朝まだき、水に浸ったようなブルーグレイのキッチンに足を踏み入れる。
綺麗に片付いた調理台の上、小指の爪にも満たない小さな花が置かれているのに微笑んでからつまみ上げた。家付きの妖精がすることはいつだって可愛い。
水を汲んだケトルをコンロの上に降ろす。
いつもより少し多めの水、重みを増したケトルはカシャリとやはりいつもより少し多めの音を立て、パチッと爆ぜたコンロの着火音に呼応した。
ゆっくりと両開きの窓を開ける。キッチンに作りつけた窓にはカーテンはひいていない。入念に手をいれたコティジガーデン、ロンドンらしい薄曇の朝の光に淡い色を落とす薔薇やジャスミン。ベリーやコックスの若木、ローズマリー、タイム、レモングラス。
窓の袂には遥か大海を越えてやって来た、愛らしいマウンテンマーシュマリーゴールドのミニバスケット。
辺りをくるりと見回す。
「おはよう」
返事はない。人の言語では、という限定つきで。
視界の端に瞬いたふわりとした光を驚かさないように、視線を上へと飛ばす。早朝のクラウドグレイ、透かした水のような青は、可愛いアイツの瞳の色だ。
開けた窓から腕を伸ばして、小さなカップを複数並べ置く。
冷たいミルク、冷たい水、昨日収穫したベリーを数粒。それから。
「今日は、おまけな」
コトリともうひとつ置いたカップの中身はとろりと金色の甘い樹液。
お土産ですと毎回持ってくるこれを、小さな友人たちが好きだと言ったら、喜ぶだろうか?‥‥まぁ、見えていないのだから、言うわけにもいかないけれど。少し寂しいが、こればかりは仕方が無い。
コンロの上のケトルはまだ静か。だって今日はいつもの二倍だ。
チラリと時計を見遣る。早朝。‥‥疲れたアイツが目を覚ますには、まだかかるだろう。
ふと、笑みが漏れる。今日から3日間のオフ、ゆっくりすればいいのに随分と早起きをしてしまった。ぐっすりと眠り込んだ恋人の寝顔をゆっくりたっぷり堪能してもまだ余ってしまった時間を、ならば久しぶりに正真正銘のイングリッシュブレックファストを作ってやろうと、起きだしたりして。
「ん、食べていいぞ」
カップの縁にとまって此方を窺うように瞬く光に、柔らかな声で応える。
一瞬ぽうっと色味を増した彼らの返事にやんわりと笑って返してから、食料棚を開けた。‥‥切り分けていないパン、タマゴは2つずつでいいだろう。腹が減ってるようなら、俺のタマゴをひとつやればいい。
ふわりふわり、瞬く光がブルーグレイの空を舞う。目覚めぬ暁、夜と昼の端境のひとときは彼らの時間だ。
人の言語ではない、木の葉のさんざめきにも似た、かそけき歌声が早朝の空気を震わせる。それに和するように古い言葉で歌えば、カップの縁に腰掛けていた妖精達もまたふわりと瞬き、応えてくれた。軽やかで優しい彼女達の歌声。
俺の愛すべき、無邪気で愛らしい、小さな友人達。
‥‥そして、それ以上に優しくやわらかな、呼び声、は。
「‥‥‥‥いぎりす、さん」
とすり、と背後から身体をぶつけるようにして抱きついてこられたのに、声を立てずに笑ってパンとタマゴをバスケットへと転がし入れつつ、肩口に懐く頭へと己の其れをそっと寄せる。頬にあたるメイプルシュガーカラーの髪は、俺の其れとは似ていない、ふわふわと柔らかな感触だ。
懐いてくる身体は眠気を残してどこか温かい。普段の彼らしい甘い匂いには、俺の匂いが僅かに混じっていて面映い。
呼びかけに応えなかったことが不満だったのか、俺の腹に回された腕にぎゅっと力が込められた。体格にそう差がないせいで、言葉としては抱き締められるとか、抱き寄せられてる、といった感じになるのだろうが、なんとなし今のコイツだとしがみついてくる、というのが正しい気がする、そんな腕。
可愛く、少し懐かしく、それでいて新鮮で甘やかな感触。
「‥‥どうした?まだ早いんだ、寝ててもよかったんだぜ?」
「‥‥‥‥だって、起きたらイギリスさん、いないから」
腹の前で組み合わされた恋人の指先をそっと叩いて言えば、眠気と昨夜の交わりに掠れた、どこか幼い口調の返答。
「メシ作ろうと思ったんだよ。食うだろ?」
「‥‥‥‥後でいい、パンもタマゴも逃げないもん」
「俺だって逃げねぇけど?」
「イギリスさんは、逃がさないもん」
「ッ、」
囁きといっそう寄せられた身体と腕に、思わず息を呑む。
普段からおっとりと甘いカナダ。控えめでのんびりで、いつだってほわほわと笑っている彼が。‥‥望んで俺の、傍にいるっていう、幸福。
『逃がさない』だって?
なぁ、カナダ。‥‥そんなの、それは、俺のほうこそ。
「逃げねぇよ、逃げない。‥‥お前を、逃がさない、俺の傍から、絶対にだ」
「‥‥‥‥ん、イギリス、さ‥‥、ふ、ぁ」
淡い暁色が満ちはじめる台所、振り返ってのキスは、夜色をして深く。
くちづけながら腕を伸ばしてコンロを切り、今は煽った欲に熱くなった身体を強く抱く。縋りついてくる腕、俺の匂いが混ざった、甘い匂い、甘い呼び声、甘い身体。
俺が愛すべき、無垢で淫らな、可愛い恋人。
「‥‥寝室に?それとも、ここで?」
「‥‥‥‥ベッドに。ねぇ、イギリスさん」
「ん。‥‥まだ、朝には、早ェからな」
パンもタマゴも逃げねぇし。耳朶を食みつつそう囁けば、とろりと蕩けた笑い声が、僅かに夜を残した朝色のキッチンの空気を静かに震わせた。
切り分けられないままだったパン、バスケットの中のタマゴは食料棚から場所を移して、けれど変わらず静かに寝転んだまま。
いつもの倍量の水をたたえたケトルもまた温まる前に取り残されて。
そうして静けさを取り戻した台所、窓の外に置かれた小さなカップの縁には妖精達が腰掛けており。
再びの甘い時間を過ごすべく退出した古い友人とその恋人を見守るようにひやかすように、ブルーグレイの空の下、金色の樹液に唇を寄せつつ軽やかに歌っていた。
‥‥暁よ、我らが優しき友の為、もう暫くおやすみ、と。
目覚めぬ暁のフェアリーソング
the end.(2009.05.31)
イギ様とカナダさんだとちょっとだけイギ様のほうが痩せてます。身長は同じくらいかな
英加の場合は、双方ともが「彼を俺(僕)が落とした!」と思ってればいい(´∀`)
矢印が双方から等分に出てる感じ
めずらしくBGMかけっぱなしで書いたので影響が凄く出てます
enya『China Roses』 木下伸市・ラカトシュ『花さち』