。‥‥いや、彼は走ってるか、もう。ヘイ、頑張っておくれよ兄弟、風邪は引かないようにね?




けど




それでも




どうしても、




寂しいときは。




「‥‥『べ、別に僕が寂しいってわけじゃなくて、イギリスさんが寂しいとか雪道で転んでないかとか、だから電話したんですからね!』‥‥、よし、これでいこう。」




ぽそぽそと、あのひとの口グセを真似た台詞を言ってみて、やっぱり可笑しくなって笑っちゃって。
だから早く帰って電話して、あの人の声を聞こうって、僕は真っ暗で凍った道を、走ることにしたんだ。









 ready,steady,go!





the end.(2009.03.05)

ブログ再録。
私自身が少し体調を崩したときの話です。そしてアメリカ発の不況のね‥‥(苦笑)