沈む夕陽が遥かな稜線を一瞬で鮮やかな水紅色に染め上げる。
彼方の山嶺が最後の太陽を飲み込んで、夜の始まりを密やかに告げた。
雄大な自然が生み出した造形の中でも最も美しいもののひとつと呼ばれる山麓は既に厚く銀雪に抱かれ、凛々とした白銀。其処へ滴り落とされるように夜の闇が吸い込まれていく様は、どれほどの歳月を経た身であろうとも息を呑むほどに美しいと感じる。
この国は美しい。遥か昔から、ずっと。
「ちょっと寒いけどな‥‥」
「あれ、フランスさん寒いですか?」
独り言のはずだった呟きには、けれど遠くから声が返される。
おっとりとした聞き慣れた声音に、フランスはゆっくりと視線を転じた。
次第に夜が深まっていく外界とはまるで別世界のように皓々と光の灯された室内は明るく、部屋の隅に置かれたクラシカルなストーブが厚い窓ガラスを通してなお忍び込んでくる夜の冷気をフランスから遠ざけてくれている。
リビングからキッチンへと続く開けたままの扉から、ひょこりとカナダが顔を出した。シュガーカラーの髪がのんびり屋の彼に合わせたように、ふわふわと揺れている。
「もうちょっとであったかいスープ出来ますけど、寒かったらストーブ強くしてくださいね」
いくつになっても変わらない、ふんわりのんびりした青年の声に、フランスは知らず笑みを誘われながらも軽く一度だけ手を振った。
「ああ、違うよ。外の話。もう冬だねぇ、この国は」
言いながら凭れ掛かっていたソファからフランスは立ち上がると、腕を上げてゆっくりと身体を伸ばしながら、先ほどまで美しい夕暮れを眺めていた窓へと再び目を向ける。
窓から目を離していたのはほんの少しのはずなのに、外は刻一刻と夜に包まれようとしていた。郊外で建物も少ないせいか、切り取られた窓向こうは深く透明な夜の青だ。つい、と指先を窓へと触れさせると、痺れるような冬の走りの冷気が指先から流れ込んできた。
「冬だなぁ‥‥」
「もう11月ですから。スープ出来まし、た‥‥ぅわッ?!」
先ほどとは違う近距離からの声に、フランスは振り向かないまま腕を伸ばして声の主を抱き寄せた。突然の力に驚いたのかたたらを踏んだ身体をしっかりと抱きとめて顔を覗き込めば「もー、フランスさんてば」と呆れたような声。それを無視してフランスは胸元に抱き止めた彼の瞳を覗き込んで、鮮やかに微笑む。こののんびり屋の恋人の、一番好きな顔で。
呆れた色を浮かべていた湖水色の瞳が和らいで、ふんわりと優しくあたたかな色が滲む。
いつも誰にでも優しいカナダ。
けれど微かな甘さを混ぜ込んだ瞳を見ることが出来るのは、自分だけ。
「お、カナはあったかいなー」
あたたかな体温とメイプルシロップのような甘い匂いに誘われて、フランスはその額にくちづけを落とす。滑らかな肌は、やはり温かい。
フランスの接触がくすぐったかったのか、カナダは小さく笑みを零してから、緩く仰のいて恋人の唇をついばんだ。ちゅ、と可愛らしい音に、二人どちらからともなく笑う。キスの距離の吐息が、温かい。
「あんなに寒そうなのにな」
「はい?」
「いや、外がね」
漂う甘い雰囲気になんとなく離し難くてカナダを抱き寄せたまま、フランスは再び窓へと視線を転じる。
既に夕映えの光は欠片もなく、もう銀の峰々は見ることは出来ない。雪を湛えた山嶺は夜に抱かれて眠りにつき、再び太陽が生まれるのを待っている。
風に煽られたのか、カタリと窓が揺れた。その拍子に、窓越しの冷気がフランスの肌を掠める。
「寒そうだなぁ‥‥」
「冬ですから。あれ、フランスさん、そんな冬が嫌いでしたっけ?」
「んー、いや、そうじゃなくて」
確かに、寒い。寒いのだけれど。
不思議そうに視線を向けてきたカナダに、フランスは極上の甘さで微笑んでから、甘くて熱い、言葉を。
「‥‥こんなに寒いのに、お前はこんなにあったかくって気持ちイイから、何でかな、ってね?」
ほんの少しの夜色と、暖かな室内の光を映しこんだ湖水色の瞳が一瞬見開かれて、それからフイと逸らされた。そっと輪郭を撫でるように頬へと指先を伸ばせば、一層上がった体温がフランスへと熱を伝えてくる。
抱き締めた身体は温かく、絡め合わせた舌は熱かった。
「‥‥ぼ、くが、あったかいの、なんて」
「‥‥‥‥ん?」
深いくちづけの合間の、潤んだ声。
「フランスさんが、‥‥あっためてくれる、から、ですよ」
「‥‥かーわいいこと言ってくれるなぁ、もう」
ならもっとあっためてあげる。そう囁いて、抱き込んだ熱い身体をソファの上へと沈み込ませる。ふらんすさん、と濡れた声の恋人の手をとって、熱い指先にキスをした。
うっすらと熱に染まった指先に、美しい夕映えの水紅色を思い出した。
「‥‥‥‥もー、スープ冷めちゃったじゃないですか」
「ごーめんって。ほら、シャワー浴びて来い、その間にスープあっためとくから。なんならお兄さんと一緒に入る?」
「熱〜いスープと中がトロトロで熱〜いオムレツが食べたいですっ」
スープと一緒にあったかメニューのリクエストをしたカナダがシャツをはおってバスルームへ向かう後ろ姿を、フランスは服をはだけたままニヨニヨと笑いながらソファに凭れて見送った。無理強いしたつもりはないが、意外に食いしん坊な彼から温かい食事を先延ばしさせてしまった詫びに、希望どおりのオムレツと、簡単な甘い菓子でも焼いてやろうかなと考える。
「さぁて、何にすっかなー‥‥」
服を直して立ち上がり、少し長めの金髪を手ぐしで梳いてまとめながらフランスはキッチンへと向かおうとして、足を止めた。
窓へと視線をやる。窓向こうはすっかりと夜の帳が下ろされている。深い冬の色をした夜は深々と音もなく、このぶんならば夜半には雪になるのかもしれない。
そっと手を伸べて、窓に触れる。
指先からふわりと伝わる冷気。
冬の空気、美しいこの国の、冬。‥‥此処に居る彼、そのままに。
温かく優しい俺の恋人。雪のように清らかで美しく、冬の如く凛然と厳しく、けれど全てを等しく包み込む。
この国は美しい。遥か昔から、ずっと。‥‥ずっと、愛してきた。
「愛してるよ、俺の可愛い子」
ここはカナダ。美しく愛しい、この子の国。
アリュール・ブランシュ
la fin.(2008.11.01)
タイトルは『洗練の白』
仏加の日イブ更新でございまっさ