あなたをなにと呼びませう
師よ、友よ、親しいひとよ
いつそ一度に呼びませう。
わたしの新しい三つの星と。

(野上弥生子『新しい星図』)




「あれが、ポラリス」

そう言って、白い指が天を指す。

「ぽあ、い、す?」
「ポ、ラ、リ、ス」
「ぽらりす?」

ゆっくりと紡がれる、低く艶やかな声を追って発音する。
たどたどしい口調、海向こうの言語は覚えたての頃。
それでなくとも小さなこどもの話す言葉だ、きっと教えたあのひとにしてみれば、まだるっこしくてしょうがなかっただろう。
けれどあのひとはそんなことはおくびにも出さず、ただ、そう、と優しく微笑んで、彼よりずっと低い位置にある頭を撫でてくれた。
白く長い指が、己の金色の髪を(そう、この色が彼と同じものであることさえ誇らしかった!)優しく梳いてくれる、それだけで小さなこどもの胸は幸福感でいっぱいになったものだ。

「ポラリス。北の天の御座にある星だ。彼は決して動かず、北の星々を従えて輝いている」
「それは、偉いこと?」
「んー?偉いかどうかはわかんないなぁ。ただ、船乗りたちはポラリスを目印に海を渡るんだよ。ポラリスはいつも天にあって動かないから、位置を測定するもっとも単純な方法だ」

あの頃の彼は、幼い自分に様々な知識を与えてくれた。
彼と会うまでにもうっすらとした自我はあったし記憶もそれなりにあるものの、彼に出会ってその腕に抱き上げられたことで『己が何であるのか』を自覚したのは確かだ。
そう、あのひとは小さな僕の手を引いて、多くの大切なことを教えてくれた。
そう言う意味では、彼は僕を庇護し慈しんでくれた親であると同時に、あるだけの知識を惜しげもなく与えてくれた師でもある。

「フランスさんも」
「ん?」
「フランスさんも、ポラリスをみて、ここにくるの?」

髪を撫でてくれていた指先へ、そっと自分の手を触れさせる。
自分の手のひらでは、両の其れを使っても包み込むことができなかった、大きな手。
今思えば彼の手が特別大きかったわけではなく、単にあの頃の僕の手が小さすぎただけなのだけれども。けれども、あの頃の僕にとってはただそんなことさえもあのひとの偉大さを現している気がして、大きな誇らしさと僅かな畏れを抱いたものだ。
そのまま、仰のくように視線を上げる。

あの星を目印に、深青の海原を駆けてくる、その姿を想像する。
金色の髪を風に遊ばせ、その空色の視線は天の極北へ。
東の果てより紺碧の海を滑るように渡ってくる、偉大で、美しいひと。

触れた指先は白く長く、少しだけひんやりとしていた。

と、その次の瞬間ひんやりとした指先がするりと離れていった。
己の手のひらに彼の指先より冷たい大気を掴んで、一瞬心までひやりと冷えた気がしたのだけれど、次の瞬間には身体全体の驚きに取って代わられた。

「ひゃうっ?!」
「おおっと、暴れるなよ」

落っこちるぞー、との暢気な声は耳元で。
離れていった彼の腕が、傍らに佇んでいた小さな身体をひっぱり上げたのだと気づいたときには、もうすっかりとその胸元に抱かれていた。腕に座らされ、背中には先ほど離れていった大きな手が添えられている。眼前にはさわり心地の良いドレスシャツと、複雑に編みこまれたリボンタイ。

「フランスさん」

視線を上げれば、天に輝く星にさえ傅かれているかのように輝くひと。

「‥‥そうだな、確かにポラリスを目印にくるんだけど」
「え?」
「本当の目印は、違うんだよ」

やんわりと笑う、空色の瞳。夜の闇さえその鮮やかさを奪えない。
すぐ傍にある頬に指先を伸ばせば、背中に回されていた手のひらが小さな両の手を容易く包み込む。
ひんやりとしていた彼の指先、けれど包み込んでくる手のひらはとても温かく、優しい。




「本当の目印はね、お前。‥‥西の果てに輝くお前を目印に、海を渡ってくるんだよ、カナダ」




天の玉座を占めて輝く、極北の星。
けれど自分にとっては、そっと額にくちづけをくれた彼こそが。
この心を占めて輝く、ポラリスだった。









title/トライスター 1.ポラリス
la fin.(June/2008)

tristar:三連星。育ての親であり、師でもあるフランス
1.とかあるワリに続きがあるのかはわかりません(殴)