遠くなる配送トラックのエンジン音を聞きながら、後ろ手にドアを閉じる。
木製の玄関扉はどこか牧歌的な音を立てて閉まり、それ以上に牧歌的でのんびりとした足音は、廊下を渡ってリビングへ。
廊下とリビングを仕切る開けっ放しのアコーディオンカーテンの向こうから姿を見せた彼に、ソファの上、もふもふしい前肢にティーカップを挟むように持ってメイプルシロップたっぷりの紅茶を飲んでいた白い家族が一瞬だけ視線を向けたのに、ヒラリと指先だけで挨拶をした。それ以上は手を振れない。何故といって、腕の中は荷物で埋まっているからだ。
「よ‥‥っ、と」
おっとりと丁寧に卓上に軟着陸させた荷物が、ぱすん、と見た目に比すれば妙に軽い音をたてる。けれど其れを運んできた青年は、まるで一日のうちの最大の難事を完遂したかのような息をついたものだ。
そして、満足げに笑う。
その視線の先には、宅配されてきたばかりの荷物。
白い包み紙はいかにも丈夫さを優先させた無骨なもので、箱などに収まっているわけではない不定形のそれを安定させる麻紐もかけらも飾り気がない。荷物には海を越えてやってくる荷物には欠かせない許可印が、直接べたべたと貼られている。
いかにも事務処理めいた包装だが、彼はそれを微笑みながら、ゆっくりと眺めた。
国内流通の其れとは少し違う、宛名のカードや許可印。同じなのは、それが英語であるという点。
そして、見慣れた筆跡の宛名書きと、送り主の名前。
複写式の宛名紙には、肉筆ではない薄い青色の文字が躍る。
その薄い文字を指先でゆるゆるとなぞると、同じく荷物へと視線を向けていた、今度はメイプルシロップたっぷりのパンケーキをもしょもしょと食べていたシロクマに、にっこりと笑いかけた。
「さて、今度は何を、あのひとはくれたんだろうね?」
「ン、誰?」
「君の飼い主のカナダだよ」
ふわふわの身体の横に腰を下ろしつつカエデ蜜でベタベタになった口元を拭ってやりながら交わすのは、お決まりの言葉。
こちらを見上げてくる甘い匂いのする家族の耳元に一つキスを落として。眠そうに目を擦る家族の横、カナダはおっとりと、白い包装を解いていった。
「入ってきてもいいぞ、カナダ」
薄く開けたドアの陰から、その言葉が寄越されるのをいつだって待っていたのを、よく覚えている。
勝手に入ったとしても怒られることはなかっただろうに、いつだって彼の、少し冷たい凛とした声がかけられるのを、カナダは待っていた。息を詰めて、ひたすらに。
「いいの」
「ああ。来い」
許可をするその声は、力ある者だけが持ち得る尊大さと余裕を持っていた。
それに少し舌ったらずな口調で返すのはこどもの声、細い手足をちまちまと動かして彼の傍へと。
そうっと走り寄り、ソファにゆったりと腰掛けて手元を動かす彼から少しだけ離れた位置で足を止めれば、こどもの足音にも欠片も動じず手仕事を続けるその人が、ちらりと薔薇の葉色の視線だけを寄越す。鮮やか過ぎるその瞳に気圧されたようにふるりと身体を震わせたのは無意識だった。けれどその仕草に、その人が手元にあるものを卓に置き、伸ばされる薔薇の匂いの腕がカナダの小さな小さな身体をふわりと抱き上げてくれることを知っていたのだから、あれは意識しての無意識の震えだったのかもと、今では思う。
「いぎりす、さん」
腕の中から呼んだ名前に、ほんの少しだけ緑の瞳が笑うのを見た。
ソファの上に降ろされて、離れていく腕と隣りにゆっくりと腰掛けるイギリスの体温を、じっと見上げて待っていた。大きな大人の、あの頃は大人だと思っていた少し冷たい手で、頭を撫でられる。
己の隣りにこどもを座らせたイギリスはもう一度その小さな頭を撫でてから、再び卓上におしやっていた物々を引き寄せた。
丸い木枠に張られた、柔らかな白い布地。
色の洪水のような鮮やかな刺繍糸がいくつも垂らされ、銀色に光る針へと繋がっている。机の上もまた、折りたたまれた布地や数え切れないほどの色鮮やかな刺繍糸、丁寧な彫刻が施された飴色の箱に丁寧に収まっている裁縫道具で埋まっていた。
「針には触るなよ」
一言言い置いた彼は、こくりと頷いた子供からすぐに視線をそらして、再び手仕事へと戻っていく。
あの頃のイギリスは、カナダに対してあまり話さなかった。
決して放っておかれたというわけではない。勉強も教えてくれたし、食事の用意もしてくれた。ただ、あまり話さなかっただけだ。‥‥今にして思えば、イギリスも何を話していいのか判らなかったのかも、と思う。
彼の最愛の存在に姿かたちが似ていたから奪ってきた子どもは、性格上はちっとも似ていなかったのだから。
この頃のアメリカはどんどんと快活さを増し、外に出て遊ぶほうをはっきりと好むようになっていた。身体も大きくなり、まだふわふわのベビードレスを着ていたカナダとは違う少年らしい服装をして、近隣の子供たちとも遊んでいたらしい。勿論体格が違おうともアメリカはカナダにはとても優しかったけれど、‥‥イギリスとは、少し距離を置くようになっていた頃だ。
「お前は、刺繍は好きか」
視線を寄越されないままの問いかけに、カナダはことんと首を傾げて長いハニーカラーの睫をしばたたかせてから、こくりと頷いた。
刺繍は、好きだと思う。何故と言って、綺麗だから。
布の上に描かれた滴る緑に絡みつく黒すぐりの実は甘酸っぱそうで、艶やかな大輪の薔薇は芳しい匂いさえ感じられる。きらきら輝く金色の稲穂は風が渡る海のよう。夕焼けを映した雲は甘そうで、どこか自分の好きなメイプルシロップを思わせた。
だから、好き。そう思って、頷いた。
その答えに、イギリスはやはりちらりとカナダを見遣ってから、少しだけ笑う。
「そうか‥‥。アイツもなぁ、お前くらい興味持ってくれたらいいのに‥‥」
ため息のように零される言葉は、こども心に少しだけちくちくした。‥‥まったく彼は昔からそういう部分が無神経で、目の前のこどもを通して別の相手を見るなんてことを、平気でしてくれたものだ。
ちくちく、ちくちく。心が痛かった、小さかったあの頃。
それでも、好きだったから。
‥‥刺繍に興味のないアメリカは、彼がこの手仕事をしている間は彼の傍には絶対にやってこない。それはイギリスも解っていて、‥‥だから、こうしている時間に近寄ってくるカナダのことを、決して見間違えなかった、から。
だから、カナダはそっと言った。
「ぼくは、好き」
刺繍が好き、刺繍をしている時間が好き、僕を見てくれる貴方が、刺繍をしている、貴方が、好き。
「好きなの」
「そうか」
カナダはいいコだな。そう言って縫い取りをしながら優しく笑ったイギリスの隣り、そっと身体を凭せ掛けて服の端をきゅっと握りながら、彼の指先が紡ぎ出す鮮やかで優しい手仕事に、じっと見入っていたのだ。
「へぇ、テーブルクロスと、ティーコゼーかぁ。コースター?‥‥あ、メイプル柄だ」
宛名状に附された差出日は5日前。
かつては永遠にも近い距離を隔てていると思えたものなのに、今では航空便で数日と待たず届くというのだから便利な世の中になったものだ。
もふっとした身体を微かに揺らして眠る家族の横、解いた麻紐と白い包装紙を床に投げ、万一の水濡れを気にしてかビニールのパッキングを(これが重さに較べて嵩張っていた理由だ)破って出てきたのは、ずっしりと織りの厚い光沢のある生地のテーブルクロスと、茶器を扱う際に使う小物類である。
ごく淡いブルーの布地の端を持ち無造作に広げてみれば、結構な大きさのクロスにびっしりと見事な刺繍が施されている。意匠化された蔦文様を組み合わせることで影絵のように浮かび上がるメイプルツリー。綿密に計算され配されたリーフはまるで舞い散る雪のように美しい。布の色より少し白の強い光沢のある糸一色で刺しているからか凝った意匠にも関わらずくどさはなく、ただただ華麗な文様と完璧すぎる手仕事に、カナダは大きく息をついたものだ。
「相変わらず器用なひとだなぁ」
昔とちっとも、変わらない。
遠い海を隔てていた頃から、隣りに座らされ彼の手元を眺めていた時から。
つくづくと思いながら、今度は小さなティーコゼーを取り上げる。
こちらは一転して愛らしい小物だ。ベイビーブルーのキルトで縫われたティーコゼーの縁に、一枚だけのメイプルリーフ。これに付属するかたちで同柄の小さなコースターと、銀器を包むのだろうか、小さめのナプキンとコットンレースのリボンもセットである。当然のように、リボンに至るまで手縫いで、手編みだ。
まったくもってどれだけ厳しい花嫁修業を経たご令嬢の作品かと思われるプレゼントだが、これら全ての製作者は薔薇と皮肉とエロ本を愛する見た目23歳の英国紳士だというのだから、なんというか、笑うしかない。
カナダはしばらく小物類を矯めつ眇めつ眺めてから、ひとつ息をついてからおっとりと辺りへ視線を走らせた。
あの、やたらと可愛いカーテンとカーテンタッセルは、いつ貰ったものだっけ?テレビの横にあるアメリカが持ち込んだゲームのハードに掛けてるのは埃避けのパッチワークキルト、壁に掛けてる鮮やかなカナディアンロッキーを模したキルティングのタペストリーは、いつだかの誕生日に貰ったもの。
その他にもたくさん、たくさんの、彼から貰ったハンディクラフトが、カナダの家を彩っている。
‥‥あれから、いろいろあった。
刺繍に見向きもしなかった兄弟は凄惨な戦いの末に独立を果たし、イギリス自身も欧州とアジア地域で激化した戦闘の為にカナダの元へ長くいることはなくなった。代理戦争の名の下カナダは兄弟と直接刃を交え、その流れのうちにカナダ自身も独立を果たし。いくつかの戦争と妥協を繰り返して、‥‥そうしていつの頃からか贈られて来るようになった、彼の手仕事。文字どおりの英国製品。
『お前は、刺繍は好きか』
その言葉に、自分が頷いたから。‥‥彼がそれを、他の誰でもない、「カナダ」が刺繍を好きだと、覚えていてくれたから。
「‥‥好きなんだよなぁ」
ぽつりと、呟く。
刺繍をする、彼の傍にいるのが好きだった。
カナダを「カナダ」だと彼が認識してくれる、あの時間が好きだった。
銀の針を持ち、数本の糸へ瞬く間に命を吹き込んでいくあの指先が好きだった。
彼が、好きだった。
ずっとずっと、‥‥彼が、好きだ。
「ねぇ、イギリスさん、好きです。好き」
ソファに深く凭れ掛かり、ほろりほろりと言葉を零す。
目の前に、彼は居ない。居るのは白い家族と、彼の手仕事の成果である小物達だけだ。
これは、カナダの為に作られたもの。
彼が、幼いこどもとの数少ない記憶に支えられて贈る、愛の証。
そっと、机の上に置かれた贈り物たちを取り上げ、抱き締める。
顔を埋めるようにして見たテーブルクロスの精緻な刺繍の一針一針が、己の為。
「これを作ってる間だけは、貴方は僕のもの」
‥‥ああ、でも。もうそろそろ、いいでしょう?
贈られた刺繍のぶんだけ刻み込まれたこの想いを、貴方に伝えていいでしょう?
立ち上がったカナダの膝から、精緻な手跡のテーブルクロスがバサリと音を立てて床に落ちた。
その音に、隣りに丸くなって目を閉じていた白い家族がチラリと視線をくれたけれど、カナダはそれには応えず机の上に投げていた財布を掴み上げる。
チェストをかき回して取り出したのは、パスポート。携帯電話と一緒にジーンズのポケットにねじ込んで、玄関へと続く廊下へでる間際に、後ろでやはりもふもふとした身体を丸めている家族へと視線を遣った。
「ねぇクマ吉さん、僕ちょっとお出かけしてくるね。ごはんは冷蔵庫にあるの適当に食べて。パンケーキとかおやつも入ってるけど、お菓子は食べ過ぎちゃダメだよ。もしも上司が来たら、出かけたって言っといて」
「ドコニ?」
「ロンドンに。」
「ワカッタ。」
ドアの陰から呼ばれるのを待っていた。
抱き上げられる腕に身体を震わせていた。
隣に座らされ、その美しい刺繍を眺めていた。
銃を取り剣を携え闘いながら、遠い海を隔てた彼を想っていた。
海を越えて贈られてくる、美しい刺繍にかえて。
さぁ、海を越え、彼に愛を伝えに行こうか。
普段どおりのおっとりとした足取りで、けれど行く先ひとつを定め、ひたすらに目指す飼い主の背中を、白い姿が見送る。
まるで近所にアイスを買いに行くような言い置きにも動じることのないのは、やはり彼がカナダにとっての長い長い時間を共に生きてきた家族で、‥‥長い長い間、飼い主の想いをその腕に抱かれて感じてきたから、だろう。
もふもふとした白い前肢が、床に落ちたテーブルクロスを器用にたたんで机に置く。その上に、同じ包装のなかから出てきた紅茶を入れるのに使う小物類も、一緒に置いた。
丁寧な仕事だと、思う。‥‥愛がなければやってられない程度には。
彼は暫くその贈り物の山を眺めたあと、あくびをしながら、のそのそと立ち上がり、冷蔵庫から飼い主の手作りであるパンケーキを取り出してきた。それをもそもそと口にしつつ、チロリと空っぽのティーカップへと視線を遣って、ちいさく呟く。
「‥‥紅茶、飲ミタイ。」
彼が飼い主の恋人が淹れてくれる美味しい紅茶を、飼い主の膝に座ってパンケーキに添えて飲めるようになるのは、そう遠くはない未来の話だ。
プリモ・プリムラ
the end.(2009.08.22)
英加でも加英でもどちらでもオケー(※ちょっと加筆しました)
イギ様相手のときは本当にカナダさんはイギ様一筋です
兄ちゃんもメリカもちょう眼中にナシ!ちょっとメリカ涙目だ!
(米→加はデフォです)(あ、いつものことですかそうですか)